June 2007 - March 2008 -
だいぶ時間が経ったので裏日記を出しても問題なさそう。これを機に慎独日記裏は閉鎖します。
March 2008
5 Wed
朝からRoyal Society of Medicineへ。中国大使館と国家中医薬管理局と合同で"Traditional Chinese Medicine Week"なるイベントを企画しているからだ。昼はキャサリンとランチ。新しくアメリカ人の恋人を連れてインドに行くのだと言う。午後はRegent's ParkのPrince's Trustで会議&プレゼン。バッキンガム宮殿のLord Chamberlain(執務No.1)のピール卿に皇太子中国基金会とそのプロジェクトについて説明した。非常に感銘うけていた。
6 Thu
朝はAndreらと紫禁城のドキュメンタリー映画について打ち合わせ。その後清華大学の呉先生と電話会議し、皇太子建築環境基金会のCEO及び国際プロジェクト・ディレクターのハンクとフーパーとランチ会議。夜はカットモデルということでコヴェント・ガーデンの美容院に行った。無料だから文句は言えないのだが、なんと二時間以上かかってそうとう参った。
7 Fri
早く出勤しトムと打ち合わせ。僕の肩書きの昇格が決まり、来年からは"Liaison Officer (of HRH The Prince of Wales's Office)"と"Secretary of The Prince's Charities Foundation (China)"ということになった。10時半には引き続きThea(ウィリアム&ハリー事務所)と、12時にはShilpa(英連邦秘書課)とミーティング。Theaからは香港に移住するので就職の世話を頼まれ、インド人のShilpaからはコモンウェルスでプロジェクトを成功させる秘訣を聞かれた。「そんなの知らないよ」と言いたかったが、英国では転勤の回転がはやく、半分以上の人が僕の後輩となってしまったので仕方ない。夜は在英中国人のヤング・プロフェショナル(弁護士やバンカーの類いの連中)の集まりに誘われ、顔を出したが、あまりの退屈さに死にそうだった。インテリなんだろうけれど退屈だ。そのまま金曜の夜が過ぎ去るのに耐えきれず、断っていた別の友人の展覧会オープニング・パーティに途中参加。もうだいぶ遅かったので場所を変えて、うちで7人でワインを飲み、合宿所のように雑魚寝した。
8th Sat
昨日の連中と近所のマーケットを回って食材を買い、ランチをつくって、食べて解散。僕はハイドパークで乗馬。雨が降っていて寒かったが、乗馬の技術が自然と身に付いていて、とても嬉しかった。帰り道を公園のなかひとりで歩いていたら、彼女から電話が。帰って少しインターネットでチャットして、その日は6時すぎに寝た。
9th Sun
朝起きてThe Catcher in the Ryeの続きを読む。古いLPを聴いた。
10 Mon
11 Tue
12 Wed
13 Thu
14 Fri
What sadness over Tibet!
15 Sat
僕とDは深いところで共鳴していたが、言語や習慣のちがいのせいで、普通のコミュニケーションがうまくとれなかった。彼の楽天主義を貫こうとする見栄(丶丶)が僕は好きではなかったし、僕の悲観主義に走る傾向(丶丶)を彼は避けているように思えた。しかしそういう文化的習慣を除けば、概して我々は気持ちのいい週末を過ごした。
16 Sun
暖炉、太い薪、気持ちよく燃える音、特注のシャンパン、冷たい泡、床に寝そべる犬、宝石のような目と絨毯のような毛をもつ猫、気の利く使用人、十六世紀の建築、樹齢三百年を超える巨木、広い芝生、唐突に地面から沸き出したような水仙の花、池、一人の友、最新鋭の音響設備、熱いシャワー、高速インターネット、リネンのシーツと分厚いタオル、パーティ、駐車場、ヴァイオリン、倒れた老婦人、医師、逃避、田園風景
17 Mon
18 Thu
19 Wed
政治に巻き込まれている。時代の核心にどんどん迫っている。
20 Thu
"The most important thing is for each side to respect each other's difference of opinion and at the same time engage each other on matters of agreement. It is not one against the other. It is some for some, whilst one or two others can just rest!"
21 Fri
ロンドンー上海
22 Sat
上海到着。両親と密度の濃い時間を過ごした。距離を保ちつつ親孝行
23 Sun
上海ー北京 夜は大英博物館のJan、故宮博物館のFreda、中国中央音楽学院の章華英と会い、古琴復興の構想について話し合う。ゆっくり、しっかり、やるべきことをやればいい。
24th Sun
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080325-OYT1T00327.htm
28th Fri
チベットの事件が僕の仕事を大きく左右しそうだ。僕の仕事がチベットを左右してきた面もある。いずれにせよ、僕は国際情勢の真っただ中にいる。しかるに軽率なことは言えない。黙ればよいという問題ではないが、しゃべればいいという問題でもない。
各国、各民族の目論みを研究すると、どの立場も利己的だとわかる。みな「純粋な僧侶」(僧侶が本当に純粋だという意味ではない)という立て札を利用して自らの戦略を展開しているだけだ。別にそのこと自体は至って正常だが、これは単にマジョリティvsマイノリティの対立ではないし、現代文明(市場経済)vs中世文明(古き良き時代)の葛藤だけでもない。「チベットの事件は世界の良心を試している」と誰かが言っていたが、こういう言葉を聞くと反吐が出そうになる。オリンピックに出ないならそれで結構ーわれわれはアヘン戦争や植民地主義・人種差別を理由に倫敦オリンピックを棄権するという中国の声が聞こえる。一方で、中国は無限のトラブルを抱えているのは事実であり、チベット事件の弁明は窮屈だ。
信奉する主義を抱えないかぎり、人は立場を決められない。ダライ・ラマのインタビューを観たが、それは散々たるものだった。例の白い布を映画俳優や西洋政府のリーダーの首にかけるのもやめてほしい。理想化するのは、第三者の罠だ。
結局われわれは未だに西洋人に支配されている。本物の抵抗者は、どちらかいうと、むしろ中国だ。がんばってほしい。例えば・・・清朝のように、ダライ・ラマを中国全土のスピリチュアル・リーダーとして召還するとか?
未分類 | 2008/03/09(日) 21:04 | Trackback:(0) | Comments:(0)
Feb 2008
Sat 9
ここのところ日々の些細な出来事を記録することに飽きていた。発端は政治的に非常にセンシティブな仕事が舞い込んできて、神経質な僕が口を堅く閉ざすことにやけになったことに由来するが、じつは惰性を正当化する材料にそれを使いたかっただけなのかもしれない。この二週間を総じて言うならば、僕は自分の人生における王室での仕事の意義に見切りをつけ、今後数年間に渡って継続することのメリットとデメリットを点検し、足し算と引き算の結果をアタマが受け入れるように、時間をかけて吟味した。この間、僕は仕事を休み、英語から逃れ、部屋で日本語の小説を数冊読んだ。『グレート・ギャッツビー』(村上春樹訳)、桐野夏生『水の眠り、灰の夢』『顔に振りかかる雨』・・・学期末にイギリスから切り上げていく日本人留学生たちがインターネット上で売買している単行本を譲り受けたので、それほど選択肢があったわけではないけれど、それでも次第に取戻される日本語の感覚と、母語と密接に連動してみるみる回復していく主体性のおかげで僕は安堵した。ひとりでオイスター・バーに出かけてシャンパンを飲んだり、平日の昼間に小説を持ち込んで何時間もフレンチを食べたり、金のことは忘れてずいぶん気ままににすごした。銀行口座の数字はいくらから変わったかもしれないが、そんなことはぜんぜん重要ではないわけで。それよりも、数冊の本を読んだだけで、息を吹き返してくる僕の日本語能力に我ながら驚いた。それは英語、北京語、上海語の列で並べられる、チャンネルの多さが自慢ということではなく、たった十数時間のうちにここまである言語の読み書きが上達するという僕の物書きとしてのポテンシャルを実感するということだ。そして肝心な内容は、じゅうぶん過ぎるほど僕の中にはあるのだ。
Mon 11
今年の春節は、木曜日にKnightsbridge Schoolの子どもたち200人に演説(お話)し、土曜日に大英博物館のレセプションに出席し、日曜日には50万人を動員したとも言われるトラファルガー広場のChinese New Year Festivalの壇上で、なぜか大使やロンドン市長、国会議員らと共に獅子舞を観た。無論断っているが、連日メディアの取材問い合わせもくる。まだロンドンに来て9ヶ月。それなのに毎週パーティやイベントに招待される。4年も5年もいたら毎日パーティ尽くしだろう。これが社交界というやつか。
今日は午後の便で北京へ向かう。10日間滞在予定だったが、皇太子の緊急の謁見(僕ではなくある高官と)が決まったので、早く切り上げることになりそうだ。3月末には再び北京出張(建設省の会議と映画撮影)、四月は東京(HSMPビザの取得)と上海(結婚式の準備)。
ミーハーな僕は案外こういう生活が好きだ。一方で引きこもったりして全てを投げ出したくなる時もある。
Sat 16
出張で北京へ来ている。天安門広場前に残る伝統的町並みを保護・再開発するプロジェクトだ。総勢12人の英国人チームの面倒を見ながら、中国側と通訳、交渉をする毎日で、さらに北京時間の深夜近くまでロンドンと他の仕事に関するやりとりをしている。咳もいっこうに止まらず、そろそろ気管支炎なのではないかとさえ疑っている。運動もできず、身体も日に日に細くなる。
なんとかここを乗り切らねばならない。来週は皇太子の緊急面談、その後大英博物館と古琴展に関する交渉、それから大使館と中医薬ウィークの企画、3月末は中国建設省の国際会議、4月初旬は紫禁城の映画撮影・・・延々と仕事が待ち受けている。そして5月のはDがロンドンへやってくる。冗談ではなく、一歩間違えればスパイ扱いされるかもしれぬ危険を伴う仕事だ。
僕は若干26歳だけど、正直なところもう引退したい気持ちすらある。小さな「チャイナ・クラブ」でも開いて、文字の世界へどっぷり浸かったり、書道や琴やスポーツ、真の意味での美食を極める人生・・・その気になればまた伝統医学の道を追求してもいい。今は時代の流れの絶頂に乗っているわけだけれど、そんなものは無視して我が世界を創造する生活に憧れを感じる。金銭的にそれくらいのライフスタイルを支える能力はあるし、美的センスの意味からしても多くの世界を見てきたので、僕の創る「チャイナ・クラブ」はきっと繁栄するだろう。
しかし、石の上にも三年。今の仕事をあと2、3年は続けなければいけないことは、常識上理解している。だが、万が一向こうから追放されるようなことがあったら・・・という楽しい妄想が止められないのは、今僕のテンションが低いからだろうか。
Tue 19
昨夜予定を変更して北京から飛んで帰り、本日のウェールズ皇太子と唐家セン国家委員(副首相)が面談に参加した。この先の中英関係を考慮して先月末から僕がセッティングした会談だ。今回はあまりニュースにならないが、これが5月になって振り返れば、意義ある伏線と見なされるはずだ。
The Press Association
中国新聞網(皇太子の肩越しに僕の頭が写っている…)
夜はSir David Tの騎士の称号のお祝いパーティ。常連のケイト・モス、ヴェネッサ・メイから、オックスフォード大学総長のクリス・パタン、The Spectatorの編集長、John Lewisの創設者、空港免税店の発明者、KPMG創設者の子孫・・・軽く歩き回っただけでこれだけの人に会った。いわゆる「巨人」の集いだった。ドーチェースター・ホテルの一室に美や権力・金・知性のパワーが集結していた。でも僕は時差ぼけで眠かった。
Sat 23
木曜日の朝はチーム・ミーティング。唐家センと皇太子の面談を実現させたことがヘイデン伯爵らに高く評価された。
金曜日は休暇をとって朝ジムへ。夜は大英博物館のコンサートに出かけた。皇太子基金会がスポンサーとなっているので、代表して他のVIPと会いに行ったわけだ。やはりCheng Yuはいまいちだ。もっと自分の直感を信じよう。ダメだと感じた場合は結局ダメになるケースが多いし、その逆もしかり。
土曜日はFarmer's Marketへ。ワインを買って朝から飲んでしまった。午後は友人に誘われてシネマへ。"There Will Be Blood"という素晴らしい映画を観た。特に印象に残ったのが、"I hate people. I don't see anything worth liking in them. I want to earn enough money, and get away from everyone"という台詞。その時点で主人公は中年で、孤独と批判精神が彼の魅力となっていたが、後半になって、歳をとって頑固な老人になっていたのにハッとさせられた。他人との比較ではなく、時間を置いての自分との比較。憎悪のクールさもさることながら、完璧でない他者を容認する愛の重さを感じた。音楽デザインも素晴らしく、ブラームスのバイオリン・コンチェルト(3rd Movement - Violin Concert in D Op.77)の感覚を初めて視覚で理解した。映画の内容もよかった。
Wed 27
ここのところほとんどオフィスに行っていない。一日にせいぜい2、3時間というところだ。朝に出勤して昼に帰るか、昼に出勤して夕方前にはすでにオフィスをでている。トム伯爵がインドに行ってしまっているし、プロジェクトの方も休閑期で、しかもブラックベリーのおかげでどこでもメールの対応できるのでオフィスに待機する必要がないのだ。朝ニュースをざっと見て、ジムで運動して、散歩したり英語単語を勉強したり、音楽を聴いたりしている。くどいが、今はとにかく身体の健康と英語だ。
ところでそんな自分に新たなDaily Routineを課そうかと思っている。外れたってぜんぜん構わないのだけれど、基準にすべき一日の過ごし方を考えてみた。
7時起床 シャワー、ストレッチ、BBC World News、朝食
8時 デスクに着き、新聞4誌(Herald Tribune, Financial Times, South China Morning Post, 日本経済新聞)をざっと読む
9時から2、3時間 オフィスで諸用を片付ける。メールを返信する。
しっかり昼食
午後は必要ならばミーティング、或いはヒマがあれば運動する
夜は社交か、くだらないテレビを少し観て、音楽(15分演奏/鑑賞)と小説、詩の時間。
土曜日はGuardianを、日曜日はThe Sunday Timesを読む。週刊誌はThe SpectatorとThe Weekを。これくらいは「新陳代謝に必要とされるエネルギー」的な意味で日常的にこなしたい。王道すぎると笑われるかもしれないが、惜しみなくエネルギーを使うようになれば人はたくましくなるものだ。
Thu 28
イギリスの移民法が改定されるに従い、僕が密かに目指していた永住権(或いは市民権)取得までの年数がまたさらに延びた。4年のつもりが5年に、そして6年に遠ざかっていったわけだ。今年一年分は換算されないので、もし定住を考えるならば少なくとも7年間この国にいることになる。25歳から32歳までの時間を、英国をメインに過ごすかどうかは、僕の人生において大きな意味をもつ選択となるだろう。
気が引けた面もあることにはあるが、意外なことに、僕の浮ついた心はむしろ落ち着き始めた。それまで「早く帰りたい」「旅に出たい」「仕事をやめたい」と焦燥していた心に一種の諦観がうまれ、はじめて「ああ、僕はこの国に根を張るんだ」という実感が湧いてきた。そう思うと、英国の言語をきちんと習得し、この社会の価値観を理解し、友人をつくり、この国に貢献するのはじつに当然なことなのだ。イギリスは素晴らしい国だ。覚悟さえ決まれば、6年でも7年でも充実して過ごせるだろう。「ロンドンに飽きた者はまことに人生に飽きた者である」と誰かが言っていた。
January 08
1 Tue
両親と狭山の知人まわりへ。レンタカーを借りて行こうとしたがあいにく予約がいっぱいだった。泉本さん宅、岩尾さん宅、水村さん宅とまわり、新年の挨拶をした。突然の訪問にも関わらずみな喜んで会ってくれた。
2 Wed
親がこの日から京王プラザホテルに泊まる。移動を手伝って、同ホテルの最上階バーで昼食。その後自分は新宿のバーゲンに参戦!メンズ伊勢丹、ビームスをまわって靴とネクタイを手に入れた。午後はまた親と今度は高島屋へ!母が5万円の福袋を買っていた。家もだいぶゆとりができたものよのう。アトリエ、というか要するに倉庫、に住んで、150円のチンゲンサイが高いと嘆いていた一昔前からはずいぶん変わったものだ。高島屋で注文していた結納品を受け取って、いちどホテルに撤退。夜大阪から仲人の姉夫婦が帰ってきて、いっしょにごはんを食べながら結納式の予行練習・・・けっきょく10時すぎまでかかった。
3 Thu
椿山荘で結納式。フォーシーズンは東京でもっとも素晴らしいホテルだと思う。大安で、しかも完璧な青空が晴れ渡っていた。あやひの着物姿が美しかった。よかったね、もう一度着られて。写真館で記念撮影。わりとカジュアルな料亭で結納式、引き続きお祝いの懐石料理をみんなで食べて、庭を散策した。夕方には絢日の実家に全員集合。すっかり和やかモードで、結婚についてもしっかり話せた。
4 Fri
姉夫婦が香港へ発ったので両親はまた駒込へ。昼頃のチェックアウトに合わせて、あやひと京王プラザホテルに。なかなか素敵なラウンジでシーフード・グラタンを食べながら結婚の話等をした。午後はアヤヒと新宿で買い物。絢日が眼の手術を受けるかどうかでもめたが、新しいハード・コンタクトレンズを作ることで一件落着。やっぱり身体は簡単にいじるもんじゃないですよ。夕方にいったん家へ帰って、それから電車とバスに1時間ほど乗って絢日の祖父母の家へ。お寿司とケーキを食べながら昔話を聞いた。夜中に千駄ヶ谷のらーめん屋「野方ホープ」でビールとつまみを頼んで、ふたりで一杯。
5 Sat
早朝の飛行機で上海へ。羽田ー虹橋は確かに近いが、あまりにも早かったので着いたとたんにベッドに倒れ込んだ。
6 Sun
11時の飛行機でロンドンへ。運良く予約していたプレミアム・エコノミーが満席なので、無料でビジネスに格上げしてくれた。ラッキー
7 Mon
時差がもどらず、5時に起床。7時に出勤した。まずはDTが伯爵になったお祝いのメッセージを書き、ついでに婚約を発表する。ポジティブな返信がきたので、オフィスの人たちにも通知。続いてPFBEのハンクと電話。エコ・シティ・プロジェクトについて簡単に話す。イギリスはなんでも慎重すぎて、中国のスピード感についていけない。
8 Tue
あっという間に婚約の噂は広まり、あちこちから祝いのメールや電話が来る。一日がかりでエコシティと胡同、古琴についての重要なメールを3通書き、夢を託して関係者に送付。1月の一週目はまだ半分くらいの人しか出勤していないので、逆にわりと早く返事が返ってくる。チャンスだ。今週中に大方の話をまとめねば。
9 Wed
ここのところ毎日6時前に起きて北京と電話をしている。そして絢日とチャットして、7時半には出勤。誰よりも先手を打って待つ。8時半にはトムと作戦を練って、9時に一日の開始。なんだからヘッジファンドみたいな勤務体制になってきた。
今山場を迎えているのは、北京の建築・都市計画関連のプロジェクト。すなわち、1)天安門広場に隣接するエリアの街計画;2)北京一の骨董街のリノベーション;そして3)北京市郊外のエコ・シティ建設だ。どれもとてつもなく大きく、緊急かつ重要なプロジェクトで、中国の展開の早さにイギリス人がまったくついて来れない状況が生まれている。
今日は昼にスペンサーと食事をして午後PFBEで会議した。
10 Thu
朝トムと打ち合わせ。話によると、どうやらPFBEが僕を避けているらしい。“He is working for us"とCEOのハンクが苦笑いしていたと言う。"In other words, it means that you are uncontrollable"とトムが教えてくれた。むろん悪意ではないだろう。事実として、中国とイギリスのあいだで仕事のスピードとスケールの差が大きく開きすぎているのだ。
僕は、言うまでもなく中国のために仕事をしている。「中国」というよりは「世界」のために、人類のために仕事をしている。物質的なアプローチも否定することなく、与えられた運命を受け止め、機会を活用しているだけだ。
しかし、人には人のアジェンダがある。ハンクにはハンクの理念があり、闘争があり、現実がある。クラレンス宮殿からくる複雑な指令をこなしながら、自分のファンデーションの権威を守ろうと必死のはずである。だから彼としては次々と仕事を(しかも半ば決定事項のように)持ちかけてくる僕には頭が痛い。それは理解できる。
とはいえども、どんなに他人の迷惑になろうと、面子をつぶそうと、あるいは嫌われようとも、僕は歴史的使命を投げ出すわけにはいかない。人類のためになるかもしれないエコ・シティの巨大プロジェクトを、僕の人間関係で却下するわけにはいかない。なんとしてもやり通す必要がある。これは、言ってみれば、命を投げ出しても価値のある仕事だ。
以前はまったくこんなことを考えなかった。個人の命、主体としての自分以上に大切なものなどない、と断言していた。しかし、その裏にはやはり歴史と社会に対する強烈な思い入れがあるのだろう。そして時代の流れが僕の手中に流れ込んできたとき、僕はそれを放り出すわけにいかなかった。
11 Fri
引き続き、大きなプレッシャーを感じている。「ちょっとした壁ですぐ挫折する」のは僕の弱点だと認めるけれど、原則を曲げてまで僕は成功したいと思わない。むしろ原則を曲げずに頑固だからこそ、今成功してるわけだ・・・。
とにかく、状況は複雑で、僕は自分の陣営が今SMPと闘争状態にあることを認識した。内部派閥闘争、もしくは、文系と理系の闘い、といったところか。
まあここまで中国絡みの利権が発生するだけ、皇太子の共産党政府との関係は改善されたのであって、その意味では僕はもう役割を果たした。というわけで、仕事を辞める妄想にふけってみた。僕が王室に勤めているのは、尊き理想のためでしかなかったのだから。
まあ・・・とはいえども、結婚のこともあるし、絢日もロンドンで暮らしてみたいだろうし、自分の英語の勉強のこともあるし、移民のこともあるから、考え直してやはりロンドンに居続けることに心を決めた。
要するに仕事に対する態度をすこし変えればいいのだ。もっと適当に、気軽に働こう。暇ができたら小説でも読もう。
12 Sat
この一週間のストレスを発散し、また、ロンドンに居続ける理由を強制的につくるため、今日はちょっと自分のために奮発した。まず朝部屋を隅々まで片付けて、たまった用事をこなす(ファーマーズマーケットのいつもの店でフランスのサラミ買い、ウェイトローズで買い物、洗剤の購入、靴底の修理など)。
