パラダイム -
den 19.07.2005 edit
最近わかったこと。
自分はすべてを支配したいと願っている。
正統な方法で達成されないのなら、
感覚的な意味で、世界を支配したい。
あらゆる人間に認められ、誰にも頭をさげたくない。
そういう気持ちが、一度も折れずに、
ずっとオレの人生を貫いてきた。
けっきょく真理だの思想だのってのは手段で、
目的は支配欲の満足なんだろうなと思う。
条件さえ整ったらヒットラーにもなるかもしれない。
そういう下品な欲望を、きれいに包んだのが
《美》や《生命》のあくなき追求、《人間の超越》なんだろう。
こう考えると、いったいひとは、なにを無駄あがきしてるんだろうと思う。
神になろうとして(すべての人間は何かしらの方法で神になろうとしている)、
それが不可能な現世に生まれて、
それでも不条理のなかに生きなくてはいけなくて、
どんなに辛いことか。
たとえば愛ひとつを例にとっても、明らかにこれは天上のものだ。
われわれはといえば、完璧な憧れを不完全な世界で探しだそうとしている。
もともとそこにはないものを、生成し得ないものを、
苦しむと知りながら深入りして、後悔したりする。
で、人生における最善の方策は、なるべく
何も考えずに過ごせるように、いろいろな暇つぶしを用意することとなる。
つまり一番なにも考えずに過ごしたひとが、
一等苦しみの少ない生活を送れるような仕掛けになっている。
このパラダイムを打ち破ることはできるんだろうか?
伝統社会ってのは、人間を価値の低いものだとして
苦しみを緩和し、あの世に幸福を求めたわけだけれど、
近代は、それを180度転換させてしまった。
人間は今、ハレー彗星に衝撃弾を喰らわせたりする。
つまり、僕が言いたいことは、
パラダイムをまわすとか、まわさないとか、
そういうのは全然意味がなくて、
パラダイムを打ち破ることが人間には可能なのだろうか、という疑念:
そういう疑念を、だれが責任をとって考え詰めるのか;
他人任せにしてよいのか;
少なくとも僕は人任せにできない、ということだ。
自分はすべてを支配したいと願っている。
正統な方法で達成されないのなら、
感覚的な意味で、世界を支配したい。
あらゆる人間に認められ、誰にも頭をさげたくない。
そういう気持ちが、一度も折れずに、
ずっとオレの人生を貫いてきた。
けっきょく真理だの思想だのってのは手段で、
目的は支配欲の満足なんだろうなと思う。
条件さえ整ったらヒットラーにもなるかもしれない。
そういう下品な欲望を、きれいに包んだのが
《美》や《生命》のあくなき追求、《人間の超越》なんだろう。
こう考えると、いったいひとは、なにを無駄あがきしてるんだろうと思う。
神になろうとして(すべての人間は何かしらの方法で神になろうとしている)、
それが不可能な現世に生まれて、
それでも不条理のなかに生きなくてはいけなくて、
どんなに辛いことか。
たとえば愛ひとつを例にとっても、明らかにこれは天上のものだ。
われわれはといえば、完璧な憧れを不完全な世界で探しだそうとしている。
もともとそこにはないものを、生成し得ないものを、
苦しむと知りながら深入りして、後悔したりする。
で、人生における最善の方策は、なるべく
何も考えずに過ごせるように、いろいろな暇つぶしを用意することとなる。
つまり一番なにも考えずに過ごしたひとが、
一等苦しみの少ない生活を送れるような仕掛けになっている。
このパラダイムを打ち破ることはできるんだろうか?
伝統社会ってのは、人間を価値の低いものだとして
苦しみを緩和し、あの世に幸福を求めたわけだけれど、
近代は、それを180度転換させてしまった。
人間は今、ハレー彗星に衝撃弾を喰らわせたりする。
つまり、僕が言いたいことは、
パラダイムをまわすとか、まわさないとか、
そういうのは全然意味がなくて、
パラダイムを打ち破ることが人間には可能なのだろうか、という疑念:
そういう疑念を、だれが責任をとって考え詰めるのか;
他人任せにしてよいのか;
少なくとも僕は人任せにできない、ということだ。
表現力 -
den 19.07.2005 edit
- 僕の脳内にある何百ccの中国語を全部日本語の増強にあてて、海外で過ごした十数年間を、東京での記憶にすり替えたら、ちょっと気の利いた文章が書けるのではないかと考えてみたりする。もちろん、僕が僕であるのは過去のおかげであって、こういう仮定は無意味なのだけれど、でも、きれいな日本語をつかうひとに出会ったりするとやはり口惜しい。
- 突出した経験と平凡な表現力を逆転させたら、と思ったりする。優秀な女性で「頭の良さをルックスと交換したい」と言った子がいるが、そういう感じだ。同じくレアであるなら、ルックスや表現力の分野のほうがいい。
- 表現力――それは黄金の穂を刈り取るための鎌のようなものだ。穂は刈り取られるのを待っている。鋭く、思想を切り裂く百錬の鎌。「創造者は同伴者を求む。相共に収穫する人を求む。彼にあっては、一切が成熟して、ただ収穫の手を待っているが故である。――ただ彼には百の鎌がない。ここを以て、彼はむなしく穂を毮り、焦慮する」『ツァラトストラ』
- 日本語や中国語や英語がごっちゃ混ぜになって、文字に落とせない。単に外付けの外国語としてではなく、《考えるプロセスたち》が頭のなかに並存している。頭のなかでは都合がよくても、外に表現ができない。
- 何語を書き言葉に選ぶか、という問題はとても重要だ。マレーシア語で純粋理性批判を語るのは不可能だし、英語で漢詩の濃さは表わせない。――言語を選ぶということは、世界の見方を選ぶということである。
......more
- 突出した経験と平凡な表現力を逆転させたら、と思ったりする。優秀な女性で「頭の良さをルックスと交換したい」と言った子がいるが、そういう感じだ。同じくレアであるなら、ルックスや表現力の分野のほうがいい。
- 表現力――それは黄金の穂を刈り取るための鎌のようなものだ。穂は刈り取られるのを待っている。鋭く、思想を切り裂く百錬の鎌。「創造者は同伴者を求む。相共に収穫する人を求む。彼にあっては、一切が成熟して、ただ収穫の手を待っているが故である。――ただ彼には百の鎌がない。ここを以て、彼はむなしく穂を毮り、焦慮する」『ツァラトストラ』
- 日本語や中国語や英語がごっちゃ混ぜになって、文字に落とせない。単に外付けの外国語としてではなく、《考えるプロセスたち》が頭のなかに並存している。頭のなかでは都合がよくても、外に表現ができない。
- 何語を書き言葉に選ぶか、という問題はとても重要だ。マレーシア語で純粋理性批判を語るのは不可能だし、英語で漢詩の濃さは表わせない。――言語を選ぶということは、世界の見方を選ぶということである。
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