中和 -
den 28.08.2005 edit
不言実行を貫徹すると自己満足に陥る恐れがあるので、そろそろこのへんで毒を抜いておく必要がある。1) 僕はなにがしたいのか;2) なぜ既存の方法ではいけないのか;3) では実際にどうするのか。三点にわけて書く。
1) 正
様々なプロパガンダや表層的な価値が、大衆を欺くことで力を獲得し、もはや形を超えた何か普遍的なモノを唱えることがタブーとなりつつある絶望的な今日、それでも僕は、暴走する世界の背後にある「流れ」そのもの捉え、わずかながらもその軌道を正したいと考えている。われわれが生きる二十一世紀は、かつてないほど商業文化が栄えているが、商業の裏にはやはり経済があり、経済は政治と絡み、政治経済は思想と、思想は哲学と、哲学は宗教と結びついているのだ。宗教の域で1ミリ軌道を変えれば、やがてそれは世界を動かす。科学とはいったい何なのか、生命以外に普遍的価値はあり得るのか、人類は果たして目的というものを持したことがあるのか。こうした問題を、誰かが真剣に考えなくてはいけない。議論というものは既存の理解範囲内でしかほとんど結果を残さないので、本当の創造というものは、誰かが独善的に殻を破り、第一の人間として限界を突破する性質のものなのだ。――そしてその責務を、僕は他人任せにはできない。
2) 反
世界を変える、人類の未来を考える、というと、もっとフツウの方法があるじゃないかと指摘される。たとえば哲学であり、たとえば文学であり、芸術、マス・メディアといった類のもの。しかし、根本的に僕は何も信用していない。いわゆる西洋哲学は人間を無視しすぎる(ヒューマニズムも含めて)傾向があるし、文学というのは支配的な思想に反逆することでその罪を暴露し、更なる悪を許す「共犯者」に過ぎない。芸術もしかり。代替的な思想は、確かに前者の否定より生まれるが、最高に優れたものは、あらゆる意味で独立し、他者に依存しない。マス・メディアなど論外だ。ニュースが人間を幸せにしたことなど一度もない。僕は三年間ニュースを見ずとも、世界を完全に知っているし、或いは全然知らない。
3) 合
では、どうするか。真剣に人類を想うということは、実は、個人としての生き方を極めることだと僕は考えている。悪の中枢たる組織に甘んずるのではなく、ひとりの人間として如何に生きるか。言い訳はなしで、どんな時代のどんな国においても通用するような人間になりたい。コンテクストに絡まれるのではなく、コンテクストを生み出すような強烈な世界観を発信する。創造こそが人間の人間たる証ではないか。……というわけで、近頃の僕は医師と写真家の仮面を手に入れようとしている。なぜなら医師と写真家は、一方的な(ヽヽヽヽ)愛の供給者であるから。
金、権力、女を手に入れて、自分の穴を補いたいなどとは微塵も思わない。シンフォニーを共に奏でる同伴者であればそれは大いに歓迎だが、僕は、自分ひとりで完成体でありたい。強烈に、美しく。
1) 正
様々なプロパガンダや表層的な価値が、大衆を欺くことで力を獲得し、もはや形を超えた何か普遍的なモノを唱えることがタブーとなりつつある絶望的な今日、それでも僕は、暴走する世界の背後にある「流れ」そのもの捉え、わずかながらもその軌道を正したいと考えている。われわれが生きる二十一世紀は、かつてないほど商業文化が栄えているが、商業の裏にはやはり経済があり、経済は政治と絡み、政治経済は思想と、思想は哲学と、哲学は宗教と結びついているのだ。宗教の域で1ミリ軌道を変えれば、やがてそれは世界を動かす。科学とはいったい何なのか、生命以外に普遍的価値はあり得るのか、人類は果たして目的というものを持したことがあるのか。こうした問題を、誰かが真剣に考えなくてはいけない。議論というものは既存の理解範囲内でしかほとんど結果を残さないので、本当の創造というものは、誰かが独善的に殻を破り、第一の人間として限界を突破する性質のものなのだ。――そしてその責務を、僕は他人任せにはできない。
2) 反
世界を変える、人類の未来を考える、というと、もっとフツウの方法があるじゃないかと指摘される。たとえば哲学であり、たとえば文学であり、芸術、マス・メディアといった類のもの。しかし、根本的に僕は何も信用していない。いわゆる西洋哲学は人間を無視しすぎる(ヒューマニズムも含めて)傾向があるし、文学というのは支配的な思想に反逆することでその罪を暴露し、更なる悪を許す「共犯者」に過ぎない。芸術もしかり。代替的な思想は、確かに前者の否定より生まれるが、最高に優れたものは、あらゆる意味で独立し、他者に依存しない。マス・メディアなど論外だ。ニュースが人間を幸せにしたことなど一度もない。僕は三年間ニュースを見ずとも、世界を完全に知っているし、或いは全然知らない。
3) 合
では、どうするか。真剣に人類を想うということは、実は、個人としての生き方を極めることだと僕は考えている。悪の中枢たる組織に甘んずるのではなく、ひとりの人間として如何に生きるか。言い訳はなしで、どんな時代のどんな国においても通用するような人間になりたい。コンテクストに絡まれるのではなく、コンテクストを生み出すような強烈な世界観を発信する。創造こそが人間の人間たる証ではないか。……というわけで、近頃の僕は医師と写真家の仮面を手に入れようとしている。なぜなら医師と写真家は、一方的な(ヽヽヽヽ)愛の供給者であるから。
金、権力、女を手に入れて、自分の穴を補いたいなどとは微塵も思わない。シンフォニーを共に奏でる同伴者であればそれは大いに歓迎だが、僕は、自分ひとりで完成体でありたい。強烈に、美しく。