そして昼すぎ、まちにまったアンティーク・マーケットへ!ずっと欲しかった机を買う。700ポンド(約17万円)もしたが、胡桃の木目が美しい、エドワーディアン・デスクだ。製造年は推定1910年。それほど古くないが、立派なアンティークで、しかもコンディションが最高によい。かすり傷ひとつなく、黄金の把手が四つついた引き出しも軽々と動く。
正月に日本のテレビでみたところによると机は今年蟹座のラッキー・アイテムらしい。テレビも占いも信じないけれど、それを聞いたとたん、なぜかピンときた。そしてそういう直感は大事にしたほうがいい。なによりも大事なことは、この机で、僕は自分のネガティブな考えを打ち消せる気がするのだ。
13 Sun
久しぶりに大掃除をして、ジャッパンセンターで納豆や油揚げを買う。夕方頃にMさんと待ち合わせ、ブルーバードでお茶をして家でごはんを食べた。
14 Mon
PFBEで
15 Tue
16 Wed
17 Thu
朝からPoundburyへ。電車で往復7時間だ。更に夕方にはチャイナタウンで会議。終わってから引き続きジェイソンと会議。あいやー
18 Fri
午前中はたまったコレスポンデンスをこなす。午後大英博物館のクリスティーナと会議。その後トムと僕の来年以降の役職名と給与について話し合った。じつに微妙なところだ。今年のタイトルはAssistant to the Director of Charities。給与は24kだが、家賃やもろもろの出費をいれると合計70kかかった。それがSDTの同意により、来年は75kにアップ。しかしこの額は、イギリス人の同年代の公務員の給料のほぼ3倍だ。うちのオフィスでは各人の給料がすべて公開になるので、僕だけ飛び抜けているのは変だ、というわけだ。さらに税金、移民(ポイント制で収入レベルが算入される)、住宅手当、役職の問題が絡んで来て複雑だ。ああ面倒・・・
19 Sat
20 Sun
21 Mon
22 Tue
23 Wed
24 Thu
25 Fri
今日は休みをとって一日中家で休んだ。ドイツから絨毯が届くはずだったが、けっきょく来なくてがっかり。
26 Sat
コヴェントガーデンからリージェンツ周辺、ベーカーストリート、スイスコテージ周辺を散歩した。この辺りに住むことはやはりなさそうだ。
27 Sun
SDTと会議。ランチの後、ノッティングヒルで30年代、40年代のジャズのレコードを探す。
28 Mon
http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2008/01/27/ncharles127.xml
http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2008012800912
都合のいいように事実をねじ曲げるメディアにはまったく閉口だ。おおもとはTelegraphのRichard Spencerか・・・。大使館と電話。SMP、CA、STSと次々と緊急会議。まだ明らかにできないが中英双方に僕の策が受け入れられた。昨日のSDTの打ち合わせも役に立った。We will play some high politics...! リエゾンとしての力を発揮できそうだ。
未分類 | 2008/01/08(火) 19:24 | Trackback:(0) | Comments:(0)
December
1 Sat
香港二日目。アンティークブックフェアに顔を出す。友人のやっているBernard Quaritch(http://www.quaritch.com/)という古本屋は、1847年からある店で(彼はそれを買収して引き継いだ)、人類の歴史を動かした書物をコレクションしている。どういうことかというと、例えば、ダーウィンの『種の起源』、アダムスミスの『国富論』、マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』、人類史上で初めて人体解剖を図説した書物(タイトルは忘れたが、中世の宗教世界からの脱却という意味で重要であり、430万ポンド=約10億円で販売している)などの第一版(丶丶丶)を生の姿で保存している。目の当たりにするとけっこう感動するものだ。我々の現代の世界をつくった基礎、パンドラの箱といえば大げさかもしれないけど、神話のなかの聖器を手に取るような気分だった。
一方で絢日の婚約指輪のほうもようやく入手した。結局母の友人から現金を借りて、ポケットから札束で支払いをした。ハリー・ウィンストンの販売員もびっくり。
2 Sun
絢日は香港から東京へ、僕はロンドンへ飛んだ。今月末にはまたロンドンー上海ー北京ー東京ー上海ーロンドンと移動する。両親と東京で落ち合い、その後父は香港へ行く。ずいぶんモビリティの高い家になったものだ。人生の複雑さというのは、一般的にモビリティの高さに比例する。むろん生まれた街から生涯外に出なかったカントのような例もあるが、僕はカントが好きではないので参考にならない。彼の人生は単純すぎたが故に『純粋(丶丶)理性批判』などということが言えるわけだ。It's all very good, but not real. ではリアルとは何かと問われれば、「生きること、すなわち動くことだ」と僕は答える。ここに手段と目的が合致する。そんなことを考えながらスローンスクエアに帰った。
3 Mon
ちょっと時差ぼけが残っているが、無事9時に出勤できた。トムと軽く会話して仕事に取りかかる。二週間前にオフィスを離れてからさして進展もなく、ちょっと焦る。特に大英博物館とはもう2ヶ月以上も会えていない。急いでアポをとるようにジョージにお願いする。昼はチャイナタンでジョンさんに頼まれた用件を片付けてついでに昼食をとってきた。午後はPCFC(Prince's Charities Foundation, China)創立についての調整をした。僕が実質的な執行責任者になるわけだ。SMPとの対立が最大の課題となりそうだ。
4 Tue
昼にCT Tさんと会って、紫禁城の映画の資金援助の話をした。中国航空の責任者に紹介してくれた。
5 Wed
映画制作会社でインターンをはじめたLMとランチ。その後IELTSの申し込みにウェストミンスター大学へ行く。来年からHSMP(高等技能移民プログラム)というものにビザを切り替えるため、英語の試験を受けることが必要となったのだ。夕方にオフィスに戻るとBMとのアポがようやく取れたとの連絡がきた。よかった。
6 Thu
昼すぎに出勤。DTの香港オフィスのスーザンに航空券の手配を頼む。計50万円もするチケットを、ちょっと前の自分だったら信じられないくらいの気軽さで取ってもらっている。まあ、仕事は仕事なんだけどね。ある意味で、相手に迷惑をかける、お金を使わせるというのも、より深くコミットするために大事なことなのだ。お金や時間をかければかけるほど、人はそこから抜けだせなくなる。
7 Fri
9時15分に出勤して10時半には帰宅・・・。昼は食材と雑誌を買い込んで、チャーハンを大量に作り、週末にひきこもる準備をした。3時にサウスケンジントンの歯医者で抜歯。左側の上下二本を抜いた。やはり人体の一部を切除するというのは大変なことで、めまいもするし出血もなかなか止まらない。でもまあ、戦時に比べれば腕や脚が折れるわけでもないし、もう始めたからにはちゃんと終わらせよう。
8 Sat
夕方に散歩に出かけたほかは一日中家にいた。家の裏のPimlico Design Districtがだいぶ栄えてきた。おしゃれな高級アンティーク家具屋が10数件、それにガーデニング用品店やインタリア雑貨店、輸入チョコレート屋、肉屋、花屋、恐竜から隕石、化石までを取り扱う鉱石系の店、オーガニック・スーパー、フレンチレストラン、オープンカフェ、伝統的なパブなどが軒を連ねている。さらに今日は土曜日なのでFarmer's Marketが開催されていた。泥がついた元気そうなニンジンが束で売られている。あいにくの雨だったけれど、いいエリアに住んでいるなあと再認識した。家ではCDを聴きながら、大英博物館で企画するコンサートについて考えを巡らせた。
9 Sun
昨日に引き続き、家の近所でのんびりとすごした。朝はDuke of York Squareのカフェで、Rory Stewartの"Places In Between"を読んだ。スチュアートは元英国の外交官で、2000年に辞職後、イラク、アフガニスタン、パキスタン、インド、ネパールまで徒歩で横断。チャールズ皇太子と意気投合し、現在はアフガニスタンでTurquoise Mountain Foundationという基金会(皇太子基金会のひとつ)を率いている。僕がオフィスで予想外によく働くので、「第二のスチュアートの登場か」と言われたりしていて、その真意を把握するためにも彼の著作は読んでおく必要があった。僕よりもずっと正直で、勇気のある人だ。書評にある通り、"[Stewart] must have balls of steel, but he writes like an angel all the same"
10 Mon
組織の内部で多少の対立関係があるのはめずらしくない。異なる部署が競い合うことで、よりよい仕事を成し遂げていく場合が多いからだ。英国王室も例外ではない。複数の皇太子秘書とそれぞれの秘書に専属するチームが、ウィールズ親王の寵愛を受けるために時には同僚として協力し合い、時には敵として互いを蹴り落としたりする。矛盾は時間とともに少しずつ蓄積するので、定期的に溜まった膿みを排出する必要がでてくる。今日は僕ら(トム卿派)とマイケル卿派が、ここ半年以来の中国をめぐる主導権争いに決着をつけるミーティングがあった。
事態の経緯はこうだ。僕がチャールズ皇太子事務所に加わって以来、中国関連のプロジェクトは急速に増えた。何事も最初が肝心で、この半年で定まった方向性は今後数年間変わることがないのを皆知っているので、如何に早い段階で自分の得意分野に多くのプロジェクトを引き込むかが、皇太子秘書たちの権力争いの焦点となった。たとえばマイケル卿はKPMGの出身なので、当然会計や経済、金融に強い。トムはチャリティとEU出身なので、政治的なことよりも慈善事業に強い。だから僕がオフィスに加わった最初の頃は、マイケル卿に呼ばれて「中国のグリーンGDP」についてのレポートを書かされたり、トム卿に様々なチャリティーに研修に送り込まれたものだ。
しかし、僕としても利用されて終わるわけにはいかない。自分の個性を発揮できなければ仕事は面白くないし、成功するわけがないので、僕は自分に好都合な芸術系のプロジェクトばかり勝手に増やした(大英博物館の琴コンサート、建築基金会の北京プロジェクト、紫禁城の映画撮影等々)。それらは今のところ成功路線をたどっているので、僕は皇太子の厚い信頼を受け、何事でも中国に関係していれば相談がくるようになった。個人秘書たちも、僕が彼らの縄張りに踏み込むことがないのを知っているので、徐々に安心して中国関連の情報を回してくれるようになった。
しかし、僕がいわば「中国相談役」の地位を確立する以前に、マイケル卿は既に自分の従来の戦略通り手を打ってしまい、今さら取り返しがつかなくなってしまった。中国の大手メディア会社S社と談合を進め、皇太子森林計画に百万ドル寄付を受ける代わりに皇太子の独占インタヴュー権を与えると約束してしまったのだ。これに他の個人秘書たちは大激怒。そもそも寄付とインタビューを交換条件とするのは確実に大問題になるし、僕が長く準備してきたP社とのドキュメンタリー映画の仕事を台無しにしてしまうと皆が判断したからだ。
そこで二ヶ月ほど前にEB、PH、STSの三人が揃ってS社のインタヴューの件をあきらめるよう、マイケル卿を説得にかかった。が、その当時はまだ僕の影響力不足で、敢えなく失敗。みんな僕のために闘ってくれる(丶丶丶丶丶丶)というレベルまでは達していなかった。しかし、その後11月に中国関連の公式行事が続々と成功し、皇太子中国基金会を設立することが決まり、皇太子の僕への信頼が不動のものとなったので、今日はPHとSTSの二人がかなり本気でマイケル卿に討論を吹っかけた。ともすれば、誰かが犠牲(すなわち左遷もしくはクビ)となってもおかしくない状況だった。誰の顔にも笑み一つなく、空気は凍っていた。
20分後、結論がでた。お互いに一歩譲ってインタヴューを来年の年始と年末に2本やることで合意。とはいえども明らかにマイケル卿の負けだ。ぎりぎりの苦しい展開であった。普段は完全なる貴族英語を話すマイケル卿が、今日にかぎってはマシンガンのように早口に釈明を述べていた。
今日の一件は象徴的で、今後中国関連の主導権は僕が手中に握ることになった。仕事はやりやすくなるが、責任はさらに重くなる。大きな理想のためにこのパワーを利用しよう。
11 Tue
HSBC銀行のマリーと11時にアポイントメント。香港での悪夢(カードが止められた)が再発しないよう、プレミア・アカウントを申請しようとしたが、貯金が最低1000万円ないとダメということだった。ビザが残り6ヶ月を切っているので、クレジットカードの申請も却下された。British Airwaysのシルバーカード(これがあると世界中の空港でラウンジ、シャワー、軽食が無料で使える)も、15ポイント足りないので今年はアップグレードできそうにない。来年の「高等技能移民ビザ」も75点でぎりぎりだ。幸運に恵まれきた僕は"You can't do~"と言われることに慣れていない。
当たり前のことだけど、ほどんどの人はそんな思い通りの人生を歩んでいるわけじゃない。誰でもスローン・スクエアや青山に住めるわけじゃないし、勤務先まで15分の緑豊かな公園通りなんていうのは夢の話なのだ。僕はすでに夢の世界の住人なんであって、これ以上の特権を求めることは罰当たりな気さえしてきた。
コンスタントに体と心に苦痛(刺激)を与える何かが必要だ。つまり、ランニングとか、筋トレとか。「これくらいの負荷はふつうなんですよ」と僕の肉体と脳みそにメッセージを伝え続け、ある程度慣れてもらわなければいけない。覚醒して退化を止めねば。常に戦闘状態でいなければ。(ああ、そのために旅をするんだな)
夕方に今度は右側の上下二本を抜歯。上の歯がなかなか抜けず、10分くらい格闘した。麻酔にもかかわらず、痛みで知らず知らずに涙が・・・最後にはミシミシと音が脳に伝わってようやく抜けた。でも体に免疫がついたのか、回復は左側より早い。血もすぐ止まった。
12 Wed
今日はPFBEでドミニック、ジェイソン、フーパーと戦略会議。鳳凰電視台が1月に各皇太子基金会を視察する手配をした。
年末の予定(というか航空券)が確定:
ロンドンー上海ー景徳鎮ー上海ー北京ー東京ー上海ーロンドン
13 Thu
今日は聖ジェイムズ宮殿でスタッフのクリスマス・ランチがあった。もちろん皇太子・カミラ夫人も出席。殿下とは会う機会が多い方なので、今日はなるべく隅の方にいようと避けていたが、しばらくして自らチャールズ皇太子がやってきた。
皇太子「今後も私の事務所に残ってくれのか」
僕 「いいえ。でも始めたことは最後までやり遂げようと思います」
皇太子「ここを離れた後の予定は」
僕 「旅と文学です」
皇太子「琴は?」
僕 「もちろん琴も弾きます、殿下」
だんだん信頼が深まってきた。単なる被雇用者にならないように気をつけねば。自宅まで音楽を聴きながら歩いていたらDTにばったり遭遇した。元気そうでよかった。
14 Fri
大英博物館のクリスティーナ、マーガレットと会議。ジェフリーとトムも参加して、五人で古琴(七弦琴)の復興キャンペーンについて話し合った。結果は大成功!来年から2年間にわたって皇太子基金会と大英博物館は長期のパートナーシップを組み、様々なコンサートや展覧会、出版、レクチャー、ドキュメンタリー映画等を企画していくことになる。大英博物館と皇太子基金会といえばまさに最強のコンビで、これ本当に琴が世界的に有名になるかもしれない。夢みていたことが現実味を帯びてきた。できればさらに正倉院(唐朝の琴が一帳保存されている)や故宮博物館(北京・台湾)とも協力したいと考えている。ニューヨーク近代美術館で演奏会を企画するのもおもしろいかもしれない。来年の予算は現在のところジェイムズ・モートンから寄付を受けた1200万円相当。これを起動資金としてさらに寄付を募るが、2009年には皇太子中国基金会の1億円のうち20−30%も活用できるだろう。
15 Sat
午前中は出発の用意。近所でソーセージ等のお土産を買う。午後2時半の飛行機で上海へ。World Traveller Plusのチケットだったはずなのに、なぜかClub World(ビジネスクラス)へアップグレード。聞くと僕が持っているのは特別なチケットで、一般には商取引されていないのだという。未だに正体がつかめないDT...
16 Sun
朝の10時に上海到着。そのまま車で金沢へ向かう。新しく建物が数棟建設されていて、着々と来年9月の結婚式に向けた準備が進められている。両親と金沢で食事後、いったん帰宅。夕方に古琴の載先生と打ち合わせ。夜は呉家の人々と食事した。
17 Mon
日帰りで景徳鎮へ。到着後車を貸し切って市内をまわる。まず陶磁器博物館へ。さっとみて資料を購入した後、陶磁学院へ。景徳鎮陶磁学院といえば、この分野では中国最高峰の学校だ。まったくアポなしだったが、とりあえず国際部というところに入ってみる。非常に熱心な職員が説明してくれたうえ、今年最優秀の学生をひとり紹介してくれた。午後はその学生の案内で陶磁学院を見学。夕方には「毛磁」とよばれる毛主席専用窯に行った。これは当時中央政府が建設した国家プロジェクトの遺産で、立地も景徳鎮の一等地、林に囲まれた静かな場所だ。敷地面積はおそらく5000平米前後で、全部で八つの工場で成り立っている。総生産能力は、通常の器のサイズで年間三百万件程度。現在はほとんど廃業寸前である。夜、工場長を呼び出して茶楼で話し合う。僕の関心は専ら買収だったが、独占運営権、部分使用権、借地、テクノロジー移転についても話し合った。夜10時半のフライトで帰宅。
18 Tue
本日は一日上海滞在。昼も夜も親戚と食事した。
19 Wed
朝上海音楽学院で打ち合わせ。大英博物館でのコンサートの件について打診してみる。昼の飛行機で北京へ。到着後、WWと中国會で食事。磁器の企画書を具体的に詰めれば、200−300万元程度の融資をしてくれるそうだ。
20 Thu
建設部副部長とMTG 突然のアポだったにも関わらず、話は大いに盛り上がって一時間以上にわたって皇太子基金会と建設部(国土交通省)の協力について話し合う。仇大臣は以前杭州市の市長で、破壊寸前にあった伝統建築郡をぎりぎりのところで保護した人だ。言うまでもなく杭州市は今では「中国で最も美しい都市」と称されている。個人的にも大いに共鳴するものがあり、生涯を通じた付き合いになりそうな予感がした。昼はある財閥の会長と食事。紫禁城の映画プロジェクトに関して言及したところ、国家民航総局のトップに紹介してくれた。百万ドル程度の寄付であれば、中国国際航空に限らず、どこの航空界社からでもすぐに確保できるとの話であった。午後は中国書店で、都市計画、陶磁器、古琴についての書籍を30冊程度買った。一度中国會へ戻り、PFBEのジェイソンと電話。夜は清華大学で胡同プロジェクトについて打ち合わせ。北京市郊外にある80平方キロメートルの敷地で新しいエコ・シティをつくる計画も話した。敷地の中心には原生林が残っているという。
21 Fri
昼にLiu-Li Changで骨董品めぐり。中華民国時代の器をふたつ買った。そして昨日中国書店で予約した書籍を段ボールいっぱい抱えて部屋にもどってきた。昼食をオーダーして、午後は英国の知人に送るクリスマスカードを書いた。夜、中央音楽学院の章先生と待ち合わせ、故宮博物館で古琴の保管・修復に60十年以上携わってきた老先生の自宅を訪れた。古琴音楽復興のために、いろいろなアイディアを出し合う。ホテルに戻ってから金さんカップルとバーで飲んだ。金さんはフランスに留学したことがあって、現在ルーブル美術館での撮影プロジェクトに携わっている。彼氏の継東さんは若手アーティスト。ふたりも来年結婚するそうだ。バーが閉まったので部屋に移ってウィスキーを飲みつづけた。
22 Sat
昼食後、清華大学の呉氏と待ち合わせ。天安門広場南の開発エリアを視察。デヴェロッパーのトップとミーティング。僧侶から世俗に「戻った」人物で、深く共鳴した。その後中国會にもどって上海実業のCEOと会議。僕に会うためにわざわざ北京に飛んできてくれたのだ。夜は中央電視台のディレクター、ZBと会食。故宮博物館の独占撮影権を持っている人だ。彼もまた仏教に帰依している菜食主義者。中国の実力者のあいだでは精神文明が復興されてきたようだ。
23 Sun
昼すぎの飛行機で北京から東京へ。到着後アヤヒと電話がつながらず数時間うろうろして、けっきょく従兄弟の家に泊まりに行った。
24 Mon
秋元夫婦と昼に表参道でランチ、お茶。午後は漫画喫茶で絢日の帰りを待つ。夕方絢日が名古屋から帰ってきて夜はアヤちゃんのお店でイブ・ディナー。
25 Tue
朝からレンタカーを借りて絢日の育った地元、聖蹟桜ヶ丘へ。「もりこうえん」を散歩した。夕方に新宿へ帰って、夜は彼女の実家で鍋。
26 Wed
あやひとデート。築地市場で寿司をたべて上野動物園へ。根津の八百屋で野菜を買って帰宅。夕食は家でお餅と蕎麦をつくった。
27 Thu
渋谷の西武百貨店でオーダーしていたシャツを受け取る。午後から新幹線で宇都宮へ。親友・啓と3年ぶりに再会する。すでに啓は結婚していて来年の三月に息子が産まれると言う。奥さんと一緒にゆっくりと過ごして、家に泊まらせてもらった。
28 Fri
昼の電車で東京へ。3時に両親とアヤヒと待ち合わせて、高島屋で買い物。結納品や洋服を購入。夜は駒込で姉夫婦と合流し、みなで焼き肉を食べた。
29 Sat
両家初の顔合わせ。恵比寿のウェスティンホテルの日本料理店「舞」で会食した。仲人の姉夫婦が大活躍。非常にうまくいった。絢日のお母さんも上機嫌で帰って行った。夜は原宿に戻った。
30 Sun
午前美容院へ。なぜかあやひのルームメイト、アヤちゃんも同行した。その後雨のなか表参道をうろうろ。漫画喫茶でガンツを読破した。夜にみんなで鍋をする約束だったので、渋谷の知音で食材を購入。豚骨や香草など珍しいものを大量に仕入れた。さらにシャンパンとビールを買って帰宅。みんなで火鍋らしきものを囲んだ。
31 Mon
あやひはあやひで実家へ帰り、胡家も久しぶりに家族3人で大晦日を過ごした。昼すぎに築地市場で寿司をたべて六本木ヒルズへ。閑散としていた。御徒町でおせち料理を買って駒込に帰る。紅白や格闘技など恒例の年末番組をみて年を越した。なんと平凡な年末。でも日本のよさは、まさにこういう平民の幸せにあるんだよね。
未分類 | 2007/12/06(木) 10:28 | Trackback:(0) | Comments:(0)
November
1 Thu
(10時15分)ウェールズ皇太子殿下は7年ぶりにロンドンの中華街を訪れ、(午後13時15分)中国の億万長者10名と会談し、(19時15分)中国大使との公式面会が実現し、(19時45分)ロイヤル・フェスティバル・ホールで数千人の観客と英中のメディアを前に、在英華僑を誉め讃える演説を行った。
me, at work!
この三ヶ月僕が仕組んできたことだ。クラレンス宮殿では「中国の日(China Day)」と呼ばれている。翌日のニュースも好意的なものが多い。作戦成功!
