存在意義としての棘・第三者 -
1 初めからその男が僕は好きになれなかった。生理的にどうしても受け付けられないものがあった。彼の笑みはどこか含みがあるし、声がねっとり湿っていた。きっと同性愛なのだろう、と僕は踏んだ。でも初めて対面したとき、僕は彼のそのコートを誉めた。「いいコートですね」と、僕は言った。他に誉めるものもなく、(まるで女性を誉めるように)彼の身につけていた洋服を誉めたのだが、「これは2シーズン遅れなんだ」と、彼は言った。それはどこか癪にさわる答えだった。
彼は彼の方で、生理的に中国人が気に入らないようであった。そして根からの人種主義者であることをまるで隠す様子もなく、その男は悪臭を四面八方に放った。明らかに二等の人間を見る眼差しで、はじめから僕の価値を一方的に決めつけていた。そのうえに彼は、トイレの消臭剤をシュッシュッと吹きかけるように、形式的な丁寧さを装ってみせたが、僕にはもちろんその裏の本意が見え透けていた。彼も敢えて見え透けるほどのスプレーしかかけなかった。
僕らは一目で憎悪に落ちた。それはまるで運命の女性と一目で恋に落ちるような性質の雷だったが、僕のその男のあいだに落ちたのは憎悪の雷だった。僕は同性愛かつ人種主義者の彼をどうしても許せなかったし、彼は中国人の顔をして仕立てのいいスーツを着ている僕がどうしても許せなかった。僕らは瞬時にして暗闘状態に突入した。僕らはどちらも黙っていた。この種の恥ずべき差別感情を僕も彼も一般社会の常識に照会するわけにいかなかった。第三者の裁判にかけるということは、自らの非を認めてしまう事に他ならなかった。憎悪はまるで独立した生き物のように、僕の心に生息した。考えれば考えるほど、血が沸騰した。それは巨大なエネルギーだった。エネルギーの源に入り込んでいけば、心に刺さったな棘にたどり着くだろうと思った。棘は小さく、しかし致命的に刺さっていた。棘を抜き去ることは同時に命を失うような気がした。だから僕も彼も黙っていた。それは我々の決闘だった。銃弾は一発(丶丶)しか込められていないのだ。
***
2 闘いの火ぶたが切って落とされたのは、我々が代理戦争の駒を見つけた時だった。ひとつの小さな事件を通して、僕らはあらゆる人間を駒に見立て、ゲームに巻き込み、戦さを展開した。相手が倒れるまでは自分も絶対に譲れない。疲労が頂点を迎えても我々はどちらも止まることを知らなかった。譲歩するということは、すなわち自己の決壊を意味した。我々の存在意義は今や「自分がいかに正しいか」を証明する事の中に横たわっていた。それ以外のすべてはまやかしに過ぎなかった。こうして、我々は証明(丶丶)において生まれた善悪を振りかざし、闘いをつづけた。
こうして、何時終わるともしれない闘いが50年続いた。遠い過去の出来事として、今振り返る僕の心境はこうだー
それは「わたし」対「かれら」ではない。われわれは、われわれとかれらとその他多くのもので構成されており、かれらは、かれらとわれわれとその他多くのもので構成されている。大切な事は、われわれのなかのかれらとかれらがまず手を結び、かれらのなかのわれわれとわれわれがまず手を結ぶことだ。証明とは常に第三者に対して行なわれる行為であり、われわれとかれらの本当の敵は、そんなものがあるとすれば、それは「第三者」なのだ、と。
den 21.03.2008 edit
1 初めからその男が僕は好きになれなかった。生理的にどうしても受け付けられないものがあった。彼の笑みはどこか含みがあるし、声がねっとり湿っていた。きっと同性愛なのだろう、と僕は踏んだ。でも初めて対面したとき、僕は彼のそのコートを誉めた。「いいコートですね」と、僕は言った。他に誉めるものもなく、(まるで女性を誉めるように)彼の身につけていた洋服を誉めたのだが、「これは2シーズン遅れなんだ」と、彼は言った。それはどこか癪にさわる答えだった。
彼は彼の方で、生理的に中国人が気に入らないようであった。そして根からの人種主義者であることをまるで隠す様子もなく、その男は悪臭を四面八方に放った。明らかに二等の人間を見る眼差しで、はじめから僕の価値を一方的に決めつけていた。そのうえに彼は、トイレの消臭剤をシュッシュッと吹きかけるように、形式的な丁寧さを装ってみせたが、僕にはもちろんその裏の本意が見え透けていた。彼も敢えて見え透けるほどのスプレーしかかけなかった。
僕らは一目で憎悪に落ちた。それはまるで運命の女性と一目で恋に落ちるような性質の雷だったが、僕のその男のあいだに落ちたのは憎悪の雷だった。僕は同性愛かつ人種主義者の彼をどうしても許せなかったし、彼は中国人の顔をして仕立てのいいスーツを着ている僕がどうしても許せなかった。僕らは瞬時にして暗闘状態に突入した。僕らはどちらも黙っていた。この種の恥ずべき差別感情を僕も彼も一般社会の常識に照会するわけにいかなかった。第三者の裁判にかけるということは、自らの非を認めてしまう事に他ならなかった。憎悪はまるで独立した生き物のように、僕の心に生息した。考えれば考えるほど、血が沸騰した。それは巨大なエネルギーだった。エネルギーの源に入り込んでいけば、心に刺さったな棘にたどり着くだろうと思った。棘は小さく、しかし致命的に刺さっていた。棘を抜き去ることは同時に命を失うような気がした。だから僕も彼も黙っていた。それは我々の決闘だった。銃弾は一発(丶丶)しか込められていないのだ。
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2 闘いの火ぶたが切って落とされたのは、我々が代理戦争の駒を見つけた時だった。ひとつの小さな事件を通して、僕らはあらゆる人間を駒に見立て、ゲームに巻き込み、戦さを展開した。相手が倒れるまでは自分も絶対に譲れない。疲労が頂点を迎えても我々はどちらも止まることを知らなかった。譲歩するということは、すなわち自己の決壊を意味した。我々の存在意義は今や「自分がいかに正しいか」を証明する事の中に横たわっていた。それ以外のすべてはまやかしに過ぎなかった。こうして、我々は証明(丶丶)において生まれた善悪を振りかざし、闘いをつづけた。
こうして、何時終わるともしれない闘いが50年続いた。遠い過去の出来事として、今振り返る僕の心境はこうだー
それは「わたし」対「かれら」ではない。われわれは、われわれとかれらとその他多くのもので構成されており、かれらは、かれらとわれわれとその他多くのもので構成されている。大切な事は、われわれのなかのかれらとかれらがまず手を結び、かれらのなかのわれわれとわれわれがまず手を結ぶことだ。証明とは常に第三者に対して行なわれる行為であり、われわれとかれらの本当の敵は、そんなものがあるとすれば、それは「第三者」なのだ、と。