連想ゲーム2 -
den 10.06.2005 edit
◇自分の面倒も見ることができないような者に、人類の事を考える資格などない。家の者さえ愛せない人間に、他人を恨む権利はない。現実に無知な男がいったい何を訴えようと言うのか。彼の言葉は空虚だ。◇忍耐が如何に決定的か。選ぶということは、避けるということである。何処まで選ばずに行けるか。◇論語のあらゆる真理を以てしても、刹那の美には変えられない。「真理はそのヴェールを剥がしてもなお真理のままである」のに対し、美は己が研ぎ澄まされた感性で発見せねばならない。人間という眼を通して覗かねばならない。◇生に死以外の意味を与えるとしたら、それは絶え間ない美の発見である。美の最たる頂点を見極める力、之を鍛える他に生命の楽しみはない。◇人間が人間であるのは、その媒介性が故である。媒介するもの、中間にあるもの――即ちいのち。◇始まりを懐かしみ過ぎもせず、終わりを嘆きすぎもせず、ただ正当に、対等に世界と向き合う。我々が文化の産児である事は恥ずるべき事ではない。◇私を消す為にむきになってはならない。いけない、いけないと唱えてはいけない。執念を抱いてはならない。ただ、見よ、溢れ漏れる光を。その瞬間を!
連想ゲーム -
den 10.06.2005 edit
[連想ゲーム] ◇想像は現実よりも華やかである。しかし、想像は現実に基づいている。従って、想像は現実の美化である。経験の純化である。◇それが如何なる方向へと導かれているのか、意識で知ることはできない。無意識が舵を取る。無意識は人格内に限定されず、個人の境界を超越している。我々は無意識を共有する。それは全体である。◇全体の意志――すなわち本能。本能を知ることは可能か。また、本能を知る意義は何か。・・・・・・。◇本能に対立する理性、これは我らが誇る文明の力作である。本能を知ろうとする試みは、換言すれば、理性で本能を統治する試みである。その背景には、あらゆる試みが現実がそうでないという事実を同時に示すように、理性で統治できない本能の存在がある。◇「理性による本能の統治vs.その不可能性」この闘いを自然と見なすか、否か。・・・・・・。◇結果論でいえば、現に我々はそう行為している。(i.e.言語によって解釈を下そうとしている)◇現に何人かが何事かをしている場合、その行為は二種類の糸に操られている。つまり、文化と文化以外。空間的・時間的な人間の文化を自然の一部ととるか、自然との対立とするか、或いは世界そのものとするか。◇三組の対立が隠されている。歴史に見る人類の変貌ぶりが表れる。◇神々の世界――はじまりの終わり、終わりのはじまり。◇永遠とはスペースである。生命に実体はない。◇実体とは、他に依存することなく、それ自体で存在できるものである。実体の実体はない。◇形而上の世界に実体はあるか。形而上の「実体」は、光だ。ひかり。◇すべては収斂される。
答. ひかり
答. ひかり
いろいろ -
den 10.06.2005 edit