中華街訪問の写真
皇太子のスピーチ
ヤフーニュース
BBCの報道
その他にもDaily Telegaraph, Evening Standard, The Sun, Daily Mail, BBC, 中国中央電視台、新華社、鳳凰衛視などが報道した。
2 Fri
午前オフィスでMedia Coverageを手配し、昼にThe DorchesterでMr Chung, Johnson Changらとブランチ。昨年中医薬をめぐって大論争したChungだが、今年はすっかり態度が軟化し、今度東京の会社にフェイフェイを理事として招き入れる(株をわけてくれる)などと言う。こういう人物はまったく信用ならないが、彼を押さえ込んだのは事実だ。ゴッドファーザーのように思えていたDTからも丁寧な感謝状が届き、昨年とは比較にならないくらい自分が大きくなったと実感する。そのぶん責任も大きくなるので、油断はできないが。午後は帰宅し、叔父と両親とSouth Kensingtonのタイ料理屋でランチ。叔父を空港行きのバスまで送って、夕方は家で昼寝した。夜は両親と閉店前のハロッズを歩き回った。
3 Sat
両親とケンブリッジへ遠足
4 Sun
両親とグリニッジへ遠足
5 Mon
オフィスで仕事を片付ける 先週の後処理 11時30分トムとデヴィッド(コンサル)と"Chinese Foundation"について打ち合わせ。午後はNew Worldでコスト計算を済ませる。4時よりウェストミンスター政府の最高責任者Sir Simon MiltonとMTG。LCCAのレズリーと調整できず、会議に混乱をもたらす。
6 Tue
両親とウィンザー&イートンへ遠足 皇室カードですべて無料になり、母が大喜び。
7 Wed
両親が帰国。ヴィクトリアまで送り、11時にSOHOでウェストパーク(映画配給会社)と打ち合わせ。昼は中華街でデヴィッドとビジネスランチ。新しい基金会の戦略を練る。午後はオフィスで細かい用事を片付ける。メールを30通ほど返信・・・それでも明日のDoing Listを書き出したらあと15件残っていた!小さな事にとらわれすぎて大きな方向を見失わないようにしよう。今月末は東京&香港でホリデーだ。
8 Thu
今日、現実版のトム・ヘーゲンに会った。香港の四大富豪の一人マイケル・カドーリーの側近で、カドーリー・ファミリーの”慈善事業”の相談役だ。「ファミリー、ファミリー」と連発していて、どうしても映画『ゴッド・ファーザー』の印象がぬぐい去れなかった。
カドーリー一族の資産は推定6000億円。一族は元イラク系のユダヤ人でバグダッド出身、19世紀末に東アジアへ進出して上海で富を築いた。その後香港の不動産業界に参入。現在は中国・インド・南アジア・オーストラリア等で発電所・リニューアルエネルギーのビジネスに関わっている。その他にもペンシュラ・ホテルグループなど多くの業界をコントロール。財界のみならずアカデミアでも、例えば香港大学に大きな影響力をもつ。また、マイケル・カドーリーは、偉大なる慈善事業家としてフランスから「名誉書記官(オフィサー)」をはじめ、ベルギーからは「指揮官(コマンダー)」、2005年にはエリザベス女王から「騎士(ナイト)」の称号を授かっている。
マイケル・カドーリーには主に2人の側近が付き、それぞれ「ビジネス」と「慈善事業」の責任者として一族の繁栄を任されている。僕が今日会ったのは、その「慈善事業」側で、ようするに金を洗う役の人物だ。(つづく)
9 Fri
11時出勤1時帰宅。夕方にジムへ。M&Sで食材をたっぷり仕入れる。夜は映画『リリィ・シュシュのすべて』を観た。
10 Sat
ひさしぶりに一人で一日すごした。夜ジムで筋トレ、水泳、ジャグジー、サウナ。変な感覚かもしれないが、自分の脳がコンピューターだとして、3週間ぶりに再起動できたような爽快感があった。
11 Sun
今日はハミルトン一家にイートン校のメモリアル・サービス(*1)に呼ばれていたので、7時半に起床、8時40分にパディントン発の電車に乗った。電車のなかで初めて日本語訳の『ドリアン・グレイの肖像』を読んだ。全体のストーリーはいまいちかもしれないが、ところどころに散りばめられているいかにも英国らしいものの考え方が僕は好きだ。典型的なのは、たとえば「真剣さというものは、ヘンリー卿自身のことばに従えば、真の善人がすべて陥り、二度と脱れ出ることのできぬ許し難い過失にほかならぬのである」(p.61)とか。正しいかどうかは別として、一見浅ましく、即物的にみえるイギリス人の哲学をワイルドはうまく凝縮している。
イートンには先週の火曜日に来たばかりだが、学校の内部に入るのは初めてだ。1440年から続いている世界屈指の名門校(*2)であり、多くの首相や政治家を輩出している。今日はそんなイートニアンの聖歌隊が父母や僕のような来客のために大聖堂を公開してメモリアル・サービスを行なってくれた。通常のミサと違うのは、途中で英国陸軍の将軍のスピーチがあったこと。彼の愛国主義的な説教は、どうしても僕にはキリスト教の博愛の理想と衝突して聞こえた(或いは十字軍的な意味だったのかな?そこまではわからない)のだが、それを別とすれば、オルガンの音楽と子どもたちの歌は美しかったし、色鮮やかなステンドグラスを通して入ってくる朝の光は神々しかった。
ミサの後は、校長室のレセプションに招かれ、ヘッドマスターと少々言葉を交わした。少々早口だが、根は優しそうな人だった。
午後はハミルトン夫婦とその息子らとランチへ。フィオナが神学を学んでいると知って、ああ、それで僕の儒教の話に異常なほどの興味を示していたのか、と納得した。
*1) 11月11日はイギリスでは第一世界大戦をはじめ、第二次世界大戦、そして最近ではイラク戦争などで戦死した兵士たちを弔う日とされており、女王から庶民に至るまでがこの日曜日に黙祷を捧げる。この時期になると多くの人が胸にポピーを挿すのも同じ意味
*2) 当初は貧乏学生のために創立された学校なのでPublic Schoolと呼ばれている。
12 Mon
今日はLondon University of ArtsのLivia Liuとランチ。イギリス政府がこの大学に与えた5百万ポンドの援助金を使う(丶丶)仕事をしているという。チャリティーや基金会というのは不思議なもので、僕らは給料をもらって金を使う仕事をしているのだ。中国中央美術学院とロンドン芸術大学が共同でアートマネージメント学科を開設するらしく、彼女はその手伝いをしているという。この人の妹が鳳凰電視台の美人アナウンサーで、よって姉妹はセレブ界の人脈が広いらしい。こんどJimmy Chiuを紹介してもらうことになった。絢日の靴をつくってもらえるかな・・・そういえば朝にはHello Magazine(イギリスのセレブ雑誌)に僕の写真が載っているとデヴィッドタンからメールがあった。買って確かめたら、本当に皇太子秘書のようなむずかしい顔をして僕がチャールズさんの後ろに立っていた。まったくギャグだよな・・・ 夜は今からジムに行く。
13 Tue
まずは昨夜の続きから。冷たい風が吹くなか気合いを入れてジムに向かったのに、なんと鍵を忘れて自転車をとめられず、空しくフラットへ戻る・・・。家でひとりで残念がっていたら、Kから電話がかかってきて、「今夜あるポストロックの大御所がロンドンでライブをやるので一緒に行かないか」と誘われた。彼は音楽マニアで週に最低一度はライブに行っている。そんな彼が「超オススメ」というのだからこれは確実に面白い。「今すぐ行く」と即答。このイベントのためにわざわざ日本から飛んできた人もいるらしい。場所はカムデンタウンという若者の音楽と古着の中心地(東京でいえば原宿のようなところ)にある“Koko”。19世紀のオペラ劇場を改造したライブハウスで、僕らが着いた頃はすでに数百人の人間とその熱気が真っ暗な空間のなかで爆発寸前であった。爆音で鳴り響くロック、血の色で塗られた壁、時代遅れのシャンデリア、巨大なミラーボール、ほとばしる閃光と踊り狂う男女の影、舞台の上には女の無表情な仮面が掛けられ、冷たい眼差しで僕たちを見下ろしていた。22時になるといよいよ本命のバンド”Tortoise“が登場。場はさらに盛り上がる。実際、彼らの音楽は飛び抜けてすばらしく、ポストロック特有の爽快感とクールさが、グロテスクな深紅の劇場と絶妙なコントラストを醸し出していた。
そんなわけでちょっと感動して、今日はVirginへ彼らのレコードを買い行った。が、肝心のCDが見つからず、けっきょく違うアーティストのものを購入した。それが意外にも久しぶりの大ヒットで、午後ジムで運動しながらノリノリになってしまった。
夜は一変してジャズ。今日はLondon Jazz Festivalのオープニング・パーティで、国会議事堂(ビッグベン)に招待された。国会議員の何人かと文化及びスポーツ大臣(?)の主催で、イギリスでも歴史上始めて、国会の開会中に同じ建物の中でライブが開催されたのだという。でも知り合いが一人もおらず、社交する気分でもなかったので一曲で帰ってきた。
パートリッジでパスタを買ってきたので今から夕食。久しぶりにネット松岡正剛さんの千夜千冊を読んで感銘を受けている。(リヴァイアサンねえ・・・)
14 Wed
一度しか会ったことのない人間から「日本語を教えてほしい」と頼まれたが、その場できっぱり断った。「あなたに頼み事をするのは難しいわね」と皮肉られたけど、僕からしてみれば、彼女に時間を割いて日本語を教える理由(丶丶)がないわけだ。ちょっときれいな女の子だけど、それ以上の理由がない。ノー、世界のは常にWin-Winで動いているんだよ、ともっともらしく説教してやった。そんなことを口走る自分が嫌だが、頼まれ事を断りきれない性格を直す訓練も兼ねていたので、思い切って言い放ってやった。案外、彼女も怒っていなかった。
世の中にはそういう「一方的な要求」が多い。うちの村に新幹線を通してくれ(駅をつくってくれ)、とか、動物が可哀想だから科学実験に使わないでくれ、とか、家族が拉致されたので北に経済制裁を加えてくれ、とか・・・自分の都合や好み以外の一切を、奇跡のように無視している。そして、聞き入れられないと、「この国はもうだめだ」とか「おまえらは全員間違っている」と気狂ったかように憤る。一人芝居だ。
総合的に物事を考える力。自分の頭で解決策を考え抜き、他人に責任を押し付けないこと。決断力。速度。勇気。
***
今日は、オックスフォードとケンブリッジ両大学主催の「高級閣僚研修プログラム」の会議に参加した。中国の中央政府・地方政府から、副大臣レベルの政治家・官僚・政策決定者(Policy Maker)が20人ほど、三週間にわたってイギリスを訪れている。国務院副院長、環境保護局長、建設局副局長、核兵器安全対策委員会副委員長、国家監査局副局長、全国女性連盟主席、上海市教育・テクノロジー局長、外交部、金融部副部長がそろってロンドン市政府を訪れ、ロンドン市の環境問題への取り組みについてのプレゼンテーションを聞いた。
結論からいうと、僕の感想は、「ああ、中国はもっと伸びる」ということだ。やっぱり大国だ。確かに共産党政権の体制改革など大きな問題は残っているが、今日会った若い世代の政治家や官僚からは、真剣に仕事に取り組む気迫を感じた。欧州出張だからといって全くヴァケーションの雰囲気ではない。それどころか、三週間のうちに彼らには56ものミーティングが予定されており、計83時間にわたって皆が話し込む。今日も2時間くらい予定をオーバーして、参加者が次々と鋭い質問をロンドン市副市長に投げかけていた。そして彼らは帰国すれば、それをすぐさま国家あるいは地方政府の政策として実践に移していくのだ。母国の発展のために、血眼になって出口を探しているような責任感をひしひしと感じた。そう、まるでかつての岩倉使節団ような。
***
話はもどるが、単に「伝統建築を保護しよう!」と叫ぶだけでは意義はない。では代替案として何を提供するのかが問題なのである。明らかに最新のテクノロジーを駆使した現代建築は、たとえば環境保護の面からすれば二酸化炭素の排出量が伝統建築よりも低く抑えられる。また、東洋の建築は木造で、30年単位で補修・立て替えを必要とする。対地価のコストパフォーマンスの点でも、高層ビルのほうが収益が上がる。そうした状況のなかで敢えて伝統建築を守る理由(丶丶)は何なのか、人に語る前に自分で考え抜かねばならない。高度の発達した資本主義社会では、何かを犠牲にして何かを守ろうという前提は成り立たないのだ。すべてのものは、自分自身で持続可能でなければならない。「持続可能」とはそういう非常に過酷な条件である。
一国、或いは人類のリーダーたるものは、すべてを知っていなければいけない。経済、政治、哲学、歴史、軍事、エネルギー、人口、外交、雇用、医療、教育、科学、文化に加え、世界の毎日の動き、市場のメカニズム、サブプライム問題から牛乳の20円の値上がり、自殺、数ではなく主体としての命、気象問題、マフィア、裏金問題、あらゆることをだ!そして自分が知らないことも知っていなければいけない。知らないことの範囲を知った上で、顧問なりアシスタントなりを雇うしかない。そのうえで(丶丶丶丶丶)、はじめて仕事に取りかかれる。
長い長い準備期間と日々欠かさぬ情報収集の努力を以て、ようやく僕はスタートラインに立てる。そしてリヴァイアサンのように、自分なりの世界観と政治的理想を固め、革命の道を突き進まねばならない(「ああ、だから中国人って極端でいや」という彼女の声が聞こえてくる)。
それがどんな理想であろうと、僕はすでに声が最上部に届く立場にいる。来週には上記の中国使節団に演説を行なうことになっているが、僕の声は、あるいは数千人のデモよりもよっぽどちゃんと彼らに響くだろう。なんでただの苦学生だった僕が国家の政策決定者に演説をするのか、今でも信じられない冗談のようだが、これ僕本人の望みは関係なく、たぶん守護霊の影響なんだろう。前に彼女が、「色々苦労があった、と思うけどそれでも、フェイの人生は謎の順風満帆で、そこにはもちろん実力もあるし、それ以外の何かの風も吹いてると思う」と言っていたが、まさにそのとおりだ。僕はなにかの生まれ変わりか、あるいは天井の隅から守護霊が常にこちらをみているのだろう。
先日も神学を学んでいる中年女性から「あなたからは何故かネルソン・マンデラのオーラを感じる」と突然言われたし、宮内先生も初めての授業で教室に入ったとたんに僕を見抜いてくれた。ただの若造なのに皇太子中国基金会のCEO(最高運営責任者)を任されそうだし・・・ああ、しっかり踏ん張って、あまり笑わないようにして(年齢を若くみられないために)、彼女を何よりも最優先に大事して、政治でもなんでもやってやろうじゃないか。
15 Thu
今夜は華僑協会会長や在英中国領事らと食事した後、9時半からルーシーの誕生日パーティへ。いわゆるセレブ(女優、モデル、皇族)百数十人が深夜3時まで盛り上がっていた。場所は、大使館に隣接する建物。名義上はただの「プライベート・パーティ」ーつまりボディーガードはなし、警察や記者をシャットアウトする意味ーだ。そしてなにしろ「プライベート」なので、建物の中は葉巻やタバコの煙(イギリスでは建物のなかでの喫煙は法律で禁止されている)、シャンパンやウォッカ、様々なブランド香水の匂いで空気が濁っていた。僕は著名人のことをよく知らないけれど、それでもケイト・モス、ヴェネッサ・メイ、ヨーク公爵(アンドリュー王子)、ローリングストーンの誰か、ポール・マッカートニーの元奥さんくらいは認識できた。なかでも面白かったのはプリンセス・ビアトリスの恋人であるデヴィッドとの会話。彼はヴァージンで宇宙に客を飛ばすビジネスをやっているという。価格は20万ドル程度で1時間半の飛行だと言う。名刺には"Space is Virgin Territory" (数日後に気づいたのだがキーラ・ナイトレイにも紹介されて握手した!なんかみたことある顔だなーと思ったら映画『高慢と偏見』だった)
16 Fri
午後に歯医者へ。いよいよ矯正を始める。この歳で、しかも外交的仕事をしているのに矯正器をつけるのは恥ずかしい。でも顎が痛むし頭痛がするので、健康上の理由からしてもどうしても今治療しなければならない。健康以上に重要なことはない。少々値段が高いけど、9ヶ月という比較的短期間で治療の終わる半透明の器具をつける。
17 Sat-18 Sun
矯正器の違和感に慣れようと、家でゆっくり週末を過ごすことにする。口内炎がいくつもできて、歯を軽く触るだけで鈍い痛みが走る。何を食べても歯と矯正器の間にいっぱい詰まるのですっかり食べる気力をなくす。しかたないので佐藤優の『国家の罠』を読む。佐藤さんのような官僚は、教養、語学力、記憶力、分析力のあらゆる面で僕より優れた頭脳をもっていると思うが、彼の問題は夢がないことである。「国益」と連発するが、その中身がわからない。ただ自分がはめられたことを証明しようとしているだけなので情けない。これは日本全般に感じることだが、「問題の解決」だけに精一杯で、それ以上に「理想社会とは何か」ということを考え、声を大にして訴える人間がない。細かいことでうじうじと妥協案を産み出し続けている。(たぶん、その理由は敗戦によるものだろう。かつてのような気高い武士の志、こころ、大いなる希望を語ることは日本国でタブーとなってしまった)例えば、1)皇居を京都に移し、東京都心を緑と再開発で活性化させる。同時に京都に歴史的使命を与え、伝統美術や芸能の復活を図る。2) 戦争しないかわりに、国の総力を挙げて首都東京の電柱を地下に埋める。そしてその跡に木を植える。3) 日本全国の「駅」を各地方自治体が独特に改造する。或いは中央政府が手当を与え、地域の文化アデンティティーを再考するきっかけをつくる。そして駅を中心に街づくりを広げていくーなどということを言う人が何故いないのだろう?無理かどうかが問題なのではなく、どうして人に夢をみせる政治家がいないのか。政治家とは、光を掲げて人々の先頭に走る者のことではないのか。今の日本では政治家が国民の尻拭いしているようにしかみえない。
19 Mon
今日は前述の中国の副大臣20人に演説、その後皇太子殿下と会談する。スピーチのほうは明らかに準備不足で、ジョークも空振り、緊張して汗だくになってしまったが、終わってみると意外にも皆よかったと言ってくれた。特に仇建設部副部長(日本でいうところの国土交通省副大臣)とは良好な関係を築き、ハンク(皇太子建築環境基金会CEO)とも久しぶりにちゃんと意見交換できた。ケンブリッジ大学の副学長もきていたが、昔アンドリュー王子の個人教師であったことを鼻にかけすぎていた。ウェストミンスター寺院横の会議場でプレゼンを行なったあと、クラレンス宮殿へ移動。皇太子は10年近く中国の政治家と会っていなかったが、僕がオフィスに加わってからはときどき時間をつくってくれるようになった。中国関連のプロジェクトが増えてきたからだ。今日の会談も数週間前のある日に皇太子から直接確認の電話がかかってきて、その場でふたりで決めたことである。中国大使館のほうでは事態が進展しはじめたのかしきりに不思議がっていたが、国と国の繋がりも実質的には少数の人間と人間の繋がりなのだ。相性の良い個人が繋がれば、その時代に二国間係は改善される。逆に相性の悪い人間が出会えば、国家関係も停滞する。今日の場合、僕と最も相性の悪かったのは国連の在中国親善大使だった。何を血迷ったのか、皇太子と中国政府使節団の会見でチベットに言及。すぐに遮って話題を転換したけれど、こんなことだから国連は機能しないのだ、と直感した。ユネスコも行き詰まっているという話を複数の情報源から聞くし、そもそも文化・遺産プロジェクトすら成功しないなら、経済、政治の難題を解決できるはずがない。国連大使の話を遮ったことを彼は面白く思わなかったようだが、あとから皇太子秘書をはじめ他多くのひとからは感謝された。
皇太子は1997年の香港返還儀式の際、中国政府要人を典型的なソ連タイプの「蝋人形」に例えたことを大きく批判されたが、今日の会談の様子をみている限り、なかなかその指摘も外れてはいなかった。人としては皆よい人間なのだけど、中国人はプライドが高いくせに、肝心な場面では弱い。政府高官なのにただへらへらとニヤケているいるだけで話に食いついていかない。だからインド人や中東の人々にくらべて、皇太子には中国人に人間として魅力を感じなかったのだろう。むろん、天子の前ではとにかく言葉を慎むのが儒教の美徳だし、政府高官とはいえ外交的な訓練は受けてはいないので仕方がないことはよくわかっている。むしろそのことを皇太子ら西洋の人々に教えてあげた方がよい。でもここにまさに僕の役割があるようにも思う。今のところ目標はDTだ。
20 Tue
今日は主に皇太子からの手紙の返信に時間を割いた。Lord L(エリザベス女王の第一従兄弟の息子で、H男爵の息子)がチベット美術の復興のために中国成都 でフォード財団と共に古典美術学校を設立したことについて、我々、すなわちウェールズ皇太子と皇太子伝統美術学校がいかに協力できるか、或いは協力をすることは可能なのかどうか、という問い合わせだった。皇太子及びその事務所はダライラマと友好な関係を保つ一方で、過去の失敗から、チベットの扱いに非常に慎重だ。特に今は中国政府や在英中国大使館とのプロジェクトも多く、この時点でチベット関連の仕事に手を出すことはかなりリスクが大きい。しかし、僕も個人的にチベットの精神文明を崇拝しているし、誰かがいつかこのねじれた関係を改善しなければいけないのだ。そこで我々の戦略を考案し、メモランダム(組織内伝言)にまとめた。いくらプライベートのブログとはいえ細かいところまでは書けないのだけれど、僕が提案したのは二点、1)時間差をおくこと、2)第三の機関を設立することだ。第一点はつまり、外交上現時点では望ましくない出来事を時間的に先延ばしにすることによってその性質の変化に期待する手なのだが、まさに我々は今中国での人脈を広げ、基礎と信頼を固めている段階なので、チベットはまだ時期尚早という結論である。それから第二点は、一対一のトラブルが発生する場合、第三者を意図的に取り込むことによって問題へのアプローチを変え、緊張を緩和する手段だ。国家間外交といえども「面子」が非常に重要で、問題の中身は、プロトコルやアプローチ次第で実はどうでもよかったりする。
とりあえず今日のところは草稿をCA(英外務省からクラレンス宮殿に派遣されている官僚)に送った。社内の「面子」の意味でもここは彼を通さねばいけない。
21 Wed
CAから"Excellent"との返事があったのでメモを修正して皇太子に送付。DTにもコピーしたところ"Excellent note and advice. You and your English are getting so good" なんと簡単にして効果的な誉め方だ。さすがPlain Englishを提唱しているだけはある。明日から休暇&半分ビジネスで東京と香港に行く。
22 Thu
朝に荷造りしたあとに出勤。午前はチームミーティング。終了後、いったん帰宅してヒースローから香港経由で東京へ向かった。飛行機で『国家の罠』を完読。
23 Fri
夜の9時半に成田へ到着。絢日が迎えにきてくれたので、ふたりでリムジンバスで帰る。
24 Sat
午前中よく休んだあと、昼は伊勢丹メンズへスーツを新調しに行く。日本の洋服は、比較的安いうえ品質がとてもよい。高くてまずいイギリスではどうしても買う気が起きないので、日本に帰る毎にスーツやシャツ、靴下を大量買いして帰ることにしている。今日は結局スーツ1着とシャツ2枚、ネクタイ2本と靴下3足を購入。昼は伊勢丹で鮨を食べた。ふたりでカウンターで好きなものを注文して、なんと9千円だった。ロンドンで暮らし慣れると日本の物価が冗談みたいに安く感じる。夜は、絢日の両親と中華料理を食べながら結婚話をした。まずは春頃に一方的に別れたことを謝る。全体的にいい感じだったので、終了後に絢日の実家で引き続き談話。皇室の話などをいろいろ聞かれた。
25 Sun
今日は絢日一家と西船橋のIKEAへ。途中築地によって再び鮨を・・・うまい!帰りは道が非常に混んでいた。東京ミッドタウンに着いたのは6時すぎ。結局7時頃に原宿でらーめんを食べて、メロンの配達を受け取るために8時には帰宅した。
26 Mon
昼に高田馬場でひさしぶりの千代作らーめんを食べた後、早稲田大学へ。卒業証明書を発行してもらう。午後は日大芸術学部で宮内先生の講義にでた。その後先生の自宅で鍋。先生の奥さんはやっぱり素敵な人だった。僕の尊敬する大人の男性は、かならずと言っていいほど素敵な奥さんをもっている。アンドリューの妻、フィオナは自宅に近所の子どもたちを招いて一緒に畑仕事をしたり、大学で神学のコースをとったりしているし、宮内先生の奥さんは詩人で、穏やかなのに明るい性格の人だ。そういう意味ではうちの母も偉大だな・・・。夜9時半から須田家で結納の具体的な話をする。
27 Tue
昼は博報堂のトッキーと鴨そば、午後は日本航空のマイコと不二家のショートケーキ、夕食は財務省のヨネと焼き鳥。食べ物が目的なのか、友人との再会が目的なのか・・・よくわからない一日であった。夜霞ヶ関を歩いていたら妙に闘志が湧いてきた。数千人の官僚を相手にオレは一人で勝てるかーと真剣に考えた。「勝てる」と思った。皇居外苑を散歩してちょっと日本が好きになった。
28 Wed
昼は注文していた洋服を受け取りにいった。その後私服も多少購入。夕方に家に戻って三国無双をこっそりやった(30分くらい)。夜は虎ノ門で絢日の友人が最近開いた店に行った。従姉妹夫婦とそこで会った。小泉元首相も来るはずだったが、急に予定が変更となったらしく、彼の親友の北村さんだけが遅れてやってきた。日本の上層部にリーチするには、うってつけの人物だった。たぶん僕のことも気に入ってくれたと言って間違いないだろう。
29 Thu
朝須田家に出発の挨拶。その後新宿から成田エクスプレスで空港へ、香港に飛んだ。絢日にとっては初めての場所だ。到着後コンラッドホテルでチェックインしていたらキャサリンとばったり会った。部屋で荷物を整理した後、屋台で牛の内蔵麺と豚の筋で夜食、その後フットマッサージへ・・・遅くなりすぎて逆に疲れた。
30 Fri
香港で絢日の婚約指輪を探しまわった。ティファニー、カルティエ、香港の怪しい地元ブランド、ハリー・ウィンストンをまわった。結局H&Wリングに決めた(香港だと日本の小売価格の3割引くらいになる)が、僕の暗証番号がハッカーに盗まれ、銀行口座が凍結されたうえ、香港では英国の小切手も受け取ってもらえないということだったので、どうしてもお金が足りなくて買えなかった。というかクレジットカードも使えないし、まったくお金がない緊急事態に。ロンドンや日本に電話をかけまくってけっきょく母の友人にお金を借りて婚約指輪を買うことに・・・ああ、恥ずかしすぎる。
夜は中国會でJKらと食事。中国會はDTが1997年に開いた最高級レストラン&バーで、旧中国銀行のトップフロア3階分という絶好の立地のプライベート・クラブ。女優や俳優から、政治家、諸国の大使、各界のセレブまでが会員で、その場では支払いはできず、請求書が後に郵便で送られてくるというおそろしいシステムだ。壁には百点近くにのぼる中国のモダンアートが掛けられているが、たとえば僕が知っているものでは44億円の絵が、階段の隅にさりげなく飾られていた。せめてもっと目立つところに掛けてほしい・・・。
October
Mon 1
雨。DTと電話。午後、トム伯爵とアンドレと紫禁城の映画撮影についてミーティング。CCTVをいかに巻き込むかが焦点になりそうだ。結局僕とWorld Monument Fundが資金集めを担当することに。共同で資金調達というのは実に愚かなやりかただ。It's either us or them. 昼は「タロウ」でらーめんを食べた。帰宅後ドラマ『人間の証明』を最後まで観た。ホームシック。
Tue 2
朝、顧問弁護士と「僕の将来について」話し合う。結論としては来年からHSMP (高等技能移民プログラムHighly Skilled Migrant Programme)にビザを切り替える、ということに。まあ、悪くないが、収入面をもうすこし考える必要がある。午後帰宅。絢日と少しスカイプで話して、夕方にジムで軽く運動。夜は微妙なテレビを観ながらネットサーフィン。
Wed 3
出勤、メールチェック、散歩。正午の会議に合わせて帰るが、なんと会議は明日だった。上海と電話。Phoenix TVに関する考えを整理し、West Park Picturesで映画の打ち合わせ。その後Sloane Squareにもどってぶらぶら、Partridgesで買い物したあとDuke of York Squareでマッキアート。店員が"Absolutely Superb"と絶賛するスコッチ・ウィスキーも買って来た。どんなものやら・・・
Thu 4
朝、まずPFBEへ。中国の"牌楼"(中華街にあるような伝統的な門の本物版)についての本を取戻しに行ったのだが、肝心の担当者が居らず、結局別の人と世間話をして帰って来た。オフィスへもどって12時から内部会議。SMP、ED、STS、CA、PHというクラレンス宮殿の権力者たちが集まって中国関連のプロジェクトについて報告・話し合いをした。冗談だけど、皇太子の僕に対する評価が非常に高いようで、「フェイフェイ、次の皇太子秘書になって」とEDに言われた。本日の会議の内容は主に中国のメディアについて。昨夜結局がんばってレポートをまとめた(His magicとPHとSTSが言ってくれた)ので、それをもとにどのメディアが皇太子基金会の仕事の宣伝に適切か、皆で話した。僕の嫌いなBWとYL夫婦が密かにSMPと連絡をとっているらしく、しかも株券を基金会に寄付するかなにかの条件付きで、けっきょく彼らにインタビューの機会を与えることになりそうだ。残念だけど、Keep your enemy close(敵は近くに)という意味ではこれでよかったのかもしれない。午後一度自宅に帰り、パソコンを持って再度出勤。ピカデリーでまたもやらーめんを食べて4時からウェストミンスター政府と会議。5人対1人という圧倒的不利な状況だったが、なんとか熱意で以て挽回し、見事彼らを説得ー中国の大型の石鉢を中華街に設置することを決めさせた。会議終了後、速攻でMOU(Memorandum of Understanding)を関係者に送付。夜はパートリッジで買って来たローストチキン(ハーフ)とエンドウ豆を食べたが、キッチンにねずみがいた!映画『魅せられて』を途中まで観てベッドに倒れる。
Fri 5
朝、ジムで軽く運動。ロンドン市長の秘書から電話がかかってきて「部下が失礼な真似をしてすみませんでした」と謝られる。その後出勤してSMPにメール。4時に中華街でミーティング。LCCAの人々と話し合って少し話がまとまる。来週はいよいよRecce(公式行事前の関係者による偵察)。オフィスに戻るとSMPから返信が。"I will ask the Prince. Michael"と一言だけでちょっと冷たい気がする・・・。夜は久し振りにちゃんとごはんを食べて、深夜に庭で空を観察した。
Sat 6
朝、目が覚めて新聞を買い、12時まで二度寝。起きて食事してだらだら。15時から19時まで三度寝。その後映画を何本かみて過ごす。なんともぐーたらな土曜日。
Sun 7
とりあえず自転車のカゴと、後部の両側につけるカバンがなくて不便なので、ヴィクトリアの自転車屋さんへ。その後一度家に帰り、床屋とジャパセンに行こうか迷ったが、調べたところ美容院は日曜日休みのところが多いらしく、結局断念。代わりにジムへ行って、ウエイト、水泳、サウナを一通りやってきた。M&Sで食材を買って帰宅。来週に向けて心の準備をする。
8 Mon
皇太子から手紙がードミニックという人と連絡を取ってほしいとのことで即木曜日にアポを取った。僕のことを"...Fei Fei is worth his weight of gold"と誉めてくれたのはよいが、いかにも古風で笑ってしまった。
9 Tue
朝一番でトムと6 months review。ああ、もう渡英半年か。その後マイケル伯爵、ジェイムズとMTG。午後PFBEで北京のプロジェクトについて連続3時間会議。夜はWhite Cube(ギャラリー)のオープニング・パーティ。
10 Wed
朝、古琴演奏会@大英博物館についてMTG。午後はいよいよRecce(偵察)をふたつ。ロンドン副市長からメトロポリタン警察、皇太子秘書、Press Officer, Protection Officer, LCCA等総勢30ー40人を動員した大掛かりなものとなった。帰宅後あまりに疲れて動けなくなった。
11 Thu
自転車通勤。中華街訪問のプログラムをupdate。午後オフィスの近くのジムで軽く運動。その後ドミニックと会議。よく働いた。
12 Fri
自転車通勤二日目。すばらしい。地下鉄よりもバスよりも早い。しかも朝バッキンガムの前を自転車で通るのは快適。オフィスで昼過ぎまで働く。次々とポジティブなメールが返ってくる。ドミニックのPFBE復職についてトムに聞きに行ったら、そこにレディ・ロゼメアが・・・・初対面。58歳の彼女は、在日韓国人でイギリスの貴族と結婚し、その旦那が10年前に亡くなったので数千億とも推定される遺産を相続した人だ。卵の大きさの宝石を指にずらりとつけ、いかにも一般人じゃないですという風貌。そのままランチへ連行され、ザルツブルグに大きな城を持っているというオーストリア人のバンカーに紹介され、100個くらいいろいろと約束させられた。来週一緒に韓国に行こう(無理!)とか、天才上海ピアニストに会わせるだとか、アートフェアに一緒に行こうとか・・・そして食後、個人的に携帯番号を交換(いきなり呼び出しくらいそうでちょっと怖い・・・)、セント・ジェムズパーク彼女が購入するつもりだという豪邸に連れて行かれる。やっとオフィスに送り返してもらったのは既に4時。その後ジャパセンに寄ってボンドストリートの美容院に行くが、あいにく満員だったので6時半の予約をして引き上げる。いったんオフィスに戻ってからHigh Stree Kensingtonの乗馬グッツ屋に行って、ブーツと足カバーと手袋を買う(?267)。またオフィスに戻って、美容院で髪を切って、ナゴミという日本食屋で日テレの人と食事して、そこの店長と盛り上がって・・・なんともジャパニーズな一日であった。
13 Sat
10時から久々の乗馬。新しい乗馬ブーツの履き心地は上々。いくら"スクイーズ"してもバロンは早く歩いてくれなかったが、トロットはやはり忘れていなかった。最近自転車で町中を走り回ってるせいか、馬のスピードがやけにゆっくりと感じられた。1時間ハイドパークをまわると、内股の筋肉を使いすぎて脚が閉じられなくなった・・・。自転車で湖の側のカフェに向かい、ラテとクロワッサンを頼んでしばし休憩。「実存主義は何が間違いだったのか」というメモを書いた。それから自転車で帰って2時にDorchesterへ。3時からDTとWOと会議。チャーハンを食べた。再度帰宅(家が都心にあるって便利)、あやひと電話・チャットした。夜はケンイチロウくんとナゴミで夕食。
14 Sun
World's Endまで散歩してバスで戻ってきた。夕食は自分で料理。夜ジムで泳いできた。
15 Mon
8時出勤。12時にPFBEで会議。14時中華街でコンウォール公爵夫人事務所と偵察。15時ウエストミンスター政府と会議。結局オフィスに戻ったのは18時。
16 Tue
朝軽く働いた後携帯電話を忘れたのに気がついていったん帰宅。12時半に日本大使館の参事官とHakkasanで会食。Williamが適当なことを言っていたことが判明。3時半にオフィスにもどり、4時からChina TangでSimon (China NowのCEO)と会議。オフィスに帰って19時まで仕事。20時半からICAで香港映画のオープニング。23時半帰宅。今月は忙しすぎる。なにも考えられそうにない。でも今日思ったのは、何事も決して気を抜かず、自分一人で解決することだ。
17 Wed
PFBEに出勤してミーティングを二つ。クラレンスハウスにもどってから中華街でミーティング。PFBEに帰ってさらにミーティングをふたつ。夜はHuangとビジネスディナー。ここ二日でThe Pearl Awardsのチケットを1500枚程度売った。営業・・・?
