旅写真 -
den 12.06.2008 edit
小話 -
- ポタラ宮を参拝した際、保安担当者の不手際で預けておいたはずの日焼け止めオイルが紛失してしまった。「申し訳ないので代わりに・・・」と言って、彼は、他の参拝者から没収したチベット・ナイフを三本くれた。
- 四川地震の後被災地でトイレ掃除をしていると、用を足しにきたおばさんが「若いのにえらいわねえ。ボランティアの方?」と話しかけてきた。「ボランティアというか義務に近いけど、まあボランティアのようなもです。ここに消毒液と掃除用具を置いて行きますから、僕のいなくなった後はどうか被災者のみなさんで使ってください」と言ったら、「あなたのような有望な若者は国家と共産党の柱になるわ!」といってまったく関係ない返事をされた。さらにはキリスト教の集会のビラを渡され、「主はあなたを守るわよ」と言い残して去って行った。トイレは話題に登らなかった。
- バンコクで閑なので映画館に行った。タイのカメラマンがラオスでツアーガイドの女の子と恋に落ちる話。ひととおり宣伝が終わると、タイ国王の映像が銀幕に出現、観客は全員総立ちして国歌を斉唱した。
- 大韓航空の機内で突然頭上のランプ・シェードが落ちてきた。客室乗務員がニタニタしてやってきたので、「笑い事じゃない!」と怒ると、赤ワインを一本をくれた。
- カトマンズでボートの川下りに行った。ネパール人ばかりで外国人は僕一人だけだった。上流から出発して四時間ひたすら漕ぎっぱなし・・・ネパール人たちは大はしゃぎで歌を歌い、川に飛び込み、橋の上の女の子に手を振り、いくつかライチを投げてもらった。甘くてジューシーだった。
den 11.06.2008 edit
- ポタラ宮を参拝した際、保安担当者の不手際で預けておいたはずの日焼け止めオイルが紛失してしまった。「申し訳ないので代わりに・・・」と言って、彼は、他の参拝者から没収したチベット・ナイフを三本くれた。
- 四川地震の後被災地でトイレ掃除をしていると、用を足しにきたおばさんが「若いのにえらいわねえ。ボランティアの方?」と話しかけてきた。「ボランティアというか義務に近いけど、まあボランティアのようなもです。ここに消毒液と掃除用具を置いて行きますから、僕のいなくなった後はどうか被災者のみなさんで使ってください」と言ったら、「あなたのような有望な若者は国家と共産党の柱になるわ!」といってまったく関係ない返事をされた。さらにはキリスト教の集会のビラを渡され、「主はあなたを守るわよ」と言い残して去って行った。トイレは話題に登らなかった。
- バンコクで閑なので映画館に行った。タイのカメラマンがラオスでツアーガイドの女の子と恋に落ちる話。ひととおり宣伝が終わると、タイ国王の映像が銀幕に出現、観客は全員総立ちして国歌を斉唱した。
- 大韓航空の機内で突然頭上のランプ・シェードが落ちてきた。客室乗務員がニタニタしてやってきたので、「笑い事じゃない!」と怒ると、赤ワインを一本をくれた。
- カトマンズでボートの川下りに行った。ネパール人ばかりで外国人は僕一人だけだった。上流から出発して四時間ひたすら漕ぎっぱなし・・・ネパール人たちは大はしゃぎで歌を歌い、川に飛び込み、橋の上の女の子に手を振り、いくつかライチを投げてもらった。甘くてジューシーだった。
脱・悟りの傾向 -
- 旅は人をアンワインド(unwind)する。社会のねじであることを中断して、ひとり外から世界をながめる。
- 唯一の問題は生産である。社会とコンタクトする面/点は小さい方がよい(すくなくとも僕には向いている)が、その一瞬の交易で暮らしていけるほど、自分が豊かであり、自発的に仕事できることが隠遁生活の基本条件である。
- 人は結局生産しなければいけない。それが他人の鞭に叩かれてやる仕事なのか、あるいは自分で自分に課したノルマなのかは、実は先の決意の違いであって、「総仕事量」はさほど変わらないものだ。
- 今に生きること。今に在りながら過去に生きる人間は、何らかの欠陥を隠している。未来にしか希望を抱けない者もしかり。
- 今に生きる、ということは、変化を積極的に受け入れるということだ。あらゆる物事が変わるに本来善悪はない。
- 確かに真理は真理だ。真理はユニーバサルだ。でもだから何だ?ユニバーサルなのは自然だけでいい。この世の圧倒的多数のものはユニバーサルだ。人間もユニバーサルだ。ならばユニークなのは、ユニバーサリティではない。ユニークでないもののは僕をドライブしない。
- "News"とは文字通り"News"だったのか・・・
- 悟りを得たものと自負するならば、さらに座禅で自閉を続ける必要はなく、逆に真理からも開き直って日々をマックスに生きるべし。
- さてマックスに生きるとはいかなることか・・・?なんじは長き闘病生活がために生きる術を忘れたのではないか?
