アンサイクロペディアから引用 -
**
ユーモアの質について
誰も傷つけずにユーモアだけがあれば、それは上質な記事だ。下ネタを含まずにユーモアだけがあれば、それも上質な記事だ。ちょっと知的で大いにふざけた記事は非常によい。1=2はやはり秀逸である。繰り下がりのある引き算の10未返却事件や自画自賛ながら離心率はなかなかの出来であろう。
強い者をからかうのは痛快だが、度を越すとそれは単なる中傷であり名誉毀損である。その意味で、エクストリーム・謝罪/最終ラウンド進出チームの一覧は微妙である。架空のものに対しては、どのようにからかおうが揶揄しようがお構いなしである。ただし現実世界となんの脈絡もないものをユーモアにするのは難しい。卜ヨ夕自動車のような例は古今東西よく用いられる策であろう。特定の者に対する記事以外でも、読者を不快にさせる記事は避けたい。たとえば強姦が、記事として成立しがたい理由である。小林薫なども良い記事かは議論のあるところであろう。
シリーズになったがゆえに成立するものもある。自己言及的な文章は優れたシリーズものである。読みにくい文章、あああああああああ!は言うに及ばず、ニヒリズム、再帰、冗語法、重複、盥回しなども面白い。
また、内輪のユーモアというものは非常に難しいことも書き添えたい。これは記事の成長が見込めないという点でもマイナスである。風が吹けば桶屋が儲かるが成功したのは、多くの利用者に加筆の機会を提供できたことである。その意味で、鉛筆の取り扱い説明書もある程度成功したと言える。逆に鳥羽伏見の戦いは記事としてはまとまっているものの、地方のネタであり加筆の機会も提供できなかった失敗例である。
難しいのが、会話ページやForumでどこまで真剣に、そしてどこまでユーモアたっぷりに議論できるかである。ウォーターゲート事件の証人喚問で盗聴の様子を再現するように言われ受話器を差し出されたところ、「まさかこの電話は盗聴されていないでしょうね」と言ってのけた人物は偉大である。
den 13.08.2007 edit
**
ユーモアの質について
誰も傷つけずにユーモアだけがあれば、それは上質な記事だ。下ネタを含まずにユーモアだけがあれば、それも上質な記事だ。ちょっと知的で大いにふざけた記事は非常によい。1=2はやはり秀逸である。繰り下がりのある引き算の10未返却事件や自画自賛ながら離心率はなかなかの出来であろう。
強い者をからかうのは痛快だが、度を越すとそれは単なる中傷であり名誉毀損である。その意味で、エクストリーム・謝罪/最終ラウンド進出チームの一覧は微妙である。架空のものに対しては、どのようにからかおうが揶揄しようがお構いなしである。ただし現実世界となんの脈絡もないものをユーモアにするのは難しい。卜ヨ夕自動車のような例は古今東西よく用いられる策であろう。特定の者に対する記事以外でも、読者を不快にさせる記事は避けたい。たとえば強姦が、記事として成立しがたい理由である。小林薫なども良い記事かは議論のあるところであろう。
シリーズになったがゆえに成立するものもある。自己言及的な文章は優れたシリーズものである。読みにくい文章、あああああああああ!は言うに及ばず、ニヒリズム、再帰、冗語法、重複、盥回しなども面白い。
また、内輪のユーモアというものは非常に難しいことも書き添えたい。これは記事の成長が見込めないという点でもマイナスである。風が吹けば桶屋が儲かるが成功したのは、多くの利用者に加筆の機会を提供できたことである。その意味で、鉛筆の取り扱い説明書もある程度成功したと言える。逆に鳥羽伏見の戦いは記事としてはまとまっているものの、地方のネタであり加筆の機会も提供できなかった失敗例である。
難しいのが、会話ページやForumでどこまで真剣に、そしてどこまでユーモアたっぷりに議論できるかである。ウォーターゲート事件の証人喚問で盗聴の様子を再現するように言われ受話器を差し出されたところ、「まさかこの電話は盗聴されていないでしょうね」と言ってのけた人物は偉大である。