18 Thu
オックスフォードへ出張。1つ目のミーティングは以前お世話になった教授が"University of Oxford China Centre"を創設するので、僕にも協力してほしいというお話。しかしむやみにネットワークを広げたいといってもヴィジョンが曖昧では無意味なので、まずはわかりやすいプロポーザル(つまりChina Centreの目的等)をつくったほうがいいと提案した。機会としてはとてもおもしろいと思う。中国学に関して言えばオックスフォード大学が欧州最古・最大・最先端の研究機関であるし、政府の政策決定などにおいて中国本土に与える影響も大きい。実際、来月には20人ほどの副大臣レベルの政治家がオックスフォードとケンブリッジに10日間の研修に来るのだ。彼らの思想を少しでも改革できたら、本当に国が動く。2つ目の会議は、マートン・カレッジの学長とビジネスランチ。マートン・カレッジは以前日本の皇太子殿下が学んでいたこともあって、日本の皇室と非常に深い繋がりがある。名前は思い出せないが現在もとある女性皇族がこちらで学んでいるそうだ。とにかく、そのマートンの学長が中国考古学・美術史の第一人者であり、以前大英博物館の代表でもあったので、まずはお会いしたいと夏前にメールを出しておいたのが、秋になってようやく実現したのだ。案の定、ミーティングは大成功で、方々の組織責任者(北京の故宮博物館からロンドンのV&A博物館まで)を紹介していただいた上、皇太子の伝統美術学校との協力も考慮してくださるとのことだった。すばらしい。
実は今日の朝はひどく落ち込んでいたのだ。というのも、エリザベス(皇太子秘書No.2)とクライヴ(外務省から皇室に派遣されている)から緊急の電話があり、「ADLP(副大臣)の中国代表団のうちどの7人を皇太子と会わせるか」、という非常に外交的で難しい質問をされて、しかも英語の聞き取りが難しい電話での会話で、しかもバスの上でよく聞こえず、僕は全くもってちんぷんかんぷんな返答をしてしまったのだ。あらゆる意味で大失敗な会話だった。
昼すぎにDTから電話。ロイヤルフェスティバルホールでの宴会の参加人数に関して、市警察が急に今になって異議を唱えているという(保安上120人は多すぎるという話)。夕方にオフィスへを戻ったら即対応すると返答し、僕はメーティングにもどって、DTはニューヨークへ飛んだ。
夕方にオフィスにもどり、たまった仕事をこなす。11月1日に中国関連の公式行事が4つもあるため、非常に煩雑な仕事(例えばRoyal Boxの皇太子の座席にクッションを用意することから、3000人の客の身元確認、チケット販売、メディアに公式声明の発表まで)が多いのだ。
夜はロンドン映画祭で"Wu Yong"という中国映画をみた。一人なのに間違って二枚もチケットを買っていて、かつつまらなかったのでとても損した気分だった。
19 Fri
晴れ、自転車通勤。今日は11時にソフィーとアンナ(Press Office)とミーティングがあっただけで、あとはオフィスで細かい仕事をした。中華街に設置する花壇の重さやコスト、Pearl Awardsのドレスコード、宴会人数・・・そういったことだ。昼はナゴミでカツ丼を食べ、午後はマイケル伯爵へのDame Jessica Rowsonについての報告書を書いた。
ふと気がついたのだが、この報告書で登場する人物は、僕を除いて全員爵位を持っている。マイケル伯爵、トム伯爵、ヘイドン伯爵、デーム(女性爵士)・ジェシカ・・・。爵位を持っている人間というのは似た特性がある。みな頭の回転が早く、ユーモアで、弁舌が優れており、堂々としている。コソコソ隠れて何かしている様子はみられない。常に自分の外に自分を置いている。でもそれは彼らがバカだという意味ではない。建前と本音の区別がない、ということでもない。じめじめとした屁理屈を遥かに超えるような明るさがあるというだけだ。要するに生の美徳をよく知っている。
生にも死にも美しさはあるけれど、少なくとも若いあいだは、僕は生の美を謳歌したいなあ。
20 Sat
9時半まで寝坊してDuke of York SQのFarmer's Marketで買い物。アップルパイとクロワッサン、牛乳を朝食用に仕入れる。その後絢日とチャットやスカイプをしてまったりと過ごした。Bobbyというケネディー暗殺にまつわる映画を一本観る。夕方にジムへ行って筋トレ。今日はボート漕ぎの機械で身体を温めたあと、大胸筋と上腕二頭筋、下脚三頭筋というメジャーな部分を鍛えた(ていうか、そういえば医学部で人体の筋肉、骨、関節、筋、血管、神経etcの名称を暗記したはずなのに見事に忘れてるな・・・)。深夜にはロンドン・フィルムフェスティバルの日本映画『ヴェクシル』を観に行った。土曜日のレスター・スクエアの人の多さに驚いた。2時帰宅。
21 Sun
なにもしなかった
22 Mon
7時半出勤。朝はメール処理、12時半にC.T. TangとDT(Westminster)とミーティング、3時にDTとミーティング、4時にPFBEとミーティング、続いてWOと打ち合わせ。夜は中国大使館とビジネスディナー。帰宅後Project Listを作成。
23 Tue
晴れ。冬。8時出勤。昨日問題となったパール・アワードのProgrammeを作成。分刻みで誰が何処で何をするかを示す表をつくった。11時からWilliamが合流。昼食をとる余裕はなく、3時からChina TangでDTと会議。終了後即中華街で打ち合わせ。オフィスに戻り荷物を片付けて再び中華街で打ち合わせ。20時帰宅。"Chinese Projects"のブリーフィングを作成。ここ数日はすべての公式行事の細かな詰めを行っている。同時にパールアワードのチケットをあと1000枚売りさばこうとしてる。あらゆる方面に打診していたところ、イートン校から200枚のチケット予約が。さらに大使館経由で中国語学校が300枚ほど取ってくれそうだ。物事を始めるのは簡単だが完了させるのは難しい。性格上の問題というより普遍的にそうなのだろう。とりあえず11月1日を乗り切る。
24 Wed
PFBEに出勤。昨夜取りかかったChinese Project Listを完成させる。クラレンスハウスに戻り、細かい内容のメールに30通ほど対応した後、今度は中華街の最終プログラムをつくる。分刻みで、誰が、何処で、何をするかを進行表を埋めていく。DTによると昨年聖ジェイムズ宮殿で行ったイベントのときは、120人の客・1時間の内容で87ページのプログラムを組んだそうだ。セキュリティからトイレットペーパーまで・・・皇室厳しい。でも大勢の人間の行動ラインを想定するのは得意だし、楽しい。二十歩先まで考えるチェスのようなものだ。3時に中華街で最終MTG。4時半にもどり、プログラムを完成させたのは8時。ちょっと脳の回路がパニクったらしく、気づいたら壊れた信号の前で5分か10分くらい(あるいは1時間かも?)突っ立っていた。パートリッジでローストチキンと野菜ジュースを買って帰る。今夜はイートン校の公式招待状をつく・・・
25 Thu
夜イートン校の中国人ディレクターと食事。ひきつづいて上海市浦東区副区長と食事。
26 Fri
HRHのブリーフィング作成
27 Sat
South Kensingtonでチケット受け渡し。空港へ両親と伯父を迎えに。夜はDorchesterと中華街へ。アフリカ通の伯父(胡主席から南アの大統領、ボツワナ大統領・大統領候補まで全員を知っているらしい)がボツワナに新設する発電所計画について語る。純利益で数億ドル入る事業だと言う。あまり巻き込まれたくないが、事業はどこかでチャレンジが必要だというのもわかる。
28 Sun
セントポール大聖堂、テートモダン美術館、ヴィクトリア・アルバート美術館をまわってきた。
29 Mon
30 Tue
31 Wed
未分類 | 2007/10/04(木) 02:31 | Trackback:(0) | Comments:(0)
September
Sat 1
早朝にベルリンを出発してカッセル、ミュンスター、フランクフルトと列車で移動してまわった。目的はカッセル・ドキュメンタとミュンスター・プロジェクトを観ることだったが、正直どちらもいまいちの内容だった。現代美術は裸の王様だ。
Sun 2
フランクフルトからロンドンへ。午後姉と落ち合い、スロースンスクエアをちょっと散歩した。一週間動きすぎてさすがに疲れた。
Mon 3
7時半出勤。呉博士らとホテルで待ち合わせる。PFBEで一日会議。夕方に一度CHのオフィスにもどり、その後スローンスクエアに帰って両親と会い、19時からジェイムズとデヴィッドとMTG、7時半から引き続きPFBEと呉博士と父らとチャイナクラブで食事。
Tue 4
Uptonへ。地下鉄のストライキでタクシーも見つからず、バスも30分遅れ。なんとかユーストンにたどり着き、Hooperらと電車に飛び乗る。4時半にロンドンへ戻り、いったんオフィスへ。その後帰宅し、両親をヒースロー空港へ送り、帰って夜はあやひとチャットした。
Wed 5
Dorchesterへ出張。イギリス最南端近くまで行く。コーンウォール公領でプレゼンを聞いたのち、街を視察して、食事。その後海へ。往復電車5時間。帰宅後疲労のため2時間くらい動けず。頭の中を整理したら明日やることが23件でてきた。
Thu 6
出張前の調整をする。関係者に個人メールアドレスや中国での携帯番号を伝える。再来週帰ってきた後の予定を立てておく。
Fri 7
朝オフィスで最終調整したのち、空港でトムとアンドレと待ち合わせ。ブリティッシュ・エアウェイズ(ビジネス!)11時間飛ぶ。飛行機でトムといろいろなことを話した。
Sat 8
上海到着。金茂ビルの最上階で上海を一望し、珈琲休憩。その後衡山賓館にチェックイン。午後4時待ち合わせる約束をして、自分はいったん実家へ帰る。親戚何人かが待っていてくれた。DVD等の買い物をして、トムらを迎えに。ところが衡山賓館が工事中でほこりが大変なため、すかさずチェックアウト、浦東のシャングリアホテルに移る。豫園を巡り、小龍包を食べ、夜はバンドへ。外灘3号のオーナーらと黄浦会で食事。1時帰宅。
Sun 9th
自分は喉が痛すぎて朝起きられず、父らがトムとアンドレを迎えに行く。その後家によって、小西門、朱家角、金沢、周荘をまわる。英国人大感激。夜は雍福会で孫区長、載先生らと食事。
Mon 10th
10時のフライトで北京へ。中国会へチェックイン後、紫禁城へ。乾隆帝の庭を世界建築基金会(WMF)が修復しているのを中央電視台と共にドキュメンタリー作品として撮影するプロジェクト。最後の皇帝が出て行ったまま、まったく手が付けられていないボロボロの部屋、数々の絵画や装飾品をみてまわる。夜は、中国会でWMFの人々と食事。
Tue 11
午前11時より再び会議。PFBEの3人が到着。午後は呉博士と都市計画博物館、紫禁城をまわる。その後トムとアンドレとCCTV, WMFの会議に参加。琴ドキュメンタリー・コンサートのの構想で多いに盛り上がる。PFBEの三人は帰って休んでもらった。
Wed 12
清華大学のプロジェクトを3つ見学。途中でジョンソンが参加。午後は英国大使館でDavidと会談。夜はビジネスディナー(北京ダック)。うまく話をまとめた。
Thu 13
頤和園と万里長城。63歳のフーパーが長城を踏破した。夜は藩氏と中国会で食事。
Fri 14
朝のフライトでロンドンへ。帰りは早い。到着後そのままオフィスへ向かう。7時帰宅。
Sat 15-Sun 16
なにもせず、どこへもいかず、ぼーと過ごした。日曜日の夜にMOU(Memorandum of Understanding)を書いた。ジムに入会。
Mon 17
MOUをDTやSMPに送信。素晴らしいフィードバックが返ってくる。WestminsterからChinatown Associationのメールを転送してもらう。中華街に樹は植えられないとのことだ。
Tue 18
DTからWestminsterへの怒りのFaxが転送されてくる。午後Katherineと日本食ランチ。16時にPFBEでHooper、Jasonと打ち合わせ。今後PFBEで週に一日程度働くことになる。夜はDICの社長とSone Yutakaさんの展覧会オープニングパーティへ。その後China Tangで夕食をともにした。
Wed 19
昼間仕事。トム曰くオペレーション・フリーダム(個人機密)は着実に進行しているらしい。午後シンガポールのTycoonとランチ。Boole'sという"Gentlemen's Club"にAndrewに招待される。夜はロンドンファッションウィークのあるパーティに顔を出すが、40−50代のおじさんばかりで場違いだった。
Thu 20
WestminsterのPaulといよいよ会議。Plan Bはうまく話を進めた。中国大使館来週のTCMとPhoenix TVのミーティングをふたつセッティング。FIHのキムとメールで口論に。Andreへ琴に関するメールを返信。仕事が波に乗りすぎてプロジェクトが大量発生状態。警戒せねば。
Fri 21
昨日のMOUを書き、関係者に送信。琴の10万ドルを請求。DTと電話。ここのところ毎日仕事のメールを30通以上は書いている。イギリスに来てから今まで書いたメールの数は総計1000通は軽く越えてるだろう。これだけ書けば英語が上達するのも当たり前である。やっぱり量だ、量。量が増えると質が変わる。夜ロニーソコッツへジャズを聴きに。
Sat 22
Tate Modernに行くつもりだったが、サウスケンをぶらぶらしてV&Aのカフェでランチ。中国大使館の秘書官に100% Design (London Design Festival)のオープニングに誘われていたが、けっきょく無しになった。午後ジムでトレーナーと運動。夜はドラマ『華麗な一族』を観た・・・エンディングがいまいち。DTに1万ポンド請求(9000 for the treatment, 1000 for clothing allowance)、みごと獲得。
Sun 23
起床後、聖ポール寺院へ。「FTと百貨店」に関する説教が行われていた。ミレニアムブリッジを渡り、テートモダンのメンバーズルームへ。レイモンドと遭遇。軽く展覧会を観たあと、ロンドンブリッジへ散歩。自転車屋さんに入り、うろうろ。ウォータールーへ移動し、そこの店で最安価の自転車(それでも計277ポンド)を購入。サウスバンクの橋を渡り、ストランドへ。サヴォイでアフタヌーンティ。ピアニストがスターウォーズや誕生歌ばかり演奏していたうえ、環境も最悪だった。"Non-senseだ!"と訴え、なんとかバッハを演奏してもらうが、弾き方がロマンチックすぎて胸やけがした。その後コヴェントガーデンを歩き、ウォータールーへもどって自転車を受け取る。家まで走るが途中でおおいに迷ってつかれた。帰宅後M&Sへ調子にのって自転車で買い物へ。途中で買い物袋がやぶれ、結局押して帰った・・・。
Mon 24
Tue 25
Wed 26
脳内の仕事のことを書き出してみた。
1、中華街の訪問 a)コミュニティーセンター b)菓子屋(organic food) c)レストラン d)皇太子のスピーチ e)地元政府の対応 f)メディアの対応 g)警察の対応 h)10月10日の下見
2、北京胡同プロジェクトの進行 a)清華大学の報告書 b)進行管理 c)皇太子基金会の報告書 d)パターンブックの制作 e)中国美術学院の色彩研究団の派遣 f)資金の調整 g)DTとマイケル伯爵の打ち合わせ h)10月31日のケンジントン宮殿晩餐会
3、中華街の改造 a)地元政府建築部門との会議 b)中国大使館の応援要請 c)ロンドン市長との面会 d)オリンピック委員会との連絡 e)清華大学からデザイン情報の調達 f)ウェストミンスターのプラン学習 g)土地のデータ収集 h)コストと予算の計算 i)進行表の制作
4、琴 a)上海への送金 b)資金の使用用途 c)コンサートの可能性 d)大英博物館との連絡 e)更なる資金獲得 f)海外とのリンク g)中央電視台とのドキュメンタリー制作
5、紫禁城の修復作業撮影? a)世界建築基金会との調整 b)予算試算と資金調達 c)ストーリーの構築 d)下見+調査 e)実際の撮影 f)編集 g)利益の分担 h)CCTVとの契約 i)弁護士との打ち合わせ
6、漢方 a)中国大使館のとの協力打ち合わせ b)国家中医薬局とのイベントの可能性 c)皇太子総合健康基金会のCEOの説得 d)Plan Bとして皇太子基金会イベントカンパニーの巻き込み e)会場の選択と確保 f)予算の計算と資金調達 g)China Nowとの調整? h)メディア対策
7、The Pearl Awards reception a) ロイヤルフェスティバルホールとの調整 b)音楽家との調整 c)チケット3000枚の販売 d)会場の安全確保 e)VIP レセプションの用意 f)ゲスト・リスト
8、鳳凰電視台 a) Duchy Originals の取材 b)David LamとPFBE, Prince's Trustの取材 c)コミュニケーションオフィスの認可 d)11月1日の生放送に関する協議 e)皇太子のインタビュー(原稿用意)
9、11月19日中国政府高級幹部のためのプレゼン a)PFBEのハンクと原稿用意 b)Business&Environmentのレクチャー準備 c)中国語の予行練習
10、中国代表団2006のReunion a)ゲストリストの制作 b)特別イベントの企画 c)報告書・企画書の準備
27 Thu
チームミーティングで中国関連のプロジェクトの数々を報告。引き続いて鳳凰テレビの取材に関しての内部打ち合わせ、そして大使館を交えて三者会談。なかなか悪くない案だが、悪くない程度では現実化できない。すごくいいものでなくては手をつけてはいけない。夕方にフリーメーソン博物館へ!フリーメーソンが意外とオープンなのを知ってショックだった。お土産屋に定規のマグカップやフリーメーソンのガウンを羽織ったテディベアが売られていた。その後オフィスへ帰り軽く仕事して日本大使館のパーティへ。最強につまらなかった。外交官たる者たちがあれでいいのか、と外国人の僕ながら心配になる。そもそも英語が話せていないではないか!あまりの苦痛にプレゼン(日本庭園について)の間、俯いたり、トイレへ逃げたりしてしまった。その後のドリンクパーティも何らホストがホストたる仕事をしていない、ただ部屋にたくさんの人間がいるだけの状態で、あとはセキュリティが周囲でうろうろ。ああ、日本・・・。僕は日本のためにも仕事したいと思っているのだが、話しかけた大使館の文化部?の人もすごく傲慢で、ホントやる気がなくなる。とにかく会場にいた元気な人たちと胡散晴らしに中華街で飲んで帰った。
28 Fri
別件で中国大使館とFIHのキムとミーティング。漢方医薬を英国で如何にプロモートするかについて話し合った。予想以上にいい会議。夜は家でダイハード4を観た。最低だった。
29 Sat
ハイドパークを散歩し、ポートベロー通りへ骨董市めぐりへ。その後家に帰ってあやひとチャット。夕方は原くんとチャイナタンで食事。
30 Sun
起床後部屋を片付け、買い物と洗濯を済ませる。ドラマ『人間の証明』を少し観て、ランチはフレンチ料理屋に。夜ジムで泳いできた。
未分類 | 2007/09/02(日) 17:41 | Trackback:(0) | Comments:(1)
August
Wed 1
午前仕事 ナショナルギャラリーであやひと待ち合わせ、中華街で「世界一サービスの悪い」中華料理屋(でも味はまあまあいける)で昼食。グローブ座でシェイクスピアの『恋の骨折り損』を少し観る。テムズ川をクルーズでウェストミンスターまで移動し、タクシーでチェルシーフィジックガーデンへ。その後M&Sで食材を仕入れて夜はふたりで料理をつくった。
Thu 2
オックスフォードへ遠足 到着後The Trout Inn(大学から車で10分ほどの郊外にある川沿いのレストラン)にむかい、ランチをした。歩いて大学エリアまで戻ろうとしたが、先月の歴史的大雨のせいで道が通れず、泥まみれになってあえなく断念。エクスターカレッジ、クライストチャーチを見学。パンティング(ボートの川下り)をしようとしたが、これまた大雨で川が流れが速すぎてできなかった。残念。
Fri 3
あやひと乗馬 ハイドパークが気持ちよく晴れ渡っていた。午後はお土産を買いにハロッズやキングスロードのアンティークモールに行き(あやひがおじいちゃんに紳士用の杖を購入)、午後はリサのKnightsbridge Schoolを見学した。夜はロイヤルアルバートホールでラフマニノフの交響曲第二番を途中まで聴いて、ピカデリーのバーへ。なぜか全く客が入っておらず気分が乗らなかったのでなにも飲まずに帰宅した。
Sat 4
あやひが帰国。ヒースロー空港まで送ってふたりで一通り涙を流したあと、家に帰って考え事にふけり、とりあえず寝てみた。親と電話。夜はバービカンホールでモーツァルトのレクイエムを聴いた。
Sun 5
なにもしなかった。
Mon 6
久しぶりにしっかり働いた。8時半から17時半まであっという間で、2時間くらいにしか感じなかった。脳みそがまったく疲れずに働いてくれた。基本的に今とりかかっている仕事は、1)北京胡同再開発プロジェクト、2)11月のチャイナ・デイ(イベント五つ:ケンジントン宮殿での晩餐会、皇太子殿下の中華街訪問、中国代表団2006の接待、中国政府との会議、ロイヤルフェィスティバルホールで行われるThe Pearl Awards Reception)、3)PFBE(Prince's Foundation for Built Environement)の中国訪問と清華大学のロンドン訪問、4)World Monument Fundの故宮ドキュメンタリー映画、5)Traditional Arts Co. の新大学設立計画、6)Duchy Originalsの中国展開、7)Green GDPというAccount for Sustainability のプロジェクト、8)琴社の寄付金申請(5万ポンド)、9)中国大使との漢方方面での協力、10)フェニックスTVとの皇太子基金会のフィルム制作である。まだある気がするが、思い出したら書き足す。三ヶ月弱でこの量の仕事だから、1年も2年もいたら半端なく忙しくなるにちがいない。そして、この仕事が普通の会社とちがう醍醐味は、スケールがでかいのに、絶対に失敗が許されないことである。生きるか死ぬかの戦場で「失敗」が死を意味するのと同じように、ひとつもNOがあってはならない。NOとはすなわちなんじを殺す銃弾なのである。したがって常に高度の緊張を保たねばならぬのだが、完璧主義の僕にはすごく向いている気がする。
Tue 7
八月のイギリスは死んでいる。皆休暇を取るからだ。社会全体が鈍っていて仕事にならない。でもそれがまた事情があって夏休みを取れない人をもリラックスした気分にさせるのだろう。今日ものんきなものだった。9時に出勤して3時帰宅。メールを20通くらい書いたが、その他は会議を1つこなしただけ。メールで友達と週末のBBQの企画を立てていた。明日は朝にミーティングがあるが、その分すぐ終わるのでひょっとしたら昼には帰れるかもしれない。そして17日から27日は僕の夏休みだ。この10連休を休んでもあと有給がまた18日も残っている。クリスマスとイースターも自動的に休みだからむしろどうやって有給を使い切るか悩むほどだ。いわゆる日本の働き方は果たして効率的なんだろうか?確かに日本は経済大国だけれど、人口も欧米諸国の二倍ほどであるわけだし、必死に働いているわりには国際的な地位は高くない。今回イギリスにいて、「日本」と「日本的なもの」の価値が下落しているのを身にしみて感じる。みな中国関連の話にはくらいついてきても、日本には無関心だ。そしてそんな取り残された日本では日々不可解な事件が起きている―政治家の無能とか無意味な自殺とか不気味な他殺とか。外国人の僕が言うのもなんだが、日本が心配だ。外交も政治も経済も文化も?すべてにおいて二流に成り下がっている。文明の堕落―今日、日本にいて希望を感じる人間は何人いるだろうか。不思議と絢日は好きなのだけれど、そうでなかったら日本から脚を洗いたいくらいだ。
Wed 8
朝ベリンダ・グディング(Duchy OriginalsのCEO)とChing He-Huang(英国系中国人でちょっと有名なオーガニックフード仕掛人)と会議。中国展開の可能性を探ってみたが、すでにエイジェントが中国総代理店権の交渉しているとのこと。本当は僕らがDuchy Originalsの代理権をとりたかったのでビジネス的には残念だけど、個人的には今後長期にわたって英王室とコミットすることがなくなりそうなのでよかった。すくなくとも自動的に数十年ここに縛り付けられることはない。父は電話でがっかりしていたが、むしろ僕にとってはよろこばしい。昼に絢日からメールがあり、心配なので家に帰ってチャットした。少し元気になったようでよかった。その後オフィスへ戻り昼食にサラダを食べて来週の中華街の会議のアジェンダを作成。午後はトッテンガムコートロード(ロンドンの秋葉原)にいってレコード機の換えの芯を買ってきた。家に帰るとアメックスのカードが届いていた!ちょっと興奮。その後上海と電話してアンドリュー(Chairman of The Prince's Regeneration Trust)らの中国訪問の件を話し、夏休みにイタリアへ行く計画などを相談した。夕方には現像に出していたザルツブルグの写真を受け取りにいき、週末のBBQの機材などを下見にいった。友達から夕食を食べようと誘われたので、家で自分が料理することに。ああ 八月はのんびり。
Thu 9
家でGREEN GDPの調査をすると言って会社をさぼった。結局そのレポートにはまったく手を付けず、絢日とチャット、ビザ申請の手続き、読書(『斜陽』を読み切った。貴族の絶滅に関する話だった)、買い物、料理などをしていた。午後に家事手伝いさんがきて掃除してくれて、夕方にスタイリストが来て髪を切ってくれた。どんなに苦しくても、たとえ損をしても、人を雇うことは大事だ。誰かを雇うことはモチベーションを高める。それは損得以上の価値がある。スタイリストの子にゆで卵の話をして、夕飯を一緒に食べた。久しぶりにワインを多めに飲んでほろ酔い。また絢日の自慢をしてしまった。
Fri 10
仕事 11時半で切り上げて帰宅。夕方まで寝る。なんていう堕落。とくにもなにもせずごろごろした。あたまが日本語でいっぱいだ。絢日が来る前より仕事の能力とやる気は確実に下がったが、日々の満足度は増した。まあ8月はいいのだ・・・・デビッドもイタリアで休暇とってるくらいだし、皇太子もスコットランド行ってるし・・・、トム伯爵だって今日から8月27日まで休みだ。フェニックスTVのボスも・・・・みんな休んでいる。すばらしい。休もう。すばらしい。
Sat 11
友人らとうちでBBQパーティをした。レイとロバート、キャサリン、ジェイミー(女)、チン、ジェーミー(男)と自分の計七人。最初はひさしぶりの英語に戸惑ったが、終わってみるとかなりまた話せるようになっていた。やっぱり定期的に話す機会を設けねばならないなと思った。パーティ自体も最初は気が重かったが終わってみると楽しかった感じがした。まるで英語の柔軟体操をしたような気分だ。毎日続けていればそうとう身体が柔らかくなるだろう。逆に凝り固まってしまうとますます喋るのがおっくうになってしまうものだ。天気もよかったし、プライベートガーデンも気持ちよかった。イギリスでの友達付き合いが、初めてほんとうに出来た気がする。
『ブラッド・ダイヤモンド』を改めて観た。今の自分は、糞ほどの価値もないと思われた。いい映画だ。
Sun 12
基本的になにもしなかった。なにも買わなかった。
Mon 13
Quartet Meeting 午後帰宅してあやひとチャット
Tue 14
朝メール等を片付けてランチはChina Tangで。帰宅後あやひとチャット
Wed 15
LLCAとビジネスランチ 今までの努力が報われた!ついに中華街改造計画決定。夕方には研修生のマイを受け入れ、Green GDPのレポートを書いてもらう。人を使うって楽でいい。HRHが近況報告を聞きたいとのことー金曜日に報告書を提出すると返答。夜は中国大使秘書のLYとビジネスディナー@China Tang。漢方方面の協力で一致。すっかりオレも外交官になったな。
Fri 17