den 11.06.2008 edit
- 旅は人をアンワインド(unwind)する。社会のねじであることを中断して、ひとり外から世界をながめる。
- 唯一の問題は生産である。社会とコンタクトする面/点は小さい方がよい(すくなくとも僕には向いている)が、その一瞬の交易で暮らしていけるほど、自分が豊かであり、自発的に仕事できることが隠遁生活の基本条件である。
- 人は結局生産しなければいけない。それが他人の鞭に叩かれてやる仕事なのか、あるいは自分で自分に課したノルマなのかは、実は先の決意の違いであって、「総仕事量」はさほど変わらないものだ。
- 今に生きること。今に在りながら過去に生きる人間は、何らかの欠陥を隠している。未来にしか希望を抱けない者もしかり。
- 今に生きる、ということは、変化を積極的に受け入れるということだ。あらゆる物事が変わるに本来善悪はない。
- 確かに真理は真理だ。真理はユニーバサルだ。でもだから何だ?ユニバーサルなのは自然だけでいい。この世の圧倒的多数のものはユニバーサルだ。人間もユニバーサルだ。ならばユニークなのは、ユニバーサリティではない。ユニークでないもののは僕をドライブしない。
- "News"とは文字通り"News"だったのか・・・
- 悟りを得たものと自負するならば、さらに座禅で自閉を続ける必要はなく、逆に真理からも開き直って日々をマックスに生きるべし。
- さてマックスに生きるとはいかなることか・・・?なんじは長き闘病生活がために生きる術を忘れたのではないか?
糞と民族と毛主義の重み -
四川地震後、被災地で僕の目についたのは、死体でもなく倒壊した家屋でもなく、中国人の惰性であった。ゴミが散乱し、公衆便所からは悪臭が漂う。便器の横には糞や血だらけのティッシュ類が日に日に積もり、尿とも糞とも知れぬ黄色い液体が足元に溜まる。蝿が群がり、行人は鼻をつまむ。なのに被災者は被害者顔でテントに寝ている。彼らは助けを待っているのだ。地震で親愛なる家族を失い、貴重な財産を失ったので、当然誰かが自分の尻を拭きに来てくれるだろう、といわんばかりに!一方では、メディアに扇動された中国世論は「愛国」の一点で沸騰している。企業の献金は70億元に達し、全国の人民広場では学生が泣き、キャンドルを灯し、国歌を斉唱した。「起ちあがれ! 奴隷となることを望まぬ人びとよ!我らの血肉を以って新たな長城を築こう!中華民族に最大の危機がせまり一人ひとりが最後の咆哮をあげる時だ。起て! 起て! 起ちあがれ!」毎晩各地で若者が泣き叫ぶ様子がテレビで放映される。
だが僕が思うには、皆自宅に帰って家の便器を磨いたほうが、生命の尊重という意味ではよほど我が中華民族にとって意義深かったのではないだろうか。被災者が悲しみに耽ることの正当性は認める。しかし、それは逆に与えられたテントのなかで与えられたインスタント麺を啜っていればいい理由とはならない。トイレを洗うことに70億元の寄付はいらないし、人民解放軍の英雄美談すら必要ない。必要なのは、ただ自分の尻を拭くことだけだ。それは被災地のみの抱える問題ではなく、我が中華民族が失った最も基本的な人間としての素質のひとつである。
5月25日、おそらく僕はラサに到着した唯一の旅行客だった。その証拠に翌日の午後に訪れたポタラ宮は独り占めだった。チベット事件から2ヶ月経った今も、多くの建物が焼かれ、打ち壊されたままに放置されている。兵隊が昼夜を問わず通りを行進する。僕は現地に住む人々に話を聞いてまわった。なかでも最も衝撃的だったのが、ラサに住むあるイスラム教徒がチベット人暴徒らによって柱にはりつけられ、耳をそぎ落とされ、油を浴びせられて燃やされたという話だ。地面を転げまわって死んだという。ラサでは近年モスクが建設され、イスラム教徒も移住していた。3月14日の事件当時、イスラム教徒とチベット仏教徒の暴徒らが激突、互いの寺院を攻撃し合った。ラサ市東部(主にチベット原住民が住む地域)はたちまち封鎖され、西側の漢民族の地域ではすべての店がシャッターを下ろし、家に避難した。しかし野次馬で東部に出かけた何人かの漢族や満族は、チベット族の刀によって血祭りに上げられた。
