『ドリアン・グレイの肖像』の序言 -
den 12.11.2007 edit
芸術家とは、美なるものの創造者である。
芸術を顕し、芸術家を覆い隠すことが芸術の目標である。
批評家とは、美なるものから受けた印象を、別個の様式もしくはあらたな素材に移しかえうる者をいう。
批評の最高にして最低なる形態は自叙伝形式にほかならぬ。
美なるものに醜悪な意味を見いだすのは、好ましからざる堕落者であり、それはあやまれる行為である。
美なるものに美しき意味を見いだすものは教養人であり、かかる人物こそ有望である。
美なるものにただ「美」をのみ意味しうる者こそ選民である。
道徳的な書物とか非道徳的な書物といったものは存在しない。書物は巧みに書かれているか、巧みに書かれていないか、そのどちらかである。ただそれだけでしかない。
十九世紀におけるリアリズムにたいする嫌悪は、キャリバンが鏡に映った自分の顔を見るときの怒りと異なるところがない。
十九世紀におけるロマンティシズムにたいする嫌悪は、鏡に自分の顔が映っていないといって怒るキャリバンそのままである。
人間の道徳生活が芸術家の扱う主題の一部を形成してはいる、が、芸術の道徳は、不完全な媒体を完全な方法によって処理することにこそ存する。芸術家たるものは証明せんとする意欲をもたない。いかなることも、真なることさえ証明されうるのだ。
芸術家たるものは道徳的な共感をしない。芸術家の道徳的共感は赦すべからざるスタイル上のマンネリズムである。
芸術家たる者はけっして病的ではない。芸術家はあらゆることを表現しうるのだ。
思想も言語も芸術家にとっては芸術の道具にほかならぬ。
善も悪も芸術家にとっては芸術の素材にすぎぬ。
芸術と名のつくものはすべて、形式の点より見れば音楽家の芸術を典型とし、感情の点よりすれば俳優の演技をこそその典型とすべきである。
すべて芸術は表面的であり、しかも象徴的である。
表面より下に至らんとするものは、危険を覚悟すべきである。
象徴を読み取ろうとするものは、危険を覚悟すべきである。
芸術が映し出すものは、人生を観る人間であって、人生そのものではない。
或る芸術作品に関する意見がまちまちであることは、とりもなおさず、その作品が斬新かつ複雑で、生命力に溢れていることを意味している。
批評家連の意見が一致しないとき、芸術家はまさしくおのれ自身と調和している。
有用なものを造ることは、その制作者がそのものを賛美しないかぎりにおいて赦される。無用なものを造ることは、本人がそれを熱烈に賛美するかぎりにおいてのみ赦される。
すべて芸術はまったく無用である。
オスカー・ワイルド
芸術を顕し、芸術家を覆い隠すことが芸術の目標である。
批評家とは、美なるものから受けた印象を、別個の様式もしくはあらたな素材に移しかえうる者をいう。
批評の最高にして最低なる形態は自叙伝形式にほかならぬ。
美なるものに醜悪な意味を見いだすのは、好ましからざる堕落者であり、それはあやまれる行為である。
美なるものに美しき意味を見いだすものは教養人であり、かかる人物こそ有望である。
美なるものにただ「美」をのみ意味しうる者こそ選民である。
道徳的な書物とか非道徳的な書物といったものは存在しない。書物は巧みに書かれているか、巧みに書かれていないか、そのどちらかである。ただそれだけでしかない。
十九世紀におけるリアリズムにたいする嫌悪は、キャリバンが鏡に映った自分の顔を見るときの怒りと異なるところがない。
十九世紀におけるロマンティシズムにたいする嫌悪は、鏡に自分の顔が映っていないといって怒るキャリバンそのままである。
人間の道徳生活が芸術家の扱う主題の一部を形成してはいる、が、芸術の道徳は、不完全な媒体を完全な方法によって処理することにこそ存する。芸術家たるものは証明せんとする意欲をもたない。いかなることも、真なることさえ証明されうるのだ。
芸術家たるものは道徳的な共感をしない。芸術家の道徳的共感は赦すべからざるスタイル上のマンネリズムである。
芸術家たる者はけっして病的ではない。芸術家はあらゆることを表現しうるのだ。
思想も言語も芸術家にとっては芸術の道具にほかならぬ。
善も悪も芸術家にとっては芸術の素材にすぎぬ。
芸術と名のつくものはすべて、形式の点より見れば音楽家の芸術を典型とし、感情の点よりすれば俳優の演技をこそその典型とすべきである。
すべて芸術は表面的であり、しかも象徴的である。
表面より下に至らんとするものは、危険を覚悟すべきである。
象徴を読み取ろうとするものは、危険を覚悟すべきである。
芸術が映し出すものは、人生を観る人間であって、人生そのものではない。
或る芸術作品に関する意見がまちまちであることは、とりもなおさず、その作品が斬新かつ複雑で、生命力に溢れていることを意味している。
批評家連の意見が一致しないとき、芸術家はまさしくおのれ自身と調和している。
有用なものを造ることは、その制作者がそのものを賛美しないかぎりにおいて赦される。無用なものを造ることは、本人がそれを熱烈に賛美するかぎりにおいてのみ赦される。
すべて芸術はまったく無用である。
オスカー・ワイルド