HRHにメモを送った
Sat 18
十連休初日
Mon 20
彫刻家の友人のスタジオに遊びに行く。木彫りをやるにあたってアドバイスなどを受ける。午後はナショナルギャラリーの本屋でぶらぶら。
Thu 23
連休中だが今日はミーティングがあるので、ちょっとオフィスへ行った。皇太子とマイケル卿から返信があり、僕の仕事を絶賛してくれた。オフィスでも話題になっているらしく、会う人会う人が「おめでとう!」と言ってくる。マイケル卿の秘書のスージーは、「私が言う立場じゃないんだけど、殿下がレポートに返信することはめずらしいし、あんなに誰かを賞賛することなんて本当に稀なのよ。すごいわね」と言ってくれた。オフィスでメールチェックしていると電話が。でもメールも100通くらいたまっているし、1時間しかオフィスにいないので無視していたら、しつこく3回くらい鳴ったあと、秘書課の人が飛んできた。「フェイフェイ!なにしているの、HRHがあなたに電話していたのよ!」・・・。皇太子の電話を無視してしまった。こちらからかけ直すと、「11月の中国政府訪英団に私の基金会のプレゼンをしてくれないか、そのほうがずっと効率がよいだろう」というお話だった。"Could you...Could you...?"と連発していた。"Absolutely, Sir"と答えておいたが、また仕事が増えた!午後2時からはQuarted Committeeとデヴィッドと会議。中華街訪問の話がかたまってきた。その後South BankでThe Pearl Awardsの打ち合わせ。帰宅後、両親のイタリア旅行とドイツ旅行の手配をした。4人分のホテルを5泊分と、航空券10枚、新幹線のチケット15枚を予約した・・・。疲れた。
Fri 24
朝GP(General Practitioner, ホームドクターのこと)に会いに行った。ここのところ左のあごの調子がおかしい。そして午後にはオステオパシー(英国式筋肉の整体)に。左の骨盤が高くなっていて、そのせいで左の肩も高くなっていたので、マッサージのあとゴキゴキっと骨の位置を直してもらった。終わって地面に立ってみると、本当に左半身が低くなったのが感じられる。ついでに正しい歩き方、正しい座り方(つまり背骨をどうやって骨盤にのせるか)を教えてもらった。今では自分の骨がまるでX線のように透視で見える気がする。歯科も来月に予約した。人気のところで来月までいっぱいだという。健康第一。いつまでも生きたいとは思わないが、若い状態を2、3年でも長くのばせたらやれることはいっぱいある。そのための努力といったら実は一日10分もいらないのだ。「私は太っている人間や痩せすぎている人間を信用できない」という人がいたが、彼は正しい。自分を管理できない人は何をやってもうまくいかないのだ。
27 Mon
カーニヴァル。中華街でCT Tangとランチ。姉到着。ヒースローへ向かいに。夜はまたCT Tangらとビジネスディナー。その後チャイナタンで真面目に親と話した。
28 Tue
中国大使館から未だ電話が来なくて参った。キムに電話して木曜日のMTGを取り消しに。
29 Wed
一日中オフィスで働いた。
30 Thu
中国大使館へトムのヴィザを申請に。あとはオフィスで仕事した。
31 Fri
ロンドンからベルリンへ飛んだ。両親はヴェネチアからベルリンへ飛んだので、空港で待ち合わせた(姉はヴェネチアからロンドンへ)。タクシーでホテルに向かい、その後軽くベルリン観光。正直全然好かない街だ。安っぽい。
July
Sun 1
Concert for Diana。6万人の大観衆。ウィリアムとハリーが後ろのほうに座っていた。一般人と何の変わりもない。あまりに長いコンサートなので後半は家に帰ってTVで観た。
Mon 2
BITC Awards @ Royal Albert Hall びっくりすることに1700人のフォーマルディナーが用意されていた。M&Sがスポンサーとのこと。HRHとゴア副大統領のスピーチのコントラストが印象的だった。でもゴアは前のAshton Awardsのときと同じ話をしてた。
Wed 4- Thu 5
ロンドンから3時間電車に乗ってイングランド南西部のPlymouthへ。Shefordという、丘?野原?にPFBEが街を作ろうとしてる。現地の関係者とWorkshop。夜は古い荘園に泊まる。翌日の朝野原のなかを雨と泥にまみれになりながら3時間歩いた。ブーツとレインコートを着ていたが、それでもスーツからシャツまで濡れた。Very English experience
Fri 6
誕生日!なかなか有意義な一日だった。午前はAHに招かれHenly Royal Regattaへ。ヘムズ川にたたずむ静かな街に、着飾った紳士と貴婦人が数千人集まっていた。川沿いにはボートハウスが並び、レース観戦のテントやレストラン、カフェ、プライベートクラブなどが並ぶ。Aの息子Mとその友達たちも学校の応援(イートン校)に来た。皆でランチをした後、僕はオフィスに戻る。
午後中国大使、MP、DT、TSと会談。歴史的なミーティングだと言っても過言ではない。30分の予定が結局2時間も話し込んだ。その後PFBEの新しいInternational Directorと会談。そして思った事:"Protocol, protocol, protocol!"ー外交儀礼が問題だ。"I will make an offer he can't refuse""One NO, you are dead!"まさに戦争である。銃弾に一発でも当たれば命はない。失敗は死を意味する。プロトコル……また一歩深みに入ってしまった。
Sat 7
シェイクスピア座でオセロを観る。昨日Henleyで会ったAHの妻Fionaのことを考えた。愛が前提になければ悲劇は成り立たない。夜は庭でBBQした。
Sun 8
快晴。家事をやってゴッドファーザー?を観た。
Mon 9
黒猫を拾う。SCの実家のディナーに招かれる。ハロー校の先生やクリケットの専門家などおもしろい人たちが集まっていた。
Tue 10
玉座の間(写真奥の部屋)で会議。秘密の通路。HRHからmemorandum
Wed 11
DorchesterでKSとビジネスランチ。AS、TS、KSらと故宮博物館のドキュメンタリー映画について会議。 "keep certain distance" 週末用にVirgin RecordsでDVDを5本購入。
Thu 12
香港から?4261届く。中国大使館から連絡。夜は家でちょっと映画を観た。
Fri 13
13日の金曜日!別に不吉なことは起きなかった。Jと話して19日の計画を立てる。EのメールからChina Dayにはもうひとつ政府系のイベントが企画されていることが判明。BWがアルゴアのドキュメンタリー放映に手を出していることもわかった。裏でみんななにかやっている。そうしえば「国王手許金諮問機関」?から着信履歴があった。何の用だ・・・
Sat 14
ちょっと風邪ぎみ。夜Barbicanへ。メンデルゾーンのバイオリンコンチェルトとモーツァルトのリンツ。正直まったく冴えないコンサートだった。ホールも客も演奏者も二流(ホールはお化け屋敷のような冷たい環境だし、客は演奏の途中で誤って拍手するし、演奏者は美女というだけで音にメリハリがない)にもかかわらず食事やチケットの値段だけは妙に高い。非常に納得のいかない夜だった。イギリス人は『音楽』(ビートルズとか、そういう「チューン」は別として)に向かない。この国は外交が得意だがそれ以外の全部は物まねだけだ。
Sun 15
朝ベッドでごろごろして小説(村上)を読んだ。昼DTにDr.Wについてのメールを書き、マーブルアーチへ。昼食後ノッティングヒルでレコード(バッハ/ブランデンブルグとモーツァルト/ドン・ジョヴァーニ)を購入。3時から大雨のなか乗馬。確実に風邪を引いた。あほすぎるが、先週も雨で乗ってないし、来週末もどうなることかわからないので仕方がない!でも確実にトロットできるようになっていて上機嫌だ。やっぱり乗馬用のズボンを買ってよかった。そして靴も今日のはフィットしていた。うまくなる前に装備を揃えるのは嫌だったが、やはり全然ちがうもんだ。来週は自分用のロングブーツを買おうかと考えている。ふふふ。家に帰ってIn her shoesを観る。なかなかの映画だった。特に結婚式の行われたぼろい屋台がロマンチック。DTとまた数通メールのやりとりをする。ちょっとした暗闘が発生するが、強気で乗り越えた。よし。
*初期につけた日記がみつかったので4月分をちょっと追加した。それから別のノートにこんな走り書きをしてあるのを見つけた↓
「英王室ではなくタイ王室と思うように」
・・・よっぽど緊張していたのがわかりますね。
Mon 16
午前オフィスでJとメールを数通交換。Oxfordへ。4時間(往復のバス3時間を入れると7時間!)待たされたのち、14人のグループを引き連れて大学を見学。ひさしぶりにユェンニンに会った。
Tue 17
久しぶりに一日中オフィスで仕事した。Eらとメールし、MとX DAYの前日に晩餐会を開催することで決定。(confidentialな情報なのでまったく意味が分からなくてごめんなさい)Dと電話。Cの時間を二分割するアイディアでいくことになりそう。とにかく木曜日のミーティングが重要だ。Fらの中国訪問のプログラムを練る。
Wed 18
Three Months ReviewでTから"Is it too good?"と反問されるほどの最高評価をもらった。自分で言うのもなんだがこの三ヶ月はなかなか重要な任務をやり遂げたと思う。次の三ヶ月はそううまくいかないだろう。提案やアイディアに優れていて、持続性に欠けるのは僕の特性だから。
Thu 19
正午に中華街でDT, Chairman of LCBA, Liaison Officer from Westminster Council, Chiarman of LCCC, DT, JE, CHらと会議。3時にSouth Bankへ移り、引き続きHead of Musicと打ち合わせ。
Fri 20
朝通勤途中でばったりKSに会う。一日事務仕事。大使からの手紙を転送し、大使館へ返答し、Duchy OriginalsやFoundation for Integrated Healthと接触。Tに3時に報告。最近は「課外活動」をまったく行っていない。帰って寝る。帰って寝る。の繰り返し。一つには社交にあきたのもあるが、もうひとつの理由としてちょっと貯金をしようと思っている。この仕事が終わった後、しばらく旅に出られるように。
Sat 21
午後乗馬。トロット最長距離を更新する。ハイストリートケンジントンからハイドパークコーナーあたりまでたぶん2キロくらいある距離を一気に駆けた。即座に内股が筋肉痛になった。夜はヴィクトリアへベトナム料理を食べにいった。帰ってからThe Good Girlをみた。ひさしぶりになかなか面白い映画だった。
Sun 22
基本的に家で報告書を書いていた。急に無闇にフライドチキンが食べたくなってKFCへ。太りすぎてマクドナルドを訴えたおばさんがいると聞くが、問題はマックやKFCの存在ではない。左でもなく、右でもなく、善し悪しを超えて存在するのが、最も上級な生き方だ。(「ケンタッキー」から「最も上級な生き方」を導きだすの詭弁)
Mon 23
昼にチャイナタウンでランチをした以外、一日オフィスで過ごす。週末にかけて書いたレポートを送信・転送する。よい返事が返って来る。やはり気合いを入れて取り組んだものはその気迫が伝わるんだろうと思う。かといって常にすべての仕事に100%の努力を注ぎ込むのもまちがいだ。タイミングを見計らって、重要な節々で全力を尽くすこと。「効果」というものは、ハイライトの連続であっては生まれない。
Tue 24
朝W博士らのメールを処理。午後Foundation for Integrated HealthのKLとミーティング。その後Overseas Team Meeting。SMPからメモランダムが返って来る。"Thank you for all your wonderfully excellent work." なぜこんなに評価が高くなったのか考えてみたら、それはそうだ、と気づいた。つまり、HRHが「目に留めた」記事(SMPのたった一行の文章)に対応して、2ヶ月で、現実に都市計画のプロジェクトを2つ起こしたのだ―大使や北京政府や皇太子基金会を巻き込んで。それは誰だって感嘆するだろう。(とはいえども自分の実力ではなく、単に最初から仕組まれていたというだけの話なんだけど)すでに3つ目のアイディアの布石を打っている。ああ、英語さえ完璧ならもっとできるのに。とりあえず、2年間ここでじっとしてみよう・・・
Wed 25 Thu 26
ホリデー前なので鬼のように忙しかった。いろんな仕事を来週にまわした。
Fri 27 - Sun 29
二泊でSalzbergへ行ってきた。Melchiorと再会。旧市街を散歩したり、Inner Childの話をしたりした。29日にロンドンへもどり、あやひと落ち合う。Sloane SquareのOrielで食事した。ロイヤルオペラハウスのバレエ『眠れる美女』を楽しんでもらえたみたいでよかった。
Mon 30
あやひとバッキンガム宮殿ツアー。その後テートモダンへ。メンバーズルームから街が一望できて素敵だった。ミレニアムブリッジを渡ってセントポールでバスに乗っていったん家へ帰る。夜はチャイナタンでディナー。バーで偶然リサに会った。
Tue 31
朝オフィスで仕事 あやひはリッツで60ポンド(!)の朝食。駅であやひと待ち合わせ、ロイヤルフェスティバルホールでデヴィッドタンらと会議をしたのち、サウスバンクを散歩。途中で怪しげなインド人(自称ヨガの達人)に呼び止められ、占ってもらって20ポンドとられる。「身体は寝ていても頭は寝ていない」と言われた。午後はロンドン最高級(?)の日本料理屋Nobuで梅冷巧らとランチへ向かう。元寧を連れてハイドパークに乗馬へ。夕方はふたりで国会議事堂ツアー。夜はロンドンで「最もロマンチック」とされるフレンチへいった。
未分類 | 2007/07/05(木) 07:31 | Trackback:(0) | Comments:(0)
June
Fri 1
マンチェスターへ出張。The Magazineの編集部を訪れる。WOと会談し、戦略Cについて意見を伺ってみる。不可能と言いながらも5分後には先方も説得され気味なのを確認し、満足。帰路の電車でさらに考えを発展させてみる。歴史的な報告書がこの週末にうまれようとしている。来週がTurning Pointになるか。中国人若手建築家、Oxford中国学教授、チャイナタウン雑誌主宰者の生の声が集まった。政府の数値データを添付し、斬新なアイディアと混ぜ合わせれば一丁出来上がり!夜MとDuke of York Squareでイタリアンワイン&チーズ。
Sat 2
10am乗馬。Jamesは厳しいインストラクターだが、Baronはいい馬だった。軽く走れるようになってたのしい。歩く際の姿勢もよくなりそうだ。レッスンがあまり健康的だった反動から、昼はなんとフライドチキンとチョコレートブラウニーを食す。人間って複雑。その後フラットに戻りシエスタを遂行――3.30pmにTとThe Dorchesterで待ちあわせてアフタヌーンティー。天気が素晴らしかったのでそのまま散歩し、Park LaneからGreen Park, St James's Park, Westminsterまで一気に歩く。夕方にSSQに戻り、休憩、8.30pmにピアニストEとフレンチ。美味。いい加減仕事せねば。
Sun 3
一歩も家を出なかった。
Mon 4
家で仕事。戦略草稿を練る。
Tue 5
11:30Tとミーティング。「天才!」「ファンタスティック・アイデア」と彼が狂喜しているのをみてほっとする。木曜日までに報告書をまとめることで一致。PFBEのHankにも電話、ほかスタッフ皆ポジティブ。Aに相談したところ「うまくいきそう」と言ってもらえた。あと大きな関門は5つ。MとHRH、DT、投資家、Westminster Council、そして現地中国人。まだまだ道のりは長い。
Wed 6
徹夜でStrategy Paper
Thu 7
オフィスでStrategy Paperの整理。先日書いた報告書が1ミリオンポンドを生み出したようだ。午後父と電話会談、夜になって戦略書をDTに送信。二週間がかりで濃厚な7ページにまとめたつもりなのにたった5分で感想が返ってきた。しかも鋭すぎる。本当に鋭い。文面はなぜか好意に満ちていた。フルに脳みそをつかえる場所に来られて幸運だ。ここでなら自分のポテンシャルを出せる。
Fri 8
昨晩からのDTとのメールのやり取りがつづく。今後の計画をめぐり暗闘。2:30にM、Oと会議。Good Newsから1)2億5千万円が初期費用として集まりそうなこと;2)北京市の協力を得られるであろうこと;3)有力な実践者(Possible Representative)が見つかったこと。C計画も絶大な肯定を得た。次は具体的な戦略報告書作りに入る。その後HRHと会談。すべては中英両国同時進行で。
Sat 9
10時半に起床、昼頃Tateの例の「サロン」へ。が、実際Rがその友人といたが、なかなかRの名前が思い出せずにあきらめてメンバーズルームを去る。Dali&Film展を観て(特に映像作品によって)ダリの印象が少々変わる。うろうろして結局珈琲を三杯も飲んでしまった。その後改装後再オープンしたSouth BankのRoyal Festival Hallを見て回る。まるでお祭り騒ぎだ。11月には自分もここでイベントを企画しているかもしれない。そのまま橋を渡り北へ散歩。途中で"Enough"というパレスチナ支援者のデモに遭遇し、イスラエルを罵倒する声を聞く。民衆ってすごいパワーを持っているもんだと感動してしばらく立ちすくんでしまった。Leicester SqでOcean's 13の夜のチケットを取り、リバティ(デパート)を見学し、ジャパンセンターでざる蕎麦を食べて帰る。夜は映画を観て友人宅で料理し、3時まで日本のドラマ『結婚できない男』最終話を観た。
Sun 10
乗馬、帰宅。夜E、Kとガーデンパーティ。
Mon 11
JKとらーめんとちらし寿司のランチ。17pm DT, MP, OBと会議。成功。常にグッドニュースをもたらす人だ、と相手に刷り込むこと。重要な判断はすべて自分でしておいてから他人と話すこと。DTが優しいのが未だに理解できないが、とりあえず仕事が一段落したのは良い。スーツ代と給料の値上げを請求。夜ポールマーティンの番組を観てティラミスをつくる。
Tue 12
昨日の会議の報告書をまとめ、MPに提出。途中でいったん家に帰って仕事。夜はラムにしようかと思ったが、結局サーモンとクリームのパスタをつくる。7時から翌日朝7時まで寝た。
Wed 13
出勤後、諸々の事務を片付けて中華街へ。ランチを食べてKnightsbridgeのHSBCで親に仕送り。Gieves&Hawksで新しいスーツを購入(皇室関係者なので25%OFF)。Waitroseで食品を購入にし、帰りに青い菊を一本買う。「ギフトですか?」と日本人らしきスタッフに尋ねられたが、"Ah...it's actually for myself"?―寂しい奴。かと思いきや、帰り道で"Is it for me?"と満面の笑みの女の子に話しかけられる。"Next time"と言っておいた。変な国だ。
Thu 14
一日休みを取ってリラックス。リージェンツパークのThe Queen Mary's Gardensへ。バラを見頃を過ぎていたが、そこのカフェは非常によかった。ひとりでコース料理―海老カクテルと若鶏と香草のメイン?―を食べた。その後セルフリッジでネクタイを買い、ナイツブリッジをぶらぶらして帰る。M&Sでいろいろ食材を購入して夜はEとステーキ。(カタカナ多すぎ)
Fri 15
PFBEのCEOとランチ。夜はWO、SH、中国大使らとマンダリンオリエンタルでCHINA NOWのパーティ。すべての人・物・事のレベルの低さに戸惑った。高次元の世界にすっかり慣れてしまった為か、ああでも現実世界ってこの程度だよなと思わされたイベントだった。常にDTやMPと自分を比べて自信喪失していたので、少し元気を取戻した。
Sat 16
乗馬は雨のため中止。"Amadeus"と"The Making of Amadeus"を観た。もはやマニアの域に達してきた。勢い余ってWigmore Hallの室内楽とRoyal Opera Houseのドン・ジョバーニのチケットを購入。しかも一枚ずつ・・・(でもクラシックは一人で聴きにいくのが一番だと思う。インターバルはさみしいが、一人のほうがより音楽に浸れる)。昼はベーコンとクリームのパスタを作って食べた。午後本屋で"Don Quixote"と"The Picture of Dorian Gray"、CD屋でMadeleine Peyrouxの"Half the Perfect World"(ジャズ)を手に入れる。すっかり心が一人モードに入ってきた。帰り道でクリーニング屋に出したスーツを受け取り、パン屋でスコーンと牛乳と朝食のパンを買う。帰ってシーツを洗い、ワインとビールを飲み、夕食も自分でつくり・・・と、かなり典型的な土曜日だった。
Sun 17
China Oxford Scholarship Fundのガーデンパーティに招かれオックスフォードへ。17世紀の荘園(入口から館の玄関まで500mほど距離砂利道がつづき、中に湖、ボート、数千平米の庭、温室、野菜畑やプールがある)の庭に設置された白いテントで食事した。参加者はオックスフォード大学の各カレッジの学長や研究者、学生、外交官、その他中英関係者100人ほど。この荘園の主人でCOSFの創立者でもあるTB自身はBankerだったという。12時から17時まで色々な人としゃべりまくったので疲れた。オックスフォードの市内に戻ってからSと一年ぶりの再会。21時半帰宅。
Mon 18
HRHによばれて急にミーティング。夜Wigmore Hallでコンサート。
Tue 19
今週はわりと自由だ。一日中オフィスにいることがない。PとDYSでお茶をして、Green Park、St James's Parkを散歩。夕飯はTaroで刺身と鳥照り焼き丼を食べて帰宅。昨日の睡眠を補う。
Wed 20
Royal Ascotに行く。Royal EnclosureのなかでもWhitesという最も“上品ぶった”クラブに行く。燕尾服を着ていなかったのがトラブルに。(燕尾服と帽子を身につけていないとRoyal Enclosureには本来入れない)DTと妻、JCなどとランチ、レース、デザート、レース、アフタヌーンティ、レースという具合ですごす。最初のレースで20ポンド賭けたらなんと見事的中し、135ポンドになって返ってきた。DTが「来年はWhitesのメンバーバッジをつけるように(つまりメンバーになる)」と言っていた。来年も?夜はRoyal Opera Houseでドン・ジョバーニ(女たらしのスペイン貴族が、ドイツ、イタリア、フランス、ギリシア、フランスで1000以上の女性をたぶらかした後、石像によって地獄に引きずり込まれる話)を観る。Anna Netrebkoはちょっと年をとった気がするが声も姿も美しかった。3時間半まったく退屈せず楽しめた。というか本気でおもしろかった。休憩時間にはばったりTとJに遭遇。オペラ終了後近くのギリシアレストランで夕食を。帰宅したのは12時半になってしまった。
Thu 21
朝のMonthly Team Meetingは来週に延期。広州現代美術トリエンナーレのレセプションパーティがTate Modernで行われるので10時半にオフィスをでる。JやGと会う。都市化の展覧会も面白かった。昼過ぎにいったんSSQへ帰り、Orielでひとりでランチ。初めて入ったがフランス風のなかなかいいカフェだ。再度オフィスに戻る途中でハロッズに寄り、Ascotで買ったお金でネクタイに使う。2:25バスに乗っているとCから電話があり、ボスが呼んでいるとのこと。「ボスって誰?」と思ったが、TでもMでもなくHRHだった。急いで宮殿に駆けつけるとAshdon AwardsのファイナリストたちがHRHと午後の紅茶をしている。参加者の中にアジア顔があるので納得。終了後”Feifei is marvelous"とHRHから皆に紹介された。けっこう気に入られてる。その後T伯爵とミーティング。近況報告+雑談。英語が突然上達したと言われる。家に遊びにくるようにも誘われた。"I will do whatever you want me to do"と、かなり信頼されてきたっぽい。夜はRoyal Geographic Societyで行われたAwards Ceremonyに参加。600人の環境保護関係者とゴア副大統領に会う。"In Africa there is a saying: if you want to go quickly, go alone; if you want go far, go together. We want to go far quickly"という台詞が頭に残った。2ヶ月で確実に評価は上がっているが、自分がどうしたいのかはまだわからない。打ち負かせられない相手に会ったら二年間そのもとで修行するのが一番だという考えは正しいと思う。僕は何事も一年以上つづけたことがないので、今度ばかりは少し長くここにいようかとも思う。
Fri 22
わりと暇な一日。出勤後メールを何通か片付けて、Sの評論文を書き直す。中国大使館と連絡し、MとFの面談の日程調整を進める。Jの訪日の手配。11月のC Dayに関してDTとメール連絡。TがD Concertのチケットをとってくれた。再来週の月曜日はBITCの授賞式に出ることに。来月3日にはスコットランドでクリケット試合。午後Dorchesterで久しぶりにまともな中華を食べる。夜はPと飲みにいく。
Sat 23
馬術のレベルがあがった。なんとサドルから手を離してトロットできるようになった!かなり内股の筋肉が鍛えられる。馬の速度を自分のUp, Down, Up, Downのリズムとのずれでコントロールするんだと判明。つまりモードの違いで主人の意志を伝えるのだー最近何事も意味深に感じる。それにしても土曜日のハイドパークを馬で駆けると人々の注目の的になる。自然と姿勢が正されるし、早く上達したいと思うようになるのは良いことだ。調子に乗って来週は水曜日の朝と土曜日の午後を2日分予約した。夜はテートモダンでロンドンの2012年に向けた都市計画ワークショップに参加するつもりだったが、昼寝して起きたらもう間に合わなかったのでやめた。代わりにテレビの下らない映画をみながら、イギリスの大学院について下調べをした。
Sun 24
なんとか一日中家にいてみようと試みたが、やはり午後出かけてしまった。映画を2、3本見てチャットしてご飯をつくったり片付けたり。それにしてもロンドンはイベントが多すぎる。毎週何かやっている。チェルシー・フラワーショー、ロンドンマラソン、ロイヤルアスコット、ウィンブルドン、ファッションウィーク、プレミアリーグ、フードウィーク、ヘンリー・ロガッタ、テートロングウィークエンド・・・その他ロイヤルフェスティバルホール、クイーンエリザベスホール、ウィグモアホール、バービカンホール、カドガンホールでは毎晩クラシックをやっているし、ロイヤルオペラハウス、ロイヤルアルバートホールではバレエや劇、大英博物館、テートブレテイン、ナショナルギャラリー、ヴィクトリア&アルバート、ポートレートギャラリー、ナチュラルヒストリー、その他無数の個人ギャラリーでは美術展が、サザビー、クリスティンのオークション、公園はハイドパーク、ケンジントンガーデン、リージェンツパーク、グリーンパーク、セント・ジェイムズパーク、グリニッジ、買い物はハロッズ、リバティ、ハーヴェイニコルス、フォータムメイソン、セルフリッジ・・・ああ。
Mon 25
早朝からPoundburyへ。8時半の電車に乗り2時間半、The Duchy of Cornwallのオフィスについたのは11時半だった。Aらとミーティングを三つ。午後16時にロンドンへ帰る。家に到着したのは19時半で無駄に疲れた。一路ドリアングレーを読もうとしたがぜんぜん頭に入らず。来年以降またOxで勉強する道も検討している。サブジェクトはEnglish?
