街へでたら -
den 16.07.2005 edit
- 車の窓から外を眺めていたら、パジャマ姿のおばさんが建物からでてきて自分の家の前に生ゴミを捨てた。十五分後、またのこのこと出てきて水でそれを流した。見ると地面には長年の汚物が黒くこびりついている。僕はめまいがして、それからまた少しあの信念を深めた。すなわち本能は結果に先立つ、と。文化人類学的な平等論は、その前提の時点ですでに悪臭が漂っている。
- 粗悪な情報が大量発生している。異常事態を知らせる黄色いランプが、いたろところに点滅している。こういう環境のなかにいると、まともな状態を回復するだけで疲れきってしまう。もっとさきの一歩を踏み出せないでいる。
- キヨスクには何十種類もの新聞や雑誌が用意されている。各人はお気に召すニュースを選んで、それぞれの分野で驚けばいい。政治問題や経済問題、環境問題に、好きなように憤慨し、好きなように心配し、好きなように嘆けばいい。だが、それを高尚な好奇心なんかと取り違わないでくれ。――あなたは単なる奴隷だ。
- 美しいものは僕の追憶だけだ。経験が僕の行動パターンを定めているのではない。直感が経験を決めてきたのだ。直感とは――旧い追憶ではないか。
- 真の批判とは、表層的な欲求を満たすために当面の障害物を退けるような個人の好き嫌いではない。先ず余計な善悪を徹底的に破壊する必要があるのは、その奥底に未来への予感、人々への責任、まっとうな創造を実現しようとする野心が燃えているからだ。創造神は同時に破壊神であるように、最後の人間はそんな真似事をする。
- 粗悪な情報が大量発生している。異常事態を知らせる黄色いランプが、いたろところに点滅している。こういう環境のなかにいると、まともな状態を回復するだけで疲れきってしまう。もっとさきの一歩を踏み出せないでいる。
- キヨスクには何十種類もの新聞や雑誌が用意されている。各人はお気に召すニュースを選んで、それぞれの分野で驚けばいい。政治問題や経済問題、環境問題に、好きなように憤慨し、好きなように心配し、好きなように嘆けばいい。だが、それを高尚な好奇心なんかと取り違わないでくれ。――あなたは単なる奴隷だ。
- 美しいものは僕の追憶だけだ。経験が僕の行動パターンを定めているのではない。直感が経験を決めてきたのだ。直感とは――旧い追憶ではないか。
- 真の批判とは、表層的な欲求を満たすために当面の障害物を退けるような個人の好き嫌いではない。先ず余計な善悪を徹底的に破壊する必要があるのは、その奥底に未来への予感、人々への責任、まっとうな創造を実現しようとする野心が燃えているからだ。創造神は同時に破壊神であるように、最後の人間はそんな真似事をする。
ざっくばらん -
den 16.07.2005 edit
ざっくばらんに生きる。考えないのでもなく、考えすぎるのでもなく、とらわれるのではなく、とらわれないのでもなく。文章なんて下手でもかまわない。読むひとがどんなことを感じようと、僕の知ったことではない。僕は楽しいことばかり、美しいものばかり追っていけばいい。頑固おやじにならないように気をつけて、行動で思想を解毒するのだ。
好きな音楽に身も任せちゃえば、なんだって自然とうまくいくさ。僕はもともと幸せな人間になるように出来ている――これは《成功的》な性質なんであって、僕が男であるのと同じように、いわば生理的などうしようもない事実だ。一般に長生きの条件、幸せの条件といったようなことが語られるが、それは原因と結果を取り違えているというものだ。ニーチェ曰く、
「即ち、出来の良い人間、『幸福者』は、或る種の行為をなさざるを得ず、他の行為に対しては本能的にこれを避けるのであって、彼は、彼が生理学的に表わしている秩序を、人間と事物に対する彼の関係の中に持ち込むものである、となるのである。方式にして言えば、彼の徳は彼の幸福の結果である、となる……長生きするとか子孫が多いとかいうことは、徳の報酬ではない。或る民族が滅びる場合、生理学的に退化すると、そこから悪徳や贅沢(即ち、すべて疲れはてた者が身に覚えのある、いよいよ強烈煩雑な刺激への欲求)が結果としてでてくるのである、と。」『偶像の薄明』
ああ、偉大なるニーチェ!あなたは僕が慕う数少ない人間だ。あなたのもとにあっては、僕は無力な羊のような気分になる。《超人》とはあなた自身なのではないか?本能があなたを高山の空気に留めたのならば、僕らは、また各々の本能によって、高山の空気へと向かうほかない。
《そういうわけで》、僕は理性でもがくのをやめたんだ。未だ自律精神の強くない人間が、そのわずかな理性で溢れる欲求を抑えようとするのは危険なことだ。それよりはすこし気孔を残したほうがいい。生来の天才のように巨大な爆発物になりえないのなら、われわれは気孔からちょくちょく毒を吐き出すべきなんだ。頂上はひとつだけれど、そこへ至る道はひとつではないから。力をぬいて、おおざっぱに、本能の声に耳をかたむけるのだ。魯山人のような生き方も楽しい。重要なことはかたちではなくて内容だ。
好きな音楽に身も任せちゃえば、なんだって自然とうまくいくさ。僕はもともと幸せな人間になるように出来ている――これは《成功的》な性質なんであって、僕が男であるのと同じように、いわば生理的などうしようもない事実だ。一般に長生きの条件、幸せの条件といったようなことが語られるが、それは原因と結果を取り違えているというものだ。ニーチェ曰く、
「即ち、出来の良い人間、『幸福者』は、或る種の行為をなさざるを得ず、他の行為に対しては本能的にこれを避けるのであって、彼は、彼が生理学的に表わしている秩序を、人間と事物に対する彼の関係の中に持ち込むものである、となるのである。方式にして言えば、彼の徳は彼の幸福の結果である、となる……長生きするとか子孫が多いとかいうことは、徳の報酬ではない。或る民族が滅びる場合、生理学的に退化すると、そこから悪徳や贅沢(即ち、すべて疲れはてた者が身に覚えのある、いよいよ強烈煩雑な刺激への欲求)が結果としてでてくるのである、と。」『偶像の薄明』
ああ、偉大なるニーチェ!あなたは僕が慕う数少ない人間だ。あなたのもとにあっては、僕は無力な羊のような気分になる。《超人》とはあなた自身なのではないか?本能があなたを高山の空気に留めたのならば、僕らは、また各々の本能によって、高山の空気へと向かうほかない。
《そういうわけで》、僕は理性でもがくのをやめたんだ。未だ自律精神の強くない人間が、そのわずかな理性で溢れる欲求を抑えようとするのは危険なことだ。それよりはすこし気孔を残したほうがいい。生来の天才のように巨大な爆発物になりえないのなら、われわれは気孔からちょくちょく毒を吐き出すべきなんだ。頂上はひとつだけれど、そこへ至る道はひとつではないから。力をぬいて、おおざっぱに、本能の声に耳をかたむけるのだ。魯山人のような生き方も楽しい。重要なことはかたちではなくて内容だ。