国際世論ではチベットとダライ・ラマは神聖で、中国が侵略してその素晴らしい文化を破壊しているという論調が主だ。特に西欧は、自分たちがマヤやアフリカの文化を破壊したのが忍びなく、象徴的な意味でチベットを崇拝している。事実もまさにその通りで、チベット問題は漢族とチベット族という民族間の対立というよりは、古きよき中世的価値観と現代の経済市場主義の矛盾といったほうが近い。実際中国政府は巨額を投じてチベット地域のインフラを整え、電気や交通網を広げた。チベットの文化を壊しているのは、漢民族の同化政策ではないといえば嘘になるが、電気や交通のテクノロジーの影響も劣らず大きいのだ。では、われわれはチベットには電気なんて通らないほうがよかった、と言えるか?民族と民族の衝突、新しいテクノロジーと伝統の衝突は、今に始まったことではない。ユーラシア・プレートとインド・プレートは、今でも激突しているからこそエベレストの高みが生まれるわけだ。ただ弱者の味方をすれば善になるということではない。瞑想よりも戦争を、憂鬱よりも宴会を楽しんでならぬという理屈もない。
ヒマラヤ山脈を越え、カトマンズに到着したのは、ネパールが共和制を宣言して三日後だった。海抜5000メートル級の道なき道を進み、深夜の検閲所を五つ越えた。(五回登記し、五回荷物を調べられた)眼下に広がる雲海が美しかった。途中からは下る一方で、この旅を通して僕はアジア一帯の文化的つながりを実感することになった。ヒマラヤ山脈を越えると、人間も気候も、一気にインド圏に入る。
ここのところネパールでは毛沢東主義者が他二大政党と憲法や大統領と首相の任命をめぐって日々論争してる。国家の基盤を固め、将来の行方を定める大事な時期だ。なぜいまさら毛沢東?と疑問に思ったが、この国では過去君主制も民主主義もうまくはいかず、国民の生活に変化がないという苛立ちが募っているのだ。"True, there was widespread cheating and intimidation but let he [Maoists] who hasn't sinned cast the first stone."とというネパーリ・タイムスの社説が国民の本音でもあろう。ギャネンドラ旧国王は今日(2008年6月6日)にも宮廷を追放されるという話で、中国との関係についてこんなコメントをしている。「(カトマンズとラサを結ぶ幹線道路の建設計画について意見を訊かれて)共産主義はタクシーで運ばれては来ない」−さすが国王だ。こんなにセンスのいい国王なら国家の象徴として王宮に残すほうがネパールにとっては得なのではないか、と知り合ったネパール人に尋ねてみると意外な答えが返ってきた。
「ネパール人はなにもわかっていないんです。選挙だって文字ではなく絵で投票したんですよ。候補者のイラストを選んで集計したんです。そんな人たちに民主主義と君主制の違いがわかると思いますか?」と。
また、別の人はこんなことを言っていた。
「カトマンズでは王政廃止が決まった日に多くの人がヘルメットを脱ぎました。だって民主主義って、ヘルメットなしでバイクに乗れるということでしょう?」
うーむ、ますます目が離せない国だ。
den 06.06.2008 edit
四川地震後、被災地で僕の目についたのは、死体でもなく倒壊した家屋でもなく、中国人の惰性であった。ゴミが散乱し、公衆便所からは悪臭が漂う。便器の横には糞や血だらけのティッシュ類が日に日に積もり、尿とも糞とも知れぬ黄色い液体が足元に溜まる。蝿が群がり、行人は鼻をつまむ。なのに被災者は被害者顔でテントに寝ている。彼らは助けを待っているのだ。地震で親愛なる家族を失い、貴重な財産を失ったので、当然誰かが自分の尻を拭きに来てくれるだろう、といわんばかりに!一方では、メディアに扇動された中国世論は「愛国」の一点で沸騰している。企業の献金は70億元に達し、全国の人民広場では学生が泣き、キャンドルを灯し、国歌を斉唱した。「起ちあがれ! 奴隷となることを望まぬ人びとよ!我らの血肉を以って新たな長城を築こう!中華民族に最大の危機がせまり一人ひとりが最後の咆哮をあげる時だ。起て! 起て! 起ちあがれ!」毎晩各地で若者が泣き叫ぶ様子がテレビで放映される。
だが僕が思うには、皆自宅に帰って家の便器を磨いたほうが、生命の尊重という意味ではよほど我が中華民族にとって意義深かったのではないだろうか。被災者が悲しみに耽ることの正当性は認める。しかし、それは逆に与えられたテントのなかで与えられたインスタント麺を啜っていればいい理由とはならない。トイレを洗うことに70億元の寄付はいらないし、人民解放軍の英雄美談すら必要ない。必要なのは、ただ自分の尻を拭くことだけだ。それは被災地のみの抱える問題ではなく、我が中華民族が失った最も基本的な人間としての素質のひとつである。