Tue 26
4日ぶりにオフィスに行くと案の定重要なメールがたくさん。まずDTから水曜日に使う資料が欲しいのとメールが。急いで中国語と英語の報告書をまとめる。HRHが来週また会いたがっているとのこと。中国大使館へもMとのミーティングに関して連絡。JKとのランチを断る。GとBITCのイベントを再確認。Concert for Dianaのチケットを手配。夜China Tangでファックスの依頼兼食事をした。明日はいよいよ27日水曜日。北京時間の夕方にはすべての成り行きがわかるだろう。
Wed 27
7:30に乗馬。Mが厳しかった。9:30にBPでCと待ち合わせConcert for Dianaのチケットを譲ってもらう。直後にチームミーティング。終了後HSBCで諸事務を処理。オフィスに戻り昼食後オックスフォード大学主催のBritish Inter-universities Chinese CentreのLaunch Conferenceに参加。午後のセミナーでDr. FPと会う。その後再度オフィスに戻りメールを送受信後、SSQに戻る。夜はOrielで食事ーベートーベンのピアノコンチェルト@Cadogan Hall。
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未分類 | 2007/06/05(火) 07:30 | Trackback:(0) | Comments:(0)
May
Thu 17
15:30にJKと彼の店で会う。いろんなアンティーク本を見せられるが、KSと知り合えたのはよかった。古書修復部の人間もなかなかおもしろかった。夜はRとその仲間たちとほぼ徹夜に。非常に疲れたし、案の定部屋のものを壊された。低能としか言いようがない。4時就寝6時起床!
Fri 18
TS、CCとCardiffへ。往復5時間、ミーティングは3時間。ウェールズにあるPCの分科会のような感じ。MW (DPS)がかなりやり手っぽい。が自分はとりあえず眠すぎて集中できず。往復の電車で有意義な会話をした。「上流階級は同じサークルで同じ会話でBoring! Boring!"とTSが言ったので、"But isn't is the essence of tradition?"と反問。いつもながらするどいと誉められた。言葉ができないからアイディアで勝負するしかないんだってば・・・。Paddingtonに6時に到着、帰宅後、Yと待ち合わせる。家で週末打ち上げを行い、二日分の睡眠を取戻す。
Sat 19
11時起床 Tate ModernでMと待ち合わせ。昼食をとりながら今回は『周易』について語る。隣に座った香港系の作曲家と知り合う。He has taught music to himself and was commisioned an opera by Royal Opera House... Mは8歳で処女作を出版しているのでこれまた天才。詩人と音楽家と視覚芸術家が出会ったのでなにか共同のプロジェクトを組もうと企画。土曜日の朝はテートのMember's Roomでサロンを行う事で決定。その後BFIでRHと会う。結局SSQまで歩き、ロンドンを横断する一日となった。夕食の仕入れ前にDuke of York SQのカフェで日本人のUrban Designerと知り合う。知り合い増え過ぎ。夜はRHとサラダとサーモンパイ、チキン等を大量に作り過ぎる。何事も過ぎるとよくない。DTに乗馬申請メールを送信。
Sun 20
9時半起床 Sloane SQの教会に出向くがサービスは11時からとのこと。Royal Hospital周辺をBatterseaの川沿いまで散歩 今週末はチェルシー花博なので何となく盛り上がっている。教会は途中で脱落し、家に帰る。午後乗馬の申し込みをして(?750!)Clifton Nurseryの花市でTと落ち合う。車で移動し、有機野菜を購入後、Old Streetへ。結局オレがチャーハンとサーモンマリネを作らされる。
Mon 21
Old Streetから出勤。朝一でMPにメール(夕方まで待つが返事は来ず)一連の感謝状を送り、上海総領事館と連絡。昼前に密かに一度帰宅し(荷物も多かったので)、昼食はStaff Dining RoomでSらと。15時よりPFBE:ミーティングを2つ。急いでPiccadillyに戻りQuaritchのKSと日本食。宇宙観が一致し、久しぶりにヒット。HKより?5000届く
Tue 22
PFBEに出向 Keithの幾何学のワークショップに参加する。Cambridgeでスーフィ教団に加わっている人物や若手デザイナー、アイリッシュ建築家等に遭遇。朝と夕方にオフィスでメールチェック 両陛下の訪英に関してMPから返信が。"Many thanks for the very kind offer, which I will feed to the system." とのこと。Dorchesterで夕食 Tang氏が実は10日前にロンドンにいたことが判明。彼はいったい何を考えているのだ・・・Anyway 今はカンヌフェスティバルに行っているとのこと。夜は久しぶりにひとりで過ごす。
Wed 23
WalthamstowへPFBEの都市計画会議に参加 三十人の専門家が街の改造計画(建物単位で)議論しているのを目の当たりにし、中国の事情は少々違うのだと悟る。いい意味ではないが、中国は規模が違う―ほぼシムシティだから。オフィスに戻る途中でCCと遭遇。後に彼女のファイルをみたが、こいつはできる。まだ入社一週間なのにすでに大量のドキュメントを産出している。夜はTとThe Lives of Othersを観る予定だったが、あまりの我侭さに唖然として撤退。家で夕飯を済ませ、ぼーっと寝たり起きたり本を読んだりテレビを見たりして過ごした。KSにメールしたが冷淡。
Thu 24
Team Meeting-Egham-Office-Dorchester-SSQ
Fri 25
Hampton Court Palaceの再開発会議に参加 PRTのAHがすばらしく貴族的で感銘を受けた。RHPの人間はうざい―自分を女王もしくは王子だと思い込んでる。一方でDeveloperも野暮すぎる。この両者は永遠にわかりあえないだろう。思うに別のDeveloperを探してきてHRHと約束させるのが一番手っ取り早い。一般化する必要のないプロジェクトなんだから。午後オフィスに戻るとMP経由でPOWから手紙が。Strategy Paperを書けとのこと。DTもやたら親切なメールを送ってきた。うーむここからは自分の頭で考えねば。
Sat 26
Hyde Parkで乗馬。DellでHRHの手稿を解読し、戦略書を考案。KSとSouth Kensingtonでランチをするが非常に気まずかった。英国人女性という生き物について改めて考えさせられる。女性に限らず英国人は厄介だ。表と裏が見事に乖離している。DT、MP、TS、誰も信用してはならぬ - and never hide. あのまなざしを覚えておこう。知性、体力、財力。夜は急にThe Godfatherが観たくなってPiccadillyへ。It's a legend.
Sun 27
時計を修理に出す。北京中医大時代のTとチャット。夜はXDとCharing Crossで待ち合わせ、雨のなかMayfairを歩き回る。パブで夕食をとりながら、彼の建築家の目からみた中国の都市開発について見解を聞けたのは有意義だった。が、けっきょく戦略書には手を付けず。
Mon 28 (Bank Holiday)
11時半テートモダンでJと待ち合わせ、展示を軽く見た後、メンバーズルームでランチ。ダブルマッキアートを二杯。むしろ眠くなることが判明。まだ戦略書には手を付けず。
Tue 29
諸々の用事を済ませ、戦略の草稿を書き進める。オックスフォードのFP教授と連絡。明日の午前Chinese Instituteで会うことに。JK経由でボドリアンのNo.2にも紹介してもらう。来週のMPと会うことが決定。午後Chinatownを視察 夜は自炊 Cと飲む
Wed 30
朝からOxfordへ。Chinese Institute到着後図書館で勉強。FP教授と会談、彼も衰えたなと思う。その後ロンドンへ戻りV&Aに直行。Rのツアーに参加。Royal College of Deffence Studiesに派遣されている各国の将軍らと共にまわる。人民解放軍の将軍や英国陸軍(?詳しくは不明)のGeneral、その他謎の10名程度のグループだったが、みんな至ってフレンドリー。しかし安易に自分の名刺を渡してしまったことを後悔。こういう場面ではなるべく記録を残さない方がいい。終了後オフィスへ戻り、事務処理。夜はNYから来たスタイリストのNと会い、連夜の酒を飲んだ。
Thu 31
10時Old StreetにあるPDSに視察へ。スタジオを周り、美大生やモデルの人や先生と話をする。午後はオフィスにもどり、久しぶりにDTと連絡。Royal Ascotに来いとのこと。その他感謝状などを送り、6.30Quaritchの古写真展オープニングパーティへ。一千万円の写真を販売しており、思わず鼻で笑ってしまう。KSは相変わらず冷淡。非常に二枚舌のイギリス人外交官の娘らしい、陰湿な印象を受ける。ボドリアン図書館の支配人とはけっきょく会えず、早めに帰宅。夕食は辛ラーメン。
den 07.12.2008 edit
だいぶ時間が経ったので裏日記を出しても問題なさそう。これを機に慎独日記裏は閉鎖します。
March 2008
5 Wed
朝からRoyal Society of Medicineへ。中国大使館と国家中医薬管理局と合同で"Traditional Chinese Medicine Week"なるイベントを企画しているからだ。昼はキャサリンとランチ。新しくアメリカ人の恋人を連れてインドに行くのだと言う。午後はRegent's ParkのPrince's Trustで会議&プレゼン。バッキンガム宮殿のLord Chamberlain(執務No.1)のピール卿に皇太子中国基金会とそのプロジェクトについて説明した。非常に感銘うけていた。
6 Thu
朝はAndreらと紫禁城のドキュメンタリー映画について打ち合わせ。その後清華大学の呉先生と電話会議し、皇太子建築環境基金会のCEO及び国際プロジェクト・ディレクターのハンクとフーパーとランチ会議。夜はカットモデルということでコヴェント・ガーデンの美容院に行った。無料だから文句は言えないのだが、なんと二時間以上かかってそうとう参った。
7 Fri
早く出勤しトムと打ち合わせ。僕の肩書きの昇格が決まり、来年からは"Liaison Officer (of HRH The Prince of Wales's Office)"と"Secretary of The Prince's Charities Foundation (China)"ということになった。10時半には引き続きThea(ウィリアム&ハリー事務所)と、12時にはShilpa(英連邦秘書課)とミーティング。Theaからは香港に移住するので就職の世話を頼まれ、インド人のShilpaからはコモンウェルスでプロジェクトを成功させる秘訣を聞かれた。「そんなの知らないよ」と言いたかったが、英国では転勤の回転がはやく、半分以上の人が僕の後輩となってしまったので仕方ない。夜は在英中国人のヤング・プロフェショナル(弁護士やバンカーの類いの連中)の集まりに誘われ、顔を出したが、あまりの退屈さに死にそうだった。インテリなんだろうけれど退屈だ。そのまま金曜の夜が過ぎ去るのに耐えきれず、断っていた別の友人の展覧会オープニング・パーティに途中参加。もうだいぶ遅かったので場所を変えて、うちで7人でワインを飲み、合宿所のように雑魚寝した。
8th Sat
昨日の連中と近所のマーケットを回って食材を買い、ランチをつくって、食べて解散。僕はハイドパークで乗馬。雨が降っていて寒かったが、乗馬の技術が自然と身に付いていて、とても嬉しかった。帰り道を公園のなかひとりで歩いていたら、彼女から電話が。帰って少しインターネットでチャットして、その日は6時すぎに寝た。
9th Sun
朝起きてThe Catcher in the Ryeの続きを読む。古いLPを聴いた。
10 Mon
11 Tue
12 Wed
13 Thu
14 Fri
What sadness over Tibet!
15 Sat
僕とDは深いところで共鳴していたが、言語や習慣のちがいのせいで、普通のコミュニケーションがうまくとれなかった。彼の楽天主義を貫こうとする見栄(丶丶)が僕は好きではなかったし、僕の悲観主義に走る傾向(丶丶)を彼は避けているように思えた。しかしそういう文化的習慣を除けば、概して我々は気持ちのいい週末を過ごした。
16 Sun
暖炉、太い薪、気持ちよく燃える音、特注のシャンパン、冷たい泡、床に寝そべる犬、宝石のような目と絨毯のような毛をもつ猫、気の利く使用人、十六世紀の建築、樹齢三百年を超える巨木、広い芝生、唐突に地面から沸き出したような水仙の花、池、一人の友、最新鋭の音響設備、熱いシャワー、高速インターネット、リネンのシーツと分厚いタオル、パーティ、駐車場、ヴァイオリン、倒れた老婦人、医師、逃避、田園風景
17 Mon
18 Thu
19 Wed
政治に巻き込まれている。時代の核心にどんどん迫っている。
20 Thu
"The most important thing is for each side to respect each other's difference of opinion and at the same time engage each other on matters of agreement. It is not one against the other. It is some for some, whilst one or two others can just rest!"
21 Fri
ロンドンー上海
22 Sat
上海到着。両親と密度の濃い時間を過ごした。距離を保ちつつ親孝行
23 Sun
上海ー北京 夜は大英博物館のJan、故宮博物館のFreda、中国中央音楽学院の章華英と会い、古琴復興の構想について話し合う。ゆっくり、しっかり、やるべきことをやればいい。
24th Sun
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080325-OYT1T00327.htm
28th Fri
チベットの事件が僕の仕事を大きく左右しそうだ。僕の仕事がチベットを左右してきた面もある。いずれにせよ、僕は国際情勢の真っただ中にいる。しかるに軽率なことは言えない。黙ればよいという問題ではないが、しゃべればいいという問題でもない。
各国、各民族の目論みを研究すると、どの立場も利己的だとわかる。みな「純粋な僧侶」(僧侶が本当に純粋だという意味ではない)という立て札を利用して自らの戦略を展開しているだけだ。別にそのこと自体は至って正常だが、これは単にマジョリティvsマイノリティの対立ではないし、現代文明(市場経済)vs中世文明(古き良き時代)の葛藤だけでもない。「チベットの事件は世界の良心を試している」と誰かが言っていたが、こういう言葉を聞くと反吐が出そうになる。オリンピックに出ないならそれで結構ーわれわれはアヘン戦争や植民地主義・人種差別を理由に倫敦オリンピックを棄権するという中国の声が聞こえる。一方で、中国は無限のトラブルを抱えているのは事実であり、チベット事件の弁明は窮屈だ。
信奉する主義を抱えないかぎり、人は立場を決められない。ダライ・ラマのインタビューを観たが、それは散々たるものだった。例の白い布を映画俳優や西洋政府のリーダーの首にかけるのもやめてほしい。理想化するのは、第三者の罠だ。
結局われわれは未だに西洋人に支配されている。本物の抵抗者は、どちらかいうと、むしろ中国だ。がんばってほしい。例えば・・・清朝のように、ダライ・ラマを中国全土のスピリチュアル・リーダーとして召還するとか?
未分類 | 2008/03/09(日) 21:04 | Trackback:(0) | Comments:(0)
Feb 2008
Sat 9
ここのところ日々の些細な出来事を記録することに飽きていた。発端は政治的に非常にセンシティブな仕事が舞い込んできて、神経質な僕が口を堅く閉ざすことにやけになったことに由来するが、じつは惰性を正当化する材料にそれを使いたかっただけなのかもしれない。この二週間を総じて言うならば、僕は自分の人生における王室での仕事の意義に見切りをつけ、今後数年間に渡って継続することのメリットとデメリットを点検し、足し算と引き算の結果をアタマが受け入れるように、時間をかけて吟味した。この間、僕は仕事を休み、英語から逃れ、部屋で日本語の小説を数冊読んだ。『グレート・ギャッツビー』(村上春樹訳)、桐野夏生『水の眠り、灰の夢』『顔に振りかかる雨』・・・学期末にイギリスから切り上げていく日本人留学生たちがインターネット上で売買している単行本を譲り受けたので、それほど選択肢があったわけではないけれど、それでも次第に取戻される日本語の感覚と、母語と密接に連動してみるみる回復していく主体性のおかげで僕は安堵した。ひとりでオイスター・バーに出かけてシャンパンを飲んだり、平日の昼間に小説を持ち込んで何時間もフレンチを食べたり、金のことは忘れてずいぶん気ままににすごした。銀行口座の数字はいくらから変わったかもしれないが、そんなことはぜんぜん重要ではないわけで。それよりも、数冊の本を読んだだけで、息を吹き返してくる僕の日本語能力に我ながら驚いた。それは英語、北京語、上海語の列で並べられる、チャンネルの多さが自慢ということではなく、たった十数時間のうちにここまである言語の読み書きが上達するという僕の物書きとしてのポテンシャルを実感するということだ。そして肝心な内容は、じゅうぶん過ぎるほど僕の中にはあるのだ。
Mon 11
今年の春節は、木曜日にKnightsbridge Schoolの子どもたち200人に演説(お話)し、土曜日に大英博物館のレセプションに出席し、日曜日には50万人を動員したとも言われるトラファルガー広場のChinese New Year Festivalの壇上で、なぜか大使やロンドン市長、国会議員らと共に獅子舞を観た。無論断っているが、連日メディアの取材問い合わせもくる。まだロンドンに来て9ヶ月。それなのに毎週パーティやイベントに招待される。4年も5年もいたら毎日パーティ尽くしだろう。これが社交界というやつか。
今日は午後の便で北京へ向かう。10日間滞在予定だったが、皇太子の緊急の謁見(僕ではなくある高官と)が決まったので、早く切り上げることになりそうだ。3月末には再び北京出張(建設省の会議と映画撮影)、四月は東京(HSMPビザの取得)と上海(結婚式の準備)。
ミーハーな僕は案外こういう生活が好きだ。一方で引きこもったりして全てを投げ出したくなる時もある。
Sat 16
出張で北京へ来ている。天安門広場前に残る伝統的町並みを保護・再開発するプロジェクトだ。総勢12人の英国人チームの面倒を見ながら、中国側と通訳、交渉をする毎日で、さらに北京時間の深夜近くまでロンドンと他の仕事に関するやりとりをしている。咳もいっこうに止まらず、そろそろ気管支炎なのではないかとさえ疑っている。運動もできず、身体も日に日に細くなる。
なんとかここを乗り切らねばならない。来週は皇太子の緊急面談、その後大英博物館と古琴展に関する交渉、それから大使館と中医薬ウィークの企画、3月末は中国建設省の国際会議、4月初旬は紫禁城の映画撮影・・・延々と仕事が待ち受けている。そして5月のはDがロンドンへやってくる。冗談ではなく、一歩間違えればスパイ扱いされるかもしれぬ危険を伴う仕事だ。
僕は若干26歳だけど、正直なところもう引退したい気持ちすらある。小さな「チャイナ・クラブ」でも開いて、文字の世界へどっぷり浸かったり、書道や琴やスポーツ、真の意味での美食を極める人生・・・その気になればまた伝統医学の道を追求してもいい。今は時代の流れの絶頂に乗っているわけだけれど、そんなものは無視して我が世界を創造する生活に憧れを感じる。金銭的にそれくらいのライフスタイルを支える能力はあるし、美的センスの意味からしても多くの世界を見てきたので、僕の創る「チャイナ・クラブ」はきっと繁栄するだろう。
しかし、石の上にも三年。今の仕事をあと2、3年は続けなければいけないことは、常識上理解している。だが、万が一向こうから追放されるようなことがあったら・・・という楽しい妄想が止められないのは、今僕のテンションが低いからだろうか。
Tue 19
昨夜予定を変更して北京から飛んで帰り、本日のウェールズ皇太子と唐家セン国家委員(副首相)が面談に参加した。この先の中英関係を考慮して先月末から僕がセッティングした会談だ。今回はあまりニュースにならないが、これが5月になって振り返れば、意義ある伏線と見なされるはずだ。
The Press Association
中国新聞網(皇太子の肩越しに僕の頭が写っている…)
夜はSir David Tの騎士の称号のお祝いパーティ。常連のケイト・モス、ヴェネッサ・メイから、オックスフォード大学総長のクリス・パタン、The Spectatorの編集長、John Lewisの創設者、空港免税店の発明者、KPMG創設者の子孫・・・軽く歩き回っただけでこれだけの人に会った。いわゆる「巨人」の集いだった。ドーチェースター・ホテルの一室に美や権力・金・知性のパワーが集結していた。でも僕は時差ぼけで眠かった。
Sat 23
木曜日の朝はチーム・ミーティング。唐家センと皇太子の面談を実現させたことがヘイデン伯爵らに高く評価された。
金曜日は休暇をとって朝ジムへ。夜は大英博物館のコンサートに出かけた。皇太子基金会がスポンサーとなっているので、代表して他のVIPと会いに行ったわけだ。やはりCheng Yuはいまいちだ。もっと自分の直感を信じよう。ダメだと感じた場合は結局ダメになるケースが多いし、その逆もしかり。
土曜日はFarmer's Marketへ。ワインを買って朝から飲んでしまった。午後は友人に誘われてシネマへ。"There Will Be Blood"という素晴らしい映画を観た。特に印象に残ったのが、"I hate people. I don't see anything worth liking in them. I want to earn enough money, and get away from everyone"という台詞。その時点で主人公は中年で、孤独と批判精神が彼の魅力となっていたが、後半になって、歳をとって頑固な老人になっていたのにハッとさせられた。他人との比較ではなく、時間を置いての自分との比較。憎悪のクールさもさることながら、完璧でない他者を容認する愛の重さを感じた。音楽デザインも素晴らしく、ブラームスのバイオリン・コンチェルト(3rd Movement - Violin Concert in D Op.77)の感覚を初めて視覚で理解した。映画の内容もよかった。
Wed 27
ここのところほとんどオフィスに行っていない。一日にせいぜい2、3時間というところだ。朝に出勤して昼に帰るか、昼に出勤して夕方前にはすでにオフィスをでている。トム伯爵がインドに行ってしまっているし、プロジェクトの方も休閑期で、しかもブラックベリーのおかげでどこでもメールの対応できるのでオフィスに待機する必要がないのだ。朝ニュースをざっと見て、ジムで運動して、散歩したり英語単語を勉強したり、音楽を聴いたりしている。くどいが、今はとにかく身体の健康と英語だ。
ところでそんな自分に新たなDaily Routineを課そうかと思っている。外れたってぜんぜん構わないのだけれど、基準にすべき一日の過ごし方を考えてみた。
7時起床 シャワー、ストレッチ、BBC World News、朝食
8時 デスクに着き、新聞4誌(Herald Tribune, Financial Times, South China Morning Post, 日本経済新聞)をざっと読む
9時から2、3時間 オフィスで諸用を片付ける。メールを返信する。
しっかり昼食
午後は必要ならばミーティング、或いはヒマがあれば運動する
夜は社交か、くだらないテレビを少し観て、音楽(15分演奏/鑑賞)と小説、詩の時間。
土曜日はGuardianを、日曜日はThe Sunday Timesを読む。週刊誌はThe SpectatorとThe Weekを。これくらいは「新陳代謝に必要とされるエネルギー」的な意味で日常的にこなしたい。王道すぎると笑われるかもしれないが、惜しみなくエネルギーを使うようになれば人はたくましくなるものだ。
Thu 28
