一つの人生は物足りないので -
- 禅宗や日の丸に象徴されるように、日本人はすっきりしたものが好きだ。単純に力強いもの、余計な装飾を排除したものー菊と刀。シンプリシティへの信仰は、物にとどまらず、出来事においても反映される。たとえば職人魂。一筋に何かを信じ、どんな犠牲を払ってでもその潔白さを守ることは日本人の美徳とされる。それは、逆に言えば、シンプルでないものを嫌うということだ。単一の存在の中に雑多な心、変化、異文化が含まれることは容認ならぬわけだ。
- 信じていないことも信じてしまわねば、迫真の演技はできない。「この世に絶対的な善悪がない以上、どんな人間も(金持でも貧乏でも、右翼でも左翼でも)それなりの正当性がある」という哲学的諦観を前提(主幹)として、客観的に自分の様々な引き出し(枝)を増やしていくことは、僕は有りだと思うようになった。というか、そういう複雑な生き方を、頭をフル回転させて実行している人間を目撃して、ようやく僕も自分も生きる道を見いだした、という方が的確だ。結局、僕は若かった。世界の一部になるのではなく、世界そのものになること。僕は世界を構成するひとつの原子ではなく、時とともに化学反応を起こしながら世界そのものの複雑さを自分の中に取り込んでしまおうと考えている。
den 11.02.2008 edit
- 禅宗や日の丸に象徴されるように、日本人はすっきりしたものが好きだ。単純に力強いもの、余計な装飾を排除したものー菊と刀。シンプリシティへの信仰は、物にとどまらず、出来事においても反映される。たとえば職人魂。一筋に何かを信じ、どんな犠牲を払ってでもその潔白さを守ることは日本人の美徳とされる。それは、逆に言えば、シンプルでないものを嫌うということだ。単一の存在の中に雑多な心、変化、異文化が含まれることは容認ならぬわけだ。
- 信じていないことも信じてしまわねば、迫真の演技はできない。「この世に絶対的な善悪がない以上、どんな人間も(金持でも貧乏でも、右翼でも左翼でも)それなりの正当性がある」という哲学的諦観を前提(主幹)として、客観的に自分の様々な引き出し(枝)を増やしていくことは、僕は有りだと思うようになった。というか、そういう複雑な生き方を、頭をフル回転させて実行している人間を目撃して、ようやく僕も自分も生きる道を見いだした、という方が的確だ。結局、僕は若かった。世界の一部になるのではなく、世界そのものになること。僕は世界を構成するひとつの原子ではなく、時とともに化学反応を起こしながら世界そのものの複雑さを自分の中に取り込んでしまおうと考えている。