5月25日、おそらく僕はラサに到着した唯一の旅行客だった。その証拠に翌日の午後に訪れたポタラ宮は独り占めだった。チベット事件から2ヶ月経った今も、多くの建物が焼かれ、打ち壊されたままに放置されている。兵隊が昼夜を問わず通りを行進する。僕は現地に住む人々に話を聞いてまわった。なかでも最も衝撃的だったのが、ラサに住むあるイスラム教徒がチベット人暴徒らによって柱にはりつけられ、耳をそぎ落とされ、油を浴びせられて燃やされたという話だ。地面を転げまわって死んだという。ラサでは近年モスクが建設され、イスラム教徒も移住していた。3月14日の事件当時、イスラム教徒とチベット仏教徒の暴徒らが激突、互いの寺院を攻撃し合った。ラサ市東部(主にチベット原住民が住む地域)はたちまち封鎖され、西側の漢民族の地域ではすべての店がシャッターを下ろし、家に避難した。しかし野次馬で東部に出かけた何人かの漢族や満族は、チベット族の刀によって血祭りに上げられた。
国際世論ではチベットとダライ・ラマは神聖で、中国が侵略してその素晴らしい文化を破壊しているという論調が主だ。特に西欧は、自分たちがマヤやアフリカの文化を破壊したのが忍びなく、象徴的な意味でチベットを崇拝している。事実もまさにその通りで、チベット問題は漢族とチベット族という民族間の対立というよりは、古きよき中世的価値観と現代の経済市場主義の矛盾といったほうが近い。実際中国政府は巨額を投じてチベット地域のインフラを整え、電気や交通網を広げた。チベットの文化を壊しているのは、漢民族の同化政策ではないといえば嘘になるが、電気や交通のテクノロジーの影響も劣らず大きいのだ。では、われわれはチベットには電気なんて通らないほうがよかった、と言えるか?民族と民族の衝突、新しいテクノロジーと伝統の衝突は、今に始まったことではない。ユーラシア・プレートとインド・プレートは、今でも激突しているからこそエベレストの高みが生まれるわけだ。ただ弱者の味方をすれば善になるということではない。瞑想よりも戦争を、憂鬱よりも宴会を楽しんでならぬという理屈もない。
ヒマラヤ山脈を越え、カトマンズに到着したのは、ネパールが共和制を宣言して三日後だった。海抜5000メートル級の道なき道を進み、深夜の検閲所を五つ越えた。(五回登記し、五回荷物を調べられた)眼下に広がる雲海が美しかった。途中からは下る一方で、この旅を通して僕はアジア一帯の文化的つながりを実感することになった。ヒマラヤ山脈を越えると、人間も気候も、一気にインド圏に入る。
ここのところネパールでは毛沢東主義者が他二大政党と憲法や大統領と首相の任命をめぐって日々論争してる。国家の基盤を固め、将来の行方を定める大事な時期だ。なぜいまさら毛沢東?と疑問に思ったが、この国では過去君主制も民主主義もうまくはいかず、国民の生活に変化がないという苛立ちが募っているのだ。"True, there was widespread cheating and intimidation but let he [Maoists] who hasn't sinned cast the first stone."とというネパーリ・タイムスの社説が国民の本音でもあろう。ギャネンドラ旧国王は今日(2008年6月6日)にも宮廷を追放されるという話で、中国との関係についてこんなコメントをしている。「(カトマンズとラサを結ぶ幹線道路の建設計画について意見を訊かれて)共産主義はタクシーで運ばれては来ない」−さすが国王だ。こんなにセンスのいい国王なら国家の象徴として王宮に残すほうがネパールにとっては得なのではないか、と知り合ったネパール人に尋ねてみると意外な答えが返ってきた。
「ネパール人はなにもわかっていないんです。選挙だって文字ではなく絵で投票したんですよ。候補者のイラストを選んで集計したんです。そんな人たちに民主主義と君主制の違いがわかると思いますか?」と。
また、別の人はこんなことを言っていた。
「カトマンズでは王政廃止が決まった日に多くの人がヘルメットを脱ぎました。だって民主主義って、ヘルメットなしでバイクに乗れるということでしょう?」
うーむ、ますます目が離せない国だ。




