イギリスの移民法が改定されるに従い、僕が密かに目指していた永住権(或いは市民権)取得までの年数がまたさらに延びた。4年のつもりが5年に、そして6年に遠ざかっていったわけだ。今年一年分は換算されないので、もし定住を考えるならば少なくとも7年間この国にいることになる。25歳から32歳までの時間を、英国をメインに過ごすかどうかは、僕の人生において大きな意味をもつ選択となるだろう。
気が引けた面もあることにはあるが、意外なことに、僕の浮ついた心はむしろ落ち着き始めた。それまで「早く帰りたい」「旅に出たい」「仕事をやめたい」と焦燥していた心に一種の諦観がうまれ、はじめて「ああ、僕はこの国に根を張るんだ」という実感が湧いてきた。そう思うと、英国の言語をきちんと習得し、この社会の価値観を理解し、友人をつくり、この国に貢献するのはじつに当然なことなのだ。イギリスは素晴らしい国だ。覚悟さえ決まれば、6年でも7年でも充実して過ごせるだろう。「ロンドンに飽きた者はまことに人生に飽きた者である」と誰かが言っていた。
January 08
1 Tue
両親と狭山の知人まわりへ。レンタカーを借りて行こうとしたがあいにく予約がいっぱいだった。泉本さん宅、岩尾さん宅、水村さん宅とまわり、新年の挨拶をした。突然の訪問にも関わらずみな喜んで会ってくれた。
2 Wed
親がこの日から京王プラザホテルに泊まる。移動を手伝って、同ホテルの最上階バーで昼食。その後自分は新宿のバーゲンに参戦!メンズ伊勢丹、ビームスをまわって靴とネクタイを手に入れた。午後はまた親と今度は高島屋へ!母が5万円の福袋を買っていた。家もだいぶゆとりができたものよのう。アトリエ、というか要するに倉庫、に住んで、150円のチンゲンサイが高いと嘆いていた一昔前からはずいぶん変わったものだ。高島屋で注文していた結納品を受け取って、いちどホテルに撤退。夜大阪から仲人の姉夫婦が帰ってきて、いっしょにごはんを食べながら結納式の予行練習・・・けっきょく10時すぎまでかかった。
3 Thu
椿山荘で結納式。フォーシーズンは東京でもっとも素晴らしいホテルだと思う。大安で、しかも完璧な青空が晴れ渡っていた。あやひの着物姿が美しかった。よかったね、もう一度着られて。写真館で記念撮影。わりとカジュアルな料亭で結納式、引き続きお祝いの懐石料理をみんなで食べて、庭を散策した。夕方には絢日の実家に全員集合。すっかり和やかモードで、結婚についてもしっかり話せた。
4 Fri
姉夫婦が香港へ発ったので両親はまた駒込へ。昼頃のチェックアウトに合わせて、あやひと京王プラザホテルに。なかなか素敵なラウンジでシーフード・グラタンを食べながら結婚の話等をした。午後はアヤヒと新宿で買い物。絢日が眼の手術を受けるかどうかでもめたが、新しいハード・コンタクトレンズを作ることで一件落着。やっぱり身体は簡単にいじるもんじゃないですよ。夕方にいったん家へ帰って、それから電車とバスに1時間ほど乗って絢日の祖父母の家へ。お寿司とケーキを食べながら昔話を聞いた。夜中に千駄ヶ谷のらーめん屋「野方ホープ」でビールとつまみを頼んで、ふたりで一杯。
5 Sat
早朝の飛行機で上海へ。羽田ー虹橋は確かに近いが、あまりにも早かったので着いたとたんにベッドに倒れ込んだ。
6 Sun
11時の飛行機でロンドンへ。運良く予約していたプレミアム・エコノミーが満席なので、無料でビジネスに格上げしてくれた。ラッキー
7 Mon
時差がもどらず、5時に起床。7時に出勤した。まずはDTが伯爵になったお祝いのメッセージを書き、ついでに婚約を発表する。ポジティブな返信がきたので、オフィスの人たちにも通知。続いてPFBEのハンクと電話。エコ・シティ・プロジェクトについて簡単に話す。イギリスはなんでも慎重すぎて、中国のスピード感についていけない。
8 Tue
あっという間に婚約の噂は広まり、あちこちから祝いのメールや電話が来る。一日がかりでエコシティと胡同、古琴についての重要なメールを3通書き、夢を託して関係者に送付。1月の一週目はまだ半分くらいの人しか出勤していないので、逆にわりと早く返事が返ってくる。チャンスだ。今週中に大方の話をまとめねば。
9 Wed
ここのところ毎日6時前に起きて北京と電話をしている。そして絢日とチャットして、7時半には出勤。誰よりも先手を打って待つ。8時半にはトムと作戦を練って、9時に一日の開始。なんだからヘッジファンドみたいな勤務体制になってきた。
今山場を迎えているのは、北京の建築・都市計画関連のプロジェクト。すなわち、1)天安門広場に隣接するエリアの街計画;2)北京一の骨董街のリノベーション;そして3)北京市郊外のエコ・シティ建設だ。どれもとてつもなく大きく、緊急かつ重要なプロジェクトで、中国の展開の早さにイギリス人がまったくついて来れない状況が生まれている。
今日は昼にスペンサーと食事をして午後PFBEで会議した。
10 Thu
朝トムと打ち合わせ。話によると、どうやらPFBEが僕を避けているらしい。“He is working for us"とCEOのハンクが苦笑いしていたと言う。"In other words, it means that you are uncontrollable"とトムが教えてくれた。むろん悪意ではないだろう。事実として、中国とイギリスのあいだで仕事のスピードとスケールの差が大きく開きすぎているのだ。
僕は、言うまでもなく中国のために仕事をしている。「中国」というよりは「世界」のために、人類のために仕事をしている。物質的なアプローチも否定することなく、与えられた運命を受け止め、機会を活用しているだけだ。
しかし、人には人のアジェンダがある。ハンクにはハンクの理念があり、闘争があり、現実がある。クラレンス宮殿からくる複雑な指令をこなしながら、自分のファンデーションの権威を守ろうと必死のはずである。だから彼としては次々と仕事を(しかも半ば決定事項のように)持ちかけてくる僕には頭が痛い。それは理解できる。
とはいえども、どんなに他人の迷惑になろうと、面子をつぶそうと、あるいは嫌われようとも、僕は歴史的使命を投げ出すわけにはいかない。人類のためになるかもしれないエコ・シティの巨大プロジェクトを、僕の人間関係で却下するわけにはいかない。なんとしてもやり通す必要がある。これは、言ってみれば、命を投げ出しても価値のある仕事だ。
以前はまったくこんなことを考えなかった。個人の命、主体としての自分以上に大切なものなどない、と断言していた。しかし、その裏にはやはり歴史と社会に対する強烈な思い入れがあるのだろう。そして時代の流れが僕の手中に流れ込んできたとき、僕はそれを放り出すわけにいかなかった。
11 Fri
引き続き、大きなプレッシャーを感じている。「ちょっとした壁ですぐ挫折する」のは僕の弱点だと認めるけれど、原則を曲げてまで僕は成功したいと思わない。むしろ原則を曲げずに頑固だからこそ、今成功してるわけだ・・・。
とにかく、状況は複雑で、僕は自分の陣営が今SMPと闘争状態にあることを認識した。内部派閥闘争、もしくは、文系と理系の闘い、といったところか。
まあここまで中国絡みの利権が発生するだけ、皇太子の共産党政府との関係は改善されたのであって、その意味では僕はもう役割を果たした。というわけで、仕事を辞める妄想にふけってみた。僕が王室に勤めているのは、尊き理想のためでしかなかったのだから。
まあ・・・とはいえども、結婚のこともあるし、絢日もロンドンで暮らしてみたいだろうし、自分の英語の勉強のこともあるし、移民のこともあるから、考え直してやはりロンドンに居続けることに心を決めた。
要するに仕事に対する態度をすこし変えればいいのだ。もっと適当に、気軽に働こう。暇ができたら小説でも読もう。
12 Sat
この一週間のストレスを発散し、また、ロンドンに居続ける理由を強制的につくるため、今日はちょっと自分のために奮発した。まず朝部屋を隅々まで片付けて、たまった用事をこなす(ファーマーズマーケットのいつもの店でフランスのサラミ買い、ウェイトローズで買い物、洗剤の購入、靴底の修理など)。
そして昼すぎ、まちにまったアンティーク・マーケットへ!ずっと欲しかった机を買う。700ポンド(約17万円)もしたが、胡桃の木目が美しい、エドワーディアン・デスクだ。製造年は推定1910年。それほど古くないが、立派なアンティークで、しかもコンディションが最高によい。かすり傷ひとつなく、黄金の把手が四つついた引き出しも軽々と動く。
正月に日本のテレビでみたところによると机は今年蟹座のラッキー・アイテムらしい。テレビも占いも信じないけれど、それを聞いたとたん、なぜかピンときた。そしてそういう直感は大事にしたほうがいい。なによりも大事なことは、この机で、僕は自分のネガティブな考えを打ち消せる気がするのだ。
13 Sun
久しぶりに大掃除をして、ジャッパンセンターで納豆や油揚げを買う。夕方頃にMさんと待ち合わせ、ブルーバードでお茶をして家でごはんを食べた。
14 Mon
PFBEで
15 Tue
16 Wed
17 Thu
朝からPoundburyへ。電車で往復7時間だ。更に夕方にはチャイナタウンで会議。終わってから引き続きジェイソンと会議。あいやー
18 Fri
午前中はたまったコレスポンデンスをこなす。午後大英博物館のクリスティーナと会議。その後トムと僕の来年以降の役職名と給与について話し合った。じつに微妙なところだ。今年のタイトルはAssistant to the Director of Charities。給与は24kだが、家賃やもろもろの出費をいれると合計70kかかった。それがSDTの同意により、来年は75kにアップ。しかしこの額は、イギリス人の同年代の公務員の給料のほぼ3倍だ。うちのオフィスでは各人の給料がすべて公開になるので、僕だけ飛び抜けているのは変だ、というわけだ。さらに税金、移民(ポイント制で収入レベルが算入される)、住宅手当、役職の問題が絡んで来て複雑だ。ああ面倒・・・
19 Sat
20 Sun
21 Mon
22 Tue
23 Wed
24 Thu
25 Fri
今日は休みをとって一日中家で休んだ。ドイツから絨毯が届くはずだったが、けっきょく来なくてがっかり。
26 Sat
コヴェントガーデンからリージェンツ周辺、ベーカーストリート、スイスコテージ周辺を散歩した。この辺りに住むことはやはりなさそうだ。
27 Sun
SDTと会議。ランチの後、ノッティングヒルで30年代、40年代のジャズのレコードを探す。
28 Mon
http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2008/01/27/ncharles127.xml
http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2008012800912
都合のいいように事実をねじ曲げるメディアにはまったく閉口だ。おおもとはTelegraphのRichard Spencerか・・・。大使館と電話。SMP、CA、STSと次々と緊急会議。まだ明らかにできないが中英双方に僕の策が受け入れられた。昨日のSDTの打ち合わせも役に立った。We will play some high politics...! リエゾンとしての力を発揮できそうだ。
未分類 | 2008/01/08(火) 19:24 | Trackback:(0) | Comments:(0)
December
1 Sat
香港二日目。アンティークブックフェアに顔を出す。友人のやっているBernard Quaritch(http://www.quaritch.com/)という古本屋は、1847年からある店で(彼はそれを買収して引き継いだ)、人類の歴史を動かした書物をコレクションしている。どういうことかというと、例えば、ダーウィンの『種の起源』、アダムスミスの『国富論』、マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』、人類史上で初めて人体解剖を図説した書物(タイトルは忘れたが、中世の宗教世界からの脱却という意味で重要であり、430万ポンド=約10億円で販売している)などの第一版(丶丶丶)を生の姿で保存している。目の当たりにするとけっこう感動するものだ。我々の現代の世界をつくった基礎、パンドラの箱といえば大げさかもしれないけど、神話のなかの聖器を手に取るような気分だった。
一方で絢日の婚約指輪のほうもようやく入手した。結局母の友人から現金を借りて、ポケットから札束で支払いをした。ハリー・ウィンストンの販売員もびっくり。
2 Sun
絢日は香港から東京へ、僕はロンドンへ飛んだ。今月末にはまたロンドンー上海ー北京ー東京ー上海ーロンドンと移動する。両親と東京で落ち合い、その後父は香港へ行く。ずいぶんモビリティの高い家になったものだ。人生の複雑さというのは、一般的にモビリティの高さに比例する。むろん生まれた街から生涯外に出なかったカントのような例もあるが、僕はカントが好きではないので参考にならない。彼の人生は単純すぎたが故に『純粋(丶丶)理性批判』などということが言えるわけだ。It's all very good, but not real. ではリアルとは何かと問われれば、「生きること、すなわち動くことだ」と僕は答える。ここに手段と目的が合致する。そんなことを考えながらスローンスクエアに帰った。
3 Mon
ちょっと時差ぼけが残っているが、無事9時に出勤できた。トムと軽く会話して仕事に取りかかる。二週間前にオフィスを離れてからさして進展もなく、ちょっと焦る。特に大英博物館とはもう2ヶ月以上も会えていない。急いでアポをとるようにジョージにお願いする。昼はチャイナタンでジョンさんに頼まれた用件を片付けてついでに昼食をとってきた。午後はPCFC(Prince's Charities Foundation, China)創立についての調整をした。僕が実質的な執行責任者になるわけだ。SMPとの対立が最大の課題となりそうだ。
4 Tue
昼にCT Tさんと会って、紫禁城の映画の資金援助の話をした。中国航空の責任者に紹介してくれた。
5 Wed
映画制作会社でインターンをはじめたLMとランチ。その後IELTSの申し込みにウェストミンスター大学へ行く。来年からHSMP(高等技能移民プログラム)というものにビザを切り替えるため、英語の試験を受けることが必要となったのだ。夕方にオフィスに戻るとBMとのアポがようやく取れたとの連絡がきた。よかった。
6 Thu
昼すぎに出勤。DTの香港オフィスのスーザンに航空券の手配を頼む。計50万円もするチケットを、ちょっと前の自分だったら信じられないくらいの気軽さで取ってもらっている。まあ、仕事は仕事なんだけどね。ある意味で、相手に迷惑をかける、お金を使わせるというのも、より深くコミットするために大事なことなのだ。お金や時間をかければかけるほど、人はそこから抜けだせなくなる。
7 Fri
9時15分に出勤して10時半には帰宅・・・。昼は食材と雑誌を買い込んで、チャーハンを大量に作り、週末にひきこもる準備をした。3時にサウスケンジントンの歯医者で抜歯。左側の上下二本を抜いた。やはり人体の一部を切除するというのは大変なことで、めまいもするし出血もなかなか止まらない。でもまあ、戦時に比べれば腕や脚が折れるわけでもないし、もう始めたからにはちゃんと終わらせよう。
8 Sat
夕方に散歩に出かけたほかは一日中家にいた。家の裏のPimlico Design Districtがだいぶ栄えてきた。おしゃれな高級アンティーク家具屋が10数件、それにガーデニング用品店やインタリア雑貨店、輸入チョコレート屋、肉屋、花屋、恐竜から隕石、化石までを取り扱う鉱石系の店、オーガニック・スーパー、フレンチレストラン、オープンカフェ、伝統的なパブなどが軒を連ねている。さらに今日は土曜日なのでFarmer's Marketが開催されていた。泥がついた元気そうなニンジンが束で売られている。あいにくの雨だったけれど、いいエリアに住んでいるなあと再認識した。家ではCDを聴きながら、大英博物館で企画するコンサートについて考えを巡らせた。
9 Sun
昨日に引き続き、家の近所でのんびりとすごした。朝はDuke of York Squareのカフェで、Rory Stewartの"Places In Between"を読んだ。スチュアートは元英国の外交官で、2000年に辞職後、イラク、アフガニスタン、パキスタン、インド、ネパールまで徒歩で横断。チャールズ皇太子と意気投合し、現在はアフガニスタンでTurquoise Mountain Foundationという基金会(皇太子基金会のひとつ)を率いている。僕がオフィスで予想外によく働くので、「第二のスチュアートの登場か」と言われたりしていて、その真意を把握するためにも彼の著作は読んでおく必要があった。僕よりもずっと正直で、勇気のある人だ。書評にある通り、"[Stewart] must have balls of steel, but he writes like an angel all the same"
10 Mon
組織の内部で多少の対立関係があるのはめずらしくない。異なる部署が競い合うことで、よりよい仕事を成し遂げていく場合が多いからだ。英国王室も例外ではない。複数の皇太子秘書とそれぞれの秘書に専属するチームが、ウィールズ親王の寵愛を受けるために時には同僚として協力し合い、時には敵として互いを蹴り落としたりする。矛盾は時間とともに少しずつ蓄積するので、定期的に溜まった膿みを排出する必要がでてくる。今日は僕ら(トム卿派)とマイケル卿派が、ここ半年以来の中国をめぐる主導権争いに決着をつけるミーティングがあった。
事態の経緯はこうだ。僕がチャールズ皇太子事務所に加わって以来、中国関連のプロジェクトは急速に増えた。何事も最初が肝心で、この半年で定まった方向性は今後数年間変わることがないのを皆知っているので、如何に早い段階で自分の得意分野に多くのプロジェクトを引き込むかが、皇太子秘書たちの権力争いの焦点となった。たとえばマイケル卿はKPMGの出身なので、当然会計や経済、金融に強い。トムはチャリティとEU出身なので、政治的なことよりも慈善事業に強い。だから僕がオフィスに加わった最初の頃は、マイケル卿に呼ばれて「中国のグリーンGDP」についてのレポートを書かされたり、トム卿に様々なチャリティーに研修に送り込まれたものだ。
しかし、僕としても利用されて終わるわけにはいかない。自分の個性を発揮できなければ仕事は面白くないし、成功するわけがないので、僕は自分に好都合な芸術系のプロジェクトばかり勝手に増やした(大英博物館の琴コンサート、建築基金会の北京プロジェクト、紫禁城の映画撮影等々)。それらは今のところ成功路線をたどっているので、僕は皇太子の厚い信頼を受け、何事でも中国に関係していれば相談がくるようになった。個人秘書たちも、僕が彼らの縄張りに踏み込むことがないのを知っているので、徐々に安心して中国関連の情報を回してくれるようになった。
しかし、僕がいわば「中国相談役」の地位を確立する以前に、マイケル卿は既に自分の従来の戦略通り手を打ってしまい、今さら取り返しがつかなくなってしまった。中国の大手メディア会社S社と談合を進め、皇太子森林計画に百万ドル寄付を受ける代わりに皇太子の独占インタヴュー権を与えると約束してしまったのだ。これに他の個人秘書たちは大激怒。そもそも寄付とインタビューを交換条件とするのは確実に大問題になるし、僕が長く準備してきたP社とのドキュメンタリー映画の仕事を台無しにしてしまうと皆が判断したからだ。
そこで二ヶ月ほど前にEB、PH、STSの三人が揃ってS社のインタヴューの件をあきらめるよう、マイケル卿を説得にかかった。が、その当時はまだ僕の影響力不足で、敢えなく失敗。みんな僕のために闘ってくれる(丶丶丶丶丶丶)というレベルまでは達していなかった。しかし、その後11月に中国関連の公式行事が続々と成功し、皇太子中国基金会を設立することが決まり、皇太子の僕への信頼が不動のものとなったので、今日はPHとSTSの二人がかなり本気でマイケル卿に討論を吹っかけた。ともすれば、誰かが犠牲(すなわち左遷もしくはクビ)となってもおかしくない状況だった。誰の顔にも笑み一つなく、空気は凍っていた。
20分後、結論がでた。お互いに一歩譲ってインタヴューを来年の年始と年末に2本やることで合意。とはいえども明らかにマイケル卿の負けだ。ぎりぎりの苦しい展開であった。普段は完全なる貴族英語を話すマイケル卿が、今日にかぎってはマシンガンのように早口に釈明を述べていた。
今日の一件は象徴的で、今後中国関連の主導権は僕が手中に握ることになった。仕事はやりやすくなるが、責任はさらに重くなる。大きな理想のためにこのパワーを利用しよう。
11 Tue
HSBC銀行のマリーと11時にアポイントメント。香港での悪夢(カードが止められた)が再発しないよう、プレミア・アカウントを申請しようとしたが、貯金が最低1000万円ないとダメということだった。ビザが残り6ヶ月を切っているので、クレジットカードの申請も却下された。British Airwaysのシルバーカード(これがあると世界中の空港でラウンジ、シャワー、軽食が無料で使える)も、15ポイント足りないので今年はアップグレードできそうにない。来年の「高等技能移民ビザ」も75点でぎりぎりだ。幸運に恵まれきた僕は"You can't do~"と言われることに慣れていない。
当たり前のことだけど、ほどんどの人はそんな思い通りの人生を歩んでいるわけじゃない。誰でもスローン・スクエアや青山に住めるわけじゃないし、勤務先まで15分の緑豊かな公園通りなんていうのは夢の話なのだ。僕はすでに夢の世界の住人なんであって、これ以上の特権を求めることは罰当たりな気さえしてきた。
コンスタントに体と心に苦痛(刺激)を与える何かが必要だ。つまり、ランニングとか、筋トレとか。「これくらいの負荷はふつうなんですよ」と僕の肉体と脳みそにメッセージを伝え続け、ある程度慣れてもらわなければいけない。覚醒して退化を止めねば。常に戦闘状態でいなければ。(ああ、そのために旅をするんだな)
夕方に今度は右側の上下二本を抜歯。上の歯がなかなか抜けず、10分くらい格闘した。麻酔にもかかわらず、痛みで知らず知らずに涙が・・・最後にはミシミシと音が脳に伝わってようやく抜けた。でも体に免疫がついたのか、回復は左側より早い。血もすぐ止まった。
12 Wed
今日はPFBEでドミニック、ジェイソン、フーパーと戦略会議。鳳凰電視台が1月に各皇太子基金会を視察する手配をした。
年末の予定(というか航空券)が確定:
ロンドンー上海ー景徳鎮ー上海ー北京ー東京ー上海ーロンドン
13 Thu
今日は聖ジェイムズ宮殿でスタッフのクリスマス・ランチがあった。もちろん皇太子・カミラ夫人も出席。殿下とは会う機会が多い方なので、今日はなるべく隅の方にいようと避けていたが、しばらくして自らチャールズ皇太子がやってきた。
皇太子「今後も私の事務所に残ってくれのか」
僕 「いいえ。でも始めたことは最後までやり遂げようと思います」
皇太子「ここを離れた後の予定は」
僕 「旅と文学です」
皇太子「琴は?」
僕 「もちろん琴も弾きます、殿下」
だんだん信頼が深まってきた。単なる被雇用者にならないように気をつけねば。自宅まで音楽を聴きながら歩いていたらDTにばったり遭遇した。元気そうでよかった。
14 Fri
大英博物館のクリスティーナ、マーガレットと会議。ジェフリーとトムも参加して、五人で古琴(七弦琴)の復興キャンペーンについて話し合った。結果は大成功!来年から2年間にわたって皇太子基金会と大英博物館は長期のパートナーシップを組み、様々なコンサートや展覧会、出版、レクチャー、ドキュメンタリー映画等を企画していくことになる。大英博物館と皇太子基金会といえばまさに最強のコンビで、これ本当に琴が世界的に有名になるかもしれない。夢みていたことが現実味を帯びてきた。できればさらに正倉院(唐朝の琴が一帳保存されている)や故宮博物館(北京・台湾)とも協力したいと考えている。ニューヨーク近代美術館で演奏会を企画するのもおもしろいかもしれない。来年の予算は現在のところジェイムズ・モートンから寄付を受けた1200万円相当。これを起動資金としてさらに寄付を募るが、2009年には皇太子中国基金会の1億円のうち20−30%も活用できるだろう。
15 Sat
午前中は出発の用意。近所でソーセージ等のお土産を買う。午後2時半の飛行機で上海へ。World Traveller Plusのチケットだったはずなのに、なぜかClub World(ビジネスクラス)へアップグレード。聞くと僕が持っているのは特別なチケットで、一般には商取引されていないのだという。未だに正体がつかめないDT...
