山脈を抜けるアタマ -
先日絵画の醍醐味について書いたが、実は絵だけではなく、要するに僕は外の世界に興味を抱くようになったのだと気がついた。尤も実存主義的な価値観からすれば、歴史もニュースも、自己の内部世界に影響を与えるただの「要素」としての意味しかない。しかし、今の僕の目には、Yahoo!がMicrosoftに飲み込まれそうなことも、ガザの再び閉じられた壁も、北京オリンピックに対する中国人の熱狂的期待も、それなりに面白くみえるのである。
その原因は、やはり人間だろう。今になって僕はようやく、誰がその事件の背後にいるのか、ということを考えるようになった。そしてその人物の容姿、キャリア、家族構成が気になる。例えばJerry Yang。Yahoo!の創立者のひとりで、現任CEO。YangはGoogleのCEOと先週末に電話会談し、数兆円規模の吸収合併について、またその実現が「インターネット」に与える影響について話し合ったという。彼は自称中国系アメリカ人(台湾生まれ)、妻は日本人の山崎アキコ、共にスタンフォード大学の京都合宿に参加し、知り合ったという。同大学には1000億円程度の寄付を約束。他にも東アジア関連の図書館や研究所に寄付活動をしてる。資産は2.2billion USD (2007)、米誌フォーブスによれば世界長者番付で432位とのことだ。
僕自身はこういう権力の「山」になることはない。なぜなら権力なんて他人のを使えばいいと思っているから。肝心なのは権力の「山脈」を抜けるアタマだ。ーーと仕事上常にそういう頭の動かし方をしているからか、今は人間の(丶丶丶)構成する社会が面白いのである。
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日本や中国には、よく「西洋と東洋のちがい」を強調する評論があるが、これは片思いというやつだ。西洋人はまったく気にすらしていない。我々のいう「東洋」という東アジア地域を、ヨーローッパの相対事項だとすら考えていない。彼らからすれば、外の世界は多くの方向に分散しているのであり(つまり中東、中国、南米、アフリカ、オセアニア)、別に日本の一輪挿しと西洋の百の花束を、哲学的に比較することに興味はない。
しかし悲しいことに現代の我々は(非西欧人というくくり)、そういう片思いの教育を受けてきたし、現実に西欧との比較のなかで世界はなりなっているので、誰だって「西洋と東洋のちがい」なるものを意識している。僕の考える西洋と東洋のちがいは、以下のような場合に顕著に表れる。
例えばある者が家を建てようと思ったとする。西洋人の思考モデルはこうだー①どんなものがいいか(場所、広さ、デザイン)、②いくら金が必要か、③どうやって金を集める(稼ぐ、借りる、返す)か。それが、典型的な日本人ならこうなるー①いくら金があるか(貯金、ローン)、②それで何が買えるか、③どこで妥協するか(立地、広さ、築年数)。会社経営でもなんでもそうだ。同じ思考モデルが当てはまる。
一見するとこれは単純な富の格差のようにも考えられるが、僕はちがうと思っている。むしろ富の格差は結果であって原因ではない。それは“現在→未来”志向に生きるか、“現在→過去”志向に生きるか、の時間捉え方(というとまた「結局富のちがいだ」と言われそうだけど)が異なるのである。
むろん西洋的な思考をしたからといって誰もが好きなところに大きな家を建てられるという意味ではない。成功者もいれば敗北者もいる。
たが、西洋では成功した者が惜しみもなくお金を使い、夢に描いていた家や街をつくるので、結果として街全体が美しくなる。もちろん新興や没落を経てその家の持ち主は変わるが、富はこうして蓄積される。持てる金で最大の「妥協」をする日本はそうならない。結果として、街全体が妥協になる。
ポケットの金をどうやって効率的に使うか、を日本人は常に考えてきたので、安さ・便利さが社会の中心的な価値となった。それはそれでいい。西洋ではどうやってポケットにない金を使うか、が目玉となったので、金融が栄えた、というのはちょっと言いすぎだろうか。
