僕の世代 -
den 14.03.2008 edit
なにかを書く過程で自分を包み隠してしまうのは残念なことだ。「虫けらの死」と「切符を加えた女」を読み返してそう思った。物語を語るのはむずかしい。過去ではなく、現在としての生きた物語。心情を一刻一刻丁寧に書き記すこと、かつ物語に事件性が備わっていることーこれは相反する命題だ。Look BackなのかLook Forwardなのか。見返るのは自分であり、見越すのは自分が作り出した誰かだ。
偽りのないように書くこと。誤摩化さない、絶対に誤摩化さない、死んでも誤摩化さないこと。胡散臭かったらすぐに止めたほうがいい。
僕の世代は、無の世代だー70年代後半から80年代前半の若者たち。僕らにとっては「絶望」や「嘔吐」すら古く、かといって80年代後半の子どもたちのように「仮想空間」へ逃避することも現実味がない。僕らの世代は(そんなものがあるとしたら)、死にながら生きている。僕らは無表情だ。絶望する力もない。苦い顔をするのもバカらしい。僕らは、能面のように、死体を引きずって生きているのだ。
偽りのないように書くこと。誤摩化さない、絶対に誤摩化さない、死んでも誤摩化さないこと。胡散臭かったらすぐに止めたほうがいい。
僕の世代は、無の世代だー70年代後半から80年代前半の若者たち。僕らにとっては「絶望」や「嘔吐」すら古く、かといって80年代後半の子どもたちのように「仮想空間」へ逃避することも現実味がない。僕らの世代は(そんなものがあるとしたら)、死にながら生きている。僕らは無表情だ。絶望する力もない。苦い顔をするのもバカらしい。僕らは、能面のように、死体を引きずって生きているのだ。
切符をくわえた女 -
“Excuse me!" ーバス停に立っていると突然後ろから怒鳴られた。振り返るとベビーカーを押した女性が立っていた。彼女はひどく苛立っていたが、目は僕を見ていなかった。とにかく僕の前に止まった14番のバスに乗りたいようだった。でも、僕は単にそこにいた(丶丶丶丶丶)という理由だけで、苛立をなすり付けられるのは不当だと思った。子を抱えた自分は譲歩に値するのであり、つねに正当なのであり、道を譲らぬあなた方は道徳の敵だ、と信じて疑わないその表情に僕は耐えられなかった。そのような母性は、世界を敵にまわしてでも14番に乗りたい、という狂気だった。しかも僕と彼女とバスの乗り口は「斜め」の位置関係で、僕は何もバスの乗口の真ん前に突っ立てたいたわけではない。彼女は近道をするのに僕に喧嘩を売ったわけだ。近道のために!そこに彼女の正当性と僕の正当性が衝突した。しかしー現実には、僕は聞こえもしないような弱い声で"Sorry"と言って後ずさってしまった。バスは出発の間際だったし、第一、何と言って良いかわからなかった。「君と僕とバスは、斜め(丶丶)の位置関係なんですよ」とでも……?彼女は「だからなによ」とでも言うに違いない。
僕は自分の反射的な善意を悔いた。人は闘うべき時は闘うべきなのだ。それが女であろうと、子であろうと、或いは獰猛な悪魔であろうと、相手によって自らの判断を誤っていはいけない。
が、時はすでに遅かった。僕はすでに道を譲っていたし、彼女はベビーカーを押してバスの方に急いでいた。ふと、僕は「切符をくわえた女」を思いだした。口に切符をくわえてベビーカーを押す女に遭遇したのが二日前で、その時も僕は背中にぞっとするような悪感を覚えたのだ。物を口にくわえるという行為には、気のせいかもしれないが、両手を自由にして他の動作をさせる以上の不純な動機があるように僕には思える……。そのような事を考えていると、ガンッと目の前でものすごい音がした。見ると、先ほどの女がバスの両ドアに挟まれ、ベビーカーごと必死にもがいていた。そしてバスの中には彼女の夫らしき男が、もう一台の双子用ベビーカーを手に呆然と立っていた(彼女は大勢の連れがいたわけだ)。数秒の間、場はシンと静まりかえった。狂った女は一人でもがいていた。誰も救いの手を差し伸べはしなかった。なぜか、僕は「ざまあみろ、中産階級!」と心の中で思った。
den 14.03.2008 edit
“Excuse me!" ーバス停に立っていると突然後ろから怒鳴られた。振り返るとベビーカーを押した女性が立っていた。彼女はひどく苛立っていたが、目は僕を見ていなかった。とにかく僕の前に止まった14番のバスに乗りたいようだった。でも、僕は単にそこにいた(丶丶丶丶丶)という理由だけで、苛立をなすり付けられるのは不当だと思った。子を抱えた自分は譲歩に値するのであり、つねに正当なのであり、道を譲らぬあなた方は道徳の敵だ、と信じて疑わないその表情に僕は耐えられなかった。そのような母性は、世界を敵にまわしてでも14番に乗りたい、という狂気だった。しかも僕と彼女とバスの乗り口は「斜め」の位置関係で、僕は何もバスの乗口の真ん前に突っ立てたいたわけではない。彼女は近道をするのに僕に喧嘩を売ったわけだ。近道のために!そこに彼女の正当性と僕の正当性が衝突した。しかしー現実には、僕は聞こえもしないような弱い声で"Sorry"と言って後ずさってしまった。バスは出発の間際だったし、第一、何と言って良いかわからなかった。「君と僕とバスは、斜め(丶丶)の位置関係なんですよ」とでも……?彼女は「だからなによ」とでも言うに違いない。
僕は自分の反射的な善意を悔いた。人は闘うべき時は闘うべきなのだ。それが女であろうと、子であろうと、或いは獰猛な悪魔であろうと、相手によって自らの判断を誤っていはいけない。
が、時はすでに遅かった。僕はすでに道を譲っていたし、彼女はベビーカーを押してバスの方に急いでいた。ふと、僕は「切符をくわえた女」を思いだした。口に切符をくわえてベビーカーを押す女に遭遇したのが二日前で、その時も僕は背中にぞっとするような悪感を覚えたのだ。物を口にくわえるという行為には、気のせいかもしれないが、両手を自由にして他の動作をさせる以上の不純な動機があるように僕には思える……。そのような事を考えていると、ガンッと目の前でものすごい音がした。見ると、先ほどの女がバスの両ドアに挟まれ、ベビーカーごと必死にもがいていた。そしてバスの中には彼女の夫らしき男が、もう一台の双子用ベビーカーを手に呆然と立っていた(彼女は大勢の連れがいたわけだ)。数秒の間、場はシンと静まりかえった。狂った女は一人でもがいていた。誰も救いの手を差し伸べはしなかった。なぜか、僕は「ざまあみろ、中産階級!」と心の中で思った。