den 04.02.2008 edit
先日絵画の醍醐味について書いたが、実は絵だけではなく、要するに僕は外の世界に興味を抱くようになったのだと気がついた。尤も実存主義的な価値観からすれば、歴史もニュースも、自己の内部世界に影響を与えるただの「要素」としての意味しかない。しかし、今の僕の目には、Yahoo!がMicrosoftに飲み込まれそうなことも、ガザの再び閉じられた壁も、北京オリンピックに対する中国人の熱狂的期待も、それなりに面白くみえるのである。
その原因は、やはり人間だろう。今になって僕はようやく、誰がその事件の背後にいるのか、ということを考えるようになった。そしてその人物の容姿、キャリア、家族構成が気になる。例えばJerry Yang。Yahoo!の創立者のひとりで、現任CEO。YangはGoogleのCEOと先週末に電話会談し、数兆円規模の吸収合併について、またその実現が「インターネット」に与える影響について話し合ったという。彼は自称中国系アメリカ人(台湾生まれ)、妻は日本人の山崎アキコ、共にスタンフォード大学の京都合宿に参加し、知り合ったという。同大学には1000億円程度の寄付を約束。他にも東アジア関連の図書館や研究所に寄付活動をしてる。資産は2.2billion USD (2007)、米誌フォーブスによれば世界長者番付で432位とのことだ。
僕自身はこういう権力の「山」になることはない。なぜなら権力なんて他人のを使えばいいと思っているから。肝心なのは権力の「山脈」を抜けるアタマだ。ーーと仕事上常にそういう頭の動かし方をしているからか、今は人間の(丶丶丶)構成する社会が面白いのである。
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日本や中国には、よく「西洋と東洋のちがい」を強調する評論があるが、これは片思いというやつだ。西洋人はまったく気にすらしていない。我々のいう「東洋」という東アジア地域を、ヨーローッパの相対事項だとすら考えていない。彼らからすれば、外の世界は多くの方向に分散しているのであり(つまり中東、中国、南米、アフリカ、オセアニア)、別に日本の一輪挿しと西洋の百の花束を、哲学的に比較することに興味はない。
しかし悲しいことに現代の我々は(非西欧人というくくり)、そういう片思いの教育を受けてきたし、現実に西欧との比較のなかで世界はなりなっているので、誰だって「西洋と東洋のちがい」なるものを意識している。僕の考える西洋と東洋のちがいは、以下のような場合に顕著に表れる。
例えばある者が家を建てようと思ったとする。西洋人の思考モデルはこうだー①どんなものがいいか(場所、広さ、デザイン)、②いくら金が必要か、③どうやって金を集める(稼ぐ、借りる、返す)か。それが、典型的な日本人ならこうなるー①いくら金があるか(貯金、ローン)、②それで何が買えるか、③どこで妥協するか(立地、広さ、築年数)。会社経営でもなんでもそうだ。同じ思考モデルが当てはまる。
一見するとこれは単純な富の格差のようにも考えられるが、僕はちがうと思っている。むしろ富の格差は結果であって原因ではない。それは“現在→未来”志向に生きるか、“現在→過去”志向に生きるか、の時間捉え方(というとまた「結局富のちがいだ」と言われそうだけど)が異なるのである。
むろん西洋的な思考をしたからといって誰もが好きなところに大きな家を建てられるという意味ではない。成功者もいれば敗北者もいる。
たが、西洋では成功した者が惜しみもなくお金を使い、夢に描いていた家や街をつくるので、結果として街全体が美しくなる。もちろん新興や没落を経てその家の持ち主は変わるが、富はこうして蓄積される。持てる金で最大の「妥協」をする日本はそうならない。結果として、街全体が妥協になる。
ポケットの金をどうやって効率的に使うか、を日本人は常に考えてきたので、安さ・便利さが社会の中心的な価値となった。それはそれでいい。西洋ではどうやってポケットにない金を使うか、が目玉となったので、金融が栄えた、というのはちょっと言いすぎだろうか。