16 Sun
朝の10時に上海到着。そのまま車で金沢へ向かう。新しく建物が数棟建設されていて、着々と来年9月の結婚式に向けた準備が進められている。両親と金沢で食事後、いったん帰宅。夕方に古琴の載先生と打ち合わせ。夜は呉家の人々と食事した。
17 Mon
日帰りで景徳鎮へ。到着後車を貸し切って市内をまわる。まず陶磁器博物館へ。さっとみて資料を購入した後、陶磁学院へ。景徳鎮陶磁学院といえば、この分野では中国最高峰の学校だ。まったくアポなしだったが、とりあえず国際部というところに入ってみる。非常に熱心な職員が説明してくれたうえ、今年最優秀の学生をひとり紹介してくれた。午後はその学生の案内で陶磁学院を見学。夕方には「毛磁」とよばれる毛主席専用窯に行った。これは当時中央政府が建設した国家プロジェクトの遺産で、立地も景徳鎮の一等地、林に囲まれた静かな場所だ。敷地面積はおそらく5000平米前後で、全部で八つの工場で成り立っている。総生産能力は、通常の器のサイズで年間三百万件程度。現在はほとんど廃業寸前である。夜、工場長を呼び出して茶楼で話し合う。僕の関心は専ら買収だったが、独占運営権、部分使用権、借地、テクノロジー移転についても話し合った。夜10時半のフライトで帰宅。
18 Tue
本日は一日上海滞在。昼も夜も親戚と食事した。
19 Wed
朝上海音楽学院で打ち合わせ。大英博物館でのコンサートの件について打診してみる。昼の飛行機で北京へ。到着後、WWと中国會で食事。磁器の企画書を具体的に詰めれば、200−300万元程度の融資をしてくれるそうだ。
20 Thu
建設部副部長とMTG 突然のアポだったにも関わらず、話は大いに盛り上がって一時間以上にわたって皇太子基金会と建設部(国土交通省)の協力について話し合う。仇大臣は以前杭州市の市長で、破壊寸前にあった伝統建築郡をぎりぎりのところで保護した人だ。言うまでもなく杭州市は今では「中国で最も美しい都市」と称されている。個人的にも大いに共鳴するものがあり、生涯を通じた付き合いになりそうな予感がした。昼はある財閥の会長と食事。紫禁城の映画プロジェクトに関して言及したところ、国家民航総局のトップに紹介してくれた。百万ドル程度の寄付であれば、中国国際航空に限らず、どこの航空界社からでもすぐに確保できるとの話であった。午後は中国書店で、都市計画、陶磁器、古琴についての書籍を30冊程度買った。一度中国會へ戻り、PFBEのジェイソンと電話。夜は清華大学で胡同プロジェクトについて打ち合わせ。北京市郊外にある80平方キロメートルの敷地で新しいエコ・シティをつくる計画も話した。敷地の中心には原生林が残っているという。
21 Fri
昼にLiu-Li Changで骨董品めぐり。中華民国時代の器をふたつ買った。そして昨日中国書店で予約した書籍を段ボールいっぱい抱えて部屋にもどってきた。昼食をオーダーして、午後は英国の知人に送るクリスマスカードを書いた。夜、中央音楽学院の章先生と待ち合わせ、故宮博物館で古琴の保管・修復に60十年以上携わってきた老先生の自宅を訪れた。古琴音楽復興のために、いろいろなアイディアを出し合う。ホテルに戻ってから金さんカップルとバーで飲んだ。金さんはフランスに留学したことがあって、現在ルーブル美術館での撮影プロジェクトに携わっている。彼氏の継東さんは若手アーティスト。ふたりも来年結婚するそうだ。バーが閉まったので部屋に移ってウィスキーを飲みつづけた。
22 Sat
昼食後、清華大学の呉氏と待ち合わせ。天安門広場南の開発エリアを視察。デヴェロッパーのトップとミーティング。僧侶から世俗に「戻った」人物で、深く共鳴した。その後中国會にもどって上海実業のCEOと会議。僕に会うためにわざわざ北京に飛んできてくれたのだ。夜は中央電視台のディレクター、ZBと会食。故宮博物館の独占撮影権を持っている人だ。彼もまた仏教に帰依している菜食主義者。中国の実力者のあいだでは精神文明が復興されてきたようだ。
23 Sun
昼すぎの飛行機で北京から東京へ。到着後アヤヒと電話がつながらず数時間うろうろして、けっきょく従兄弟の家に泊まりに行った。
24 Mon
秋元夫婦と昼に表参道でランチ、お茶。午後は漫画喫茶で絢日の帰りを待つ。夕方絢日が名古屋から帰ってきて夜はアヤちゃんのお店でイブ・ディナー。
25 Tue
朝からレンタカーを借りて絢日の育った地元、聖蹟桜ヶ丘へ。「もりこうえん」を散歩した。夕方に新宿へ帰って、夜は彼女の実家で鍋。
26 Wed
あやひとデート。築地市場で寿司をたべて上野動物園へ。根津の八百屋で野菜を買って帰宅。夕食は家でお餅と蕎麦をつくった。
27 Thu
渋谷の西武百貨店でオーダーしていたシャツを受け取る。午後から新幹線で宇都宮へ。親友・啓と3年ぶりに再会する。すでに啓は結婚していて来年の三月に息子が産まれると言う。奥さんと一緒にゆっくりと過ごして、家に泊まらせてもらった。
28 Fri
昼の電車で東京へ。3時に両親とアヤヒと待ち合わせて、高島屋で買い物。結納品や洋服を購入。夜は駒込で姉夫婦と合流し、みなで焼き肉を食べた。
29 Sat
両家初の顔合わせ。恵比寿のウェスティンホテルの日本料理店「舞」で会食した。仲人の姉夫婦が大活躍。非常にうまくいった。絢日のお母さんも上機嫌で帰って行った。夜は原宿に戻った。
30 Sun
午前美容院へ。なぜかあやひのルームメイト、アヤちゃんも同行した。その後雨のなか表参道をうろうろ。漫画喫茶でガンツを読破した。夜にみんなで鍋をする約束だったので、渋谷の知音で食材を購入。豚骨や香草など珍しいものを大量に仕入れた。さらにシャンパンとビールを買って帰宅。みんなで火鍋らしきものを囲んだ。
31 Mon
あやひはあやひで実家へ帰り、胡家も久しぶりに家族3人で大晦日を過ごした。昼すぎに築地市場で寿司をたべて六本木ヒルズへ。閑散としていた。御徒町でおせち料理を買って駒込に帰る。紅白や格闘技など恒例の年末番組をみて年を越した。なんと平凡な年末。でも日本のよさは、まさにこういう平民の幸せにあるんだよね。
未分類 | 2007/12/06(木) 10:28 | Trackback:(0) | Comments:(0)
November
1 Thu
(10時15分)ウェールズ皇太子殿下は7年ぶりにロンドンの中華街を訪れ、(午後13時15分)中国の億万長者10名と会談し、(19時15分)中国大使との公式面会が実現し、(19時45分)ロイヤル・フェスティバル・ホールで数千人の観客と英中のメディアを前に、在英華僑を誉め讃える演説を行った。
me, at work!
この三ヶ月僕が仕組んできたことだ。クラレンス宮殿では「中国の日(China Day)」と呼ばれている。翌日のニュースも好意的なものが多い。作戦成功!
中華街訪問の写真
皇太子のスピーチ
ヤフーニュース
BBCの報道
その他にもDaily Telegaraph, Evening Standard, The Sun, Daily Mail, BBC, 中国中央電視台、新華社、鳳凰衛視などが報道した。
2 Fri
午前オフィスでMedia Coverageを手配し、昼にThe DorchesterでMr Chung, Johnson Changらとブランチ。昨年中医薬をめぐって大論争したChungだが、今年はすっかり態度が軟化し、今度東京の会社にフェイフェイを理事として招き入れる(株をわけてくれる)などと言う。こういう人物はまったく信用ならないが、彼を押さえ込んだのは事実だ。ゴッドファーザーのように思えていたDTからも丁寧な感謝状が届き、昨年とは比較にならないくらい自分が大きくなったと実感する。そのぶん責任も大きくなるので、油断はできないが。午後は帰宅し、叔父と両親とSouth Kensingtonのタイ料理屋でランチ。叔父を空港行きのバスまで送って、夕方は家で昼寝した。夜は両親と閉店前のハロッズを歩き回った。
3 Sat
両親とケンブリッジへ遠足
4 Sun
両親とグリニッジへ遠足
5 Mon
オフィスで仕事を片付ける 先週の後処理 11時30分トムとデヴィッド(コンサル)と"Chinese Foundation"について打ち合わせ。午後はNew Worldでコスト計算を済ませる。4時よりウェストミンスター政府の最高責任者Sir Simon MiltonとMTG。LCCAのレズリーと調整できず、会議に混乱をもたらす。
6 Tue
両親とウィンザー&イートンへ遠足 皇室カードですべて無料になり、母が大喜び。
7 Wed
両親が帰国。ヴィクトリアまで送り、11時にSOHOでウェストパーク(映画配給会社)と打ち合わせ。昼は中華街でデヴィッドとビジネスランチ。新しい基金会の戦略を練る。午後はオフィスで細かい用事を片付ける。メールを30通ほど返信・・・それでも明日のDoing Listを書き出したらあと15件残っていた!小さな事にとらわれすぎて大きな方向を見失わないようにしよう。今月末は東京&香港でホリデーだ。
8 Thu
今日、現実版のトム・ヘーゲンに会った。香港の四大富豪の一人マイケル・カドーリーの側近で、カドーリー・ファミリーの”慈善事業”の相談役だ。「ファミリー、ファミリー」と連発していて、どうしても映画『ゴッド・ファーザー』の印象がぬぐい去れなかった。
カドーリー一族の資産は推定6000億円。一族は元イラク系のユダヤ人でバグダッド出身、19世紀末に東アジアへ進出して上海で富を築いた。その後香港の不動産業界に参入。現在は中国・インド・南アジア・オーストラリア等で発電所・リニューアルエネルギーのビジネスに関わっている。その他にもペンシュラ・ホテルグループなど多くの業界をコントロール。財界のみならずアカデミアでも、例えば香港大学に大きな影響力をもつ。また、マイケル・カドーリーは、偉大なる慈善事業家としてフランスから「名誉書記官(オフィサー)」をはじめ、ベルギーからは「指揮官(コマンダー)」、2005年にはエリザベス女王から「騎士(ナイト)」の称号を授かっている。
マイケル・カドーリーには主に2人の側近が付き、それぞれ「ビジネス」と「慈善事業」の責任者として一族の繁栄を任されている。僕が今日会ったのは、その「慈善事業」側で、ようするに金を洗う役の人物だ。(つづく)
9 Fri
11時出勤1時帰宅。夕方にジムへ。M&Sで食材をたっぷり仕入れる。夜は映画『リリィ・シュシュのすべて』を観た。
10 Sat
ひさしぶりに一人で一日すごした。夜ジムで筋トレ、水泳、ジャグジー、サウナ。変な感覚かもしれないが、自分の脳がコンピューターだとして、3週間ぶりに再起動できたような爽快感があった。
11 Sun
今日はハミルトン一家にイートン校のメモリアル・サービス(*1)に呼ばれていたので、7時半に起床、8時40分にパディントン発の電車に乗った。電車のなかで初めて日本語訳の『ドリアン・グレイの肖像』を読んだ。全体のストーリーはいまいちかもしれないが、ところどころに散りばめられているいかにも英国らしいものの考え方が僕は好きだ。典型的なのは、たとえば「真剣さというものは、ヘンリー卿自身のことばに従えば、真の善人がすべて陥り、二度と脱れ出ることのできぬ許し難い過失にほかならぬのである」(p.61)とか。正しいかどうかは別として、一見浅ましく、即物的にみえるイギリス人の哲学をワイルドはうまく凝縮している。
イートンには先週の火曜日に来たばかりだが、学校の内部に入るのは初めてだ。1440年から続いている世界屈指の名門校(*2)であり、多くの首相や政治家を輩出している。今日はそんなイートニアンの聖歌隊が父母や僕のような来客のために大聖堂を公開してメモリアル・サービスを行なってくれた。通常のミサと違うのは、途中で英国陸軍の将軍のスピーチがあったこと。彼の愛国主義的な説教は、どうしても僕にはキリスト教の博愛の理想と衝突して聞こえた(或いは十字軍的な意味だったのかな?そこまではわからない)のだが、それを別とすれば、オルガンの音楽と子どもたちの歌は美しかったし、色鮮やかなステンドグラスを通して入ってくる朝の光は神々しかった。
ミサの後は、校長室のレセプションに招かれ、ヘッドマスターと少々言葉を交わした。少々早口だが、根は優しそうな人だった。
午後はハミルトン夫婦とその息子らとランチへ。フィオナが神学を学んでいると知って、ああ、それで僕の儒教の話に異常なほどの興味を示していたのか、と納得した。
*1) 11月11日はイギリスでは第一世界大戦をはじめ、第二次世界大戦、そして最近ではイラク戦争などで戦死した兵士たちを弔う日とされており、女王から庶民に至るまでがこの日曜日に黙祷を捧げる。この時期になると多くの人が胸にポピーを挿すのも同じ意味
*2) 当初は貧乏学生のために創立された学校なのでPublic Schoolと呼ばれている。
12 Mon
今日はLondon University of ArtsのLivia Liuとランチ。イギリス政府がこの大学に与えた5百万ポンドの援助金を使う(丶丶)仕事をしているという。チャリティーや基金会というのは不思議なもので、僕らは給料をもらって金を使う仕事をしているのだ。中国中央美術学院とロンドン芸術大学が共同でアートマネージメント学科を開設するらしく、彼女はその手伝いをしているという。この人の妹が鳳凰電視台の美人アナウンサーで、よって姉妹はセレブ界の人脈が広いらしい。こんどJimmy Chiuを紹介してもらうことになった。絢日の靴をつくってもらえるかな・・・そういえば朝にはHello Magazine(イギリスのセレブ雑誌)に僕の写真が載っているとデヴィッドタンからメールがあった。買って確かめたら、本当に皇太子秘書のようなむずかしい顔をして僕がチャールズさんの後ろに立っていた。まったくギャグだよな・・・ 夜は今からジムに行く。
13 Tue
まずは昨夜の続きから。冷たい風が吹くなか気合いを入れてジムに向かったのに、なんと鍵を忘れて自転車をとめられず、空しくフラットへ戻る・・・。家でひとりで残念がっていたら、Kから電話がかかってきて、「今夜あるポストロックの大御所がロンドンでライブをやるので一緒に行かないか」と誘われた。彼は音楽マニアで週に最低一度はライブに行っている。そんな彼が「超オススメ」というのだからこれは確実に面白い。「今すぐ行く」と即答。このイベントのためにわざわざ日本から飛んできた人もいるらしい。場所はカムデンタウンという若者の音楽と古着の中心地(東京でいえば原宿のようなところ)にある“Koko”。19世紀のオペラ劇場を改造したライブハウスで、僕らが着いた頃はすでに数百人の人間とその熱気が真っ暗な空間のなかで爆発寸前であった。爆音で鳴り響くロック、血の色で塗られた壁、時代遅れのシャンデリア、巨大なミラーボール、ほとばしる閃光と踊り狂う男女の影、舞台の上には女の無表情な仮面が掛けられ、冷たい眼差しで僕たちを見下ろしていた。22時になるといよいよ本命のバンド”Tortoise“が登場。場はさらに盛り上がる。実際、彼らの音楽は飛び抜けてすばらしく、ポストロック特有の爽快感とクールさが、グロテスクな深紅の劇場と絶妙なコントラストを醸し出していた。
そんなわけでちょっと感動して、今日はVirginへ彼らのレコードを買い行った。が、肝心のCDが見つからず、けっきょく違うアーティストのものを購入した。それが意外にも久しぶりの大ヒットで、午後ジムで運動しながらノリノリになってしまった。
夜は一変してジャズ。今日はLondon Jazz Festivalのオープニング・パーティで、国会議事堂(ビッグベン)に招待された。国会議員の何人かと文化及びスポーツ大臣(?)の主催で、イギリスでも歴史上始めて、国会の開会中に同じ建物の中でライブが開催されたのだという。でも知り合いが一人もおらず、社交する気分でもなかったので一曲で帰ってきた。
パートリッジでパスタを買ってきたので今から夕食。久しぶりにネット松岡正剛さんの千夜千冊を読んで感銘を受けている。(リヴァイアサンねえ・・・)
14 Wed
一度しか会ったことのない人間から「日本語を教えてほしい」と頼まれたが、その場できっぱり断った。「あなたに頼み事をするのは難しいわね」と皮肉られたけど、僕からしてみれば、彼女に時間を割いて日本語を教える理由(丶丶)がないわけだ。ちょっときれいな女の子だけど、それ以上の理由がない。ノー、世界のは常にWin-Winで動いているんだよ、ともっともらしく説教してやった。そんなことを口走る自分が嫌だが、頼まれ事を断りきれない性格を直す訓練も兼ねていたので、思い切って言い放ってやった。案外、彼女も怒っていなかった。
世の中にはそういう「一方的な要求」が多い。うちの村に新幹線を通してくれ(駅をつくってくれ)、とか、動物が可哀想だから科学実験に使わないでくれ、とか、家族が拉致されたので北に経済制裁を加えてくれ、とか・・・自分の都合や好み以外の一切を、奇跡のように無視している。そして、聞き入れられないと、「この国はもうだめだ」とか「おまえらは全員間違っている」と気狂ったかように憤る。一人芝居だ。
総合的に物事を考える力。自分の頭で解決策を考え抜き、他人に責任を押し付けないこと。決断力。速度。勇気。
***
今日は、オックスフォードとケンブリッジ両大学主催の「高級閣僚研修プログラム」の会議に参加した。中国の中央政府・地方政府から、副大臣レベルの政治家・官僚・政策決定者(Policy Maker)が20人ほど、三週間にわたってイギリスを訪れている。国務院副院長、環境保護局長、建設局副局長、核兵器安全対策委員会副委員長、国家監査局副局長、全国女性連盟主席、上海市教育・テクノロジー局長、外交部、金融部副部長がそろってロンドン市政府を訪れ、ロンドン市の環境問題への取り組みについてのプレゼンテーションを聞いた。
結論からいうと、僕の感想は、「ああ、中国はもっと伸びる」ということだ。やっぱり大国だ。確かに共産党政権の体制改革など大きな問題は残っているが、今日会った若い世代の政治家や官僚からは、真剣に仕事に取り組む気迫を感じた。欧州出張だからといって全くヴァケーションの雰囲気ではない。それどころか、三週間のうちに彼らには56ものミーティングが予定されており、計83時間にわたって皆が話し込む。今日も2時間くらい予定をオーバーして、参加者が次々と鋭い質問をロンドン市副市長に投げかけていた。そして彼らは帰国すれば、それをすぐさま国家あるいは地方政府の政策として実践に移していくのだ。母国の発展のために、血眼になって出口を探しているような責任感をひしひしと感じた。そう、まるでかつての岩倉使節団ような。
***
話はもどるが、単に「伝統建築を保護しよう!」と叫ぶだけでは意義はない。では代替案として何を提供するのかが問題なのである。明らかに最新のテクノロジーを駆使した現代建築は、たとえば環境保護の面からすれば二酸化炭素の排出量が伝統建築よりも低く抑えられる。また、東洋の建築は木造で、30年単位で補修・立て替えを必要とする。対地価のコストパフォーマンスの点でも、高層ビルのほうが収益が上がる。そうした状況のなかで敢えて伝統建築を守る理由(丶丶)は何なのか、人に語る前に自分で考え抜かねばならない。高度の発達した資本主義社会では、何かを犠牲にして何かを守ろうという前提は成り立たないのだ。すべてのものは、自分自身で持続可能でなければならない。「持続可能」とはそういう非常に過酷な条件である。
一国、或いは人類のリーダーたるものは、すべてを知っていなければいけない。経済、政治、哲学、歴史、軍事、エネルギー、人口、外交、雇用、医療、教育、科学、文化に加え、世界の毎日の動き、市場のメカニズム、サブプライム問題から牛乳の20円の値上がり、自殺、数ではなく主体としての命、気象問題、マフィア、裏金問題、あらゆることをだ!そして自分が知らないことも知っていなければいけない。知らないことの範囲を知った上で、顧問なりアシスタントなりを雇うしかない。そのうえで(丶丶丶丶丶)、はじめて仕事に取りかかれる。
長い長い準備期間と日々欠かさぬ情報収集の努力を以て、ようやく僕はスタートラインに立てる。そしてリヴァイアサンのように、自分なりの世界観と政治的理想を固め、革命の道を突き進まねばならない(「ああ、だから中国人って極端でいや」という彼女の声が聞こえてくる)。
それがどんな理想であろうと、僕はすでに声が最上部に届く立場にいる。来週には上記の中国使節団に演説を行なうことになっているが、僕の声は、あるいは数千人のデモよりもよっぽどちゃんと彼らに響くだろう。なんでただの苦学生だった僕が国家の政策決定者に演説をするのか、今でも信じられない冗談のようだが、これ僕本人の望みは関係なく、たぶん守護霊の影響なんだろう。前に彼女が、「色々苦労があった、と思うけどそれでも、フェイの人生は謎の順風満帆で、そこにはもちろん実力もあるし、それ以外の何かの風も吹いてると思う」と言っていたが、まさにそのとおりだ。僕はなにかの生まれ変わりか、あるいは天井の隅から守護霊が常にこちらをみているのだろう。
先日も神学を学んでいる中年女性から「あなたからは何故かネルソン・マンデラのオーラを感じる」と突然言われたし、宮内先生も初めての授業で教室に入ったとたんに僕を見抜いてくれた。ただの若造なのに皇太子中国基金会のCEO(最高運営責任者)を任されそうだし・・・ああ、しっかり踏ん張って、あまり笑わないようにして(年齢を若くみられないために)、彼女を何よりも最優先に大事して、政治でもなんでもやってやろうじゃないか。
15 Thu
今夜は華僑協会会長や在英中国領事らと食事した後、9時半からルーシーの誕生日パーティへ。いわゆるセレブ(女優、モデル、皇族)百数十人が深夜3時まで盛り上がっていた。場所は、大使館に隣接する建物。名義上はただの「プライベート・パーティ」ーつまりボディーガードはなし、警察や記者をシャットアウトする意味ーだ。そしてなにしろ「プライベート」なので、建物の中は葉巻やタバコの煙(イギリスでは建物のなかでの喫煙は法律で禁止されている)、シャンパンやウォッカ、様々なブランド香水の匂いで空気が濁っていた。僕は著名人のことをよく知らないけれど、それでもケイト・モス、ヴェネッサ・メイ、ヨーク公爵(アンドリュー王子)、ローリングストーンの誰か、ポール・マッカートニーの元奥さんくらいは認識できた。なかでも面白かったのはプリンセス・ビアトリスの恋人であるデヴィッドとの会話。彼はヴァージンで宇宙に客を飛ばすビジネスをやっているという。価格は20万ドル程度で1時間半の飛行だと言う。名刺には"Space is Virgin Territory" (数日後に気づいたのだがキーラ・ナイトレイにも紹介されて握手した!なんかみたことある顔だなーと思ったら映画『高慢と偏見』だった)
16 Fri
午後に歯医者へ。いよいよ矯正を始める。この歳で、しかも外交的仕事をしているのに矯正器をつけるのは恥ずかしい。でも顎が痛むし頭痛がするので、健康上の理由からしてもどうしても今治療しなければならない。健康以上に重要なことはない。少々値段が高いけど、9ヶ月という比較的短期間で治療の終わる半透明の器具をつける。
17 Sat-18 Sun
矯正器の違和感に慣れようと、家でゆっくり週末を過ごすことにする。口内炎がいくつもできて、歯を軽く触るだけで鈍い痛みが走る。何を食べても歯と矯正器の間にいっぱい詰まるのですっかり食べる気力をなくす。しかたないので佐藤優の『国家の罠』を読む。佐藤さんのような官僚は、教養、語学力、記憶力、分析力のあらゆる面で僕より優れた頭脳をもっていると思うが、彼の問題は夢がないことである。「国益」と連発するが、その中身がわからない。ただ自分がはめられたことを証明しようとしているだけなので情けない。これは日本全般に感じることだが、「問題の解決」だけに精一杯で、それ以上に「理想社会とは何か」ということを考え、声を大にして訴える人間がない。細かいことでうじうじと妥協案を産み出し続けている。(たぶん、その理由は敗戦によるものだろう。かつてのような気高い武士の志、こころ、大いなる希望を語ることは日本国でタブーとなってしまった)例えば、1)皇居を京都に移し、東京都心を緑と再開発で活性化させる。同時に京都に歴史的使命を与え、伝統美術や芸能の復活を図る。2) 戦争しないかわりに、国の総力を挙げて首都東京の電柱を地下に埋める。そしてその跡に木を植える。3) 日本全国の「駅」を各地方自治体が独特に改造する。或いは中央政府が手当を与え、地域の文化アデンティティーを再考するきっかけをつくる。そして駅を中心に街づくりを広げていくーなどということを言う人が何故いないのだろう?無理かどうかが問題なのではなく、どうして人に夢をみせる政治家がいないのか。政治家とは、光を掲げて人々の先頭に走る者のことではないのか。今の日本では政治家が国民の尻拭いしているようにしかみえない。
19 Mon
今日は前述の中国の副大臣20人に演説、その後皇太子殿下と会談する。スピーチのほうは明らかに準備不足で、ジョークも空振り、緊張して汗だくになってしまったが、終わってみると意外にも皆よかったと言ってくれた。特に仇建設部副部長(日本でいうところの国土交通省副大臣)とは良好な関係を築き、ハンク(皇太子建築環境基金会CEO)とも久しぶりにちゃんと意見交換できた。ケンブリッジ大学の副学長もきていたが、昔アンドリュー王子の個人教師であったことを鼻にかけすぎていた。ウェストミンスター寺院横の会議場でプレゼンを行なったあと、クラレンス宮殿へ移動。皇太子は10年近く中国の政治家と会っていなかったが、僕がオフィスに加わってからはときどき時間をつくってくれるようになった。中国関連のプロジェクトが増えてきたからだ。今日の会談も数週間前のある日に皇太子から直接確認の電話がかかってきて、その場でふたりで決めたことである。中国大使館のほうでは事態が進展しはじめたのかしきりに不思議がっていたが、国と国の繋がりも実質的には少数の人間と人間の繋がりなのだ。相性の良い個人が繋がれば、その時代に二国間係は改善される。逆に相性の悪い人間が出会えば、国家関係も停滞する。今日の場合、僕と最も相性の悪かったのは国連の在中国親善大使だった。何を血迷ったのか、皇太子と中国政府使節団の会見でチベットに言及。すぐに遮って話題を転換したけれど、こんなことだから国連は機能しないのだ、と直感した。ユネスコも行き詰まっているという話を複数の情報源から聞くし、そもそも文化・遺産プロジェクトすら成功しないなら、経済、政治の難題を解決できるはずがない。国連大使の話を遮ったことを彼は面白く思わなかったようだが、あとから皇太子秘書をはじめ他多くのひとからは感謝された。
皇太子は1997年の香港返還儀式の際、中国政府要人を典型的なソ連タイプの「蝋人形」に例えたことを大きく批判されたが、今日の会談の様子をみている限り、なかなかその指摘も外れてはいなかった。人としては皆よい人間なのだけど、中国人はプライドが高いくせに、肝心な場面では弱い。政府高官なのにただへらへらとニヤケているいるだけで話に食いついていかない。だからインド人や中東の人々にくらべて、皇太子には中国人に人間として魅力を感じなかったのだろう。むろん、天子の前ではとにかく言葉を慎むのが儒教の美徳だし、政府高官とはいえ外交的な訓練は受けてはいないので仕方がないことはよくわかっている。むしろそのことを皇太子ら西洋の人々に教えてあげた方がよい。でもここにまさに僕の役割があるようにも思う。今のところ目標はDTだ。
20 Tue
今日は主に皇太子からの手紙の返信に時間を割いた。Lord L(エリザベス女王の第一従兄弟の息子で、H男爵の息子)がチベット美術の復興のために中国成都 でフォード財団と共に古典美術学校を設立したことについて、我々、すなわちウェールズ皇太子と皇太子伝統美術学校がいかに協力できるか、或いは協力をすることは可能なのかどうか、という問い合わせだった。皇太子及びその事務所はダライラマと友好な関係を保つ一方で、過去の失敗から、チベットの扱いに非常に慎重だ。特に今は中国政府や在英中国大使館とのプロジェクトも多く、この時点でチベット関連の仕事に手を出すことはかなりリスクが大きい。しかし、僕も個人的にチベットの精神文明を崇拝しているし、誰かがいつかこのねじれた関係を改善しなければいけないのだ。そこで我々の戦略を考案し、メモランダム(組織内伝言)にまとめた。いくらプライベートのブログとはいえ細かいところまでは書けないのだけれど、僕が提案したのは二点、1)時間差をおくこと、2)第三の機関を設立することだ。第一点はつまり、外交上現時点では望ましくない出来事を時間的に先延ばしにすることによってその性質の変化に期待する手なのだが、まさに我々は今中国での人脈を広げ、基礎と信頼を固めている段階なので、チベットはまだ時期尚早という結論である。それから第二点は、一対一のトラブルが発生する場合、第三者を意図的に取り込むことによって問題へのアプローチを変え、緊張を緩和する手段だ。国家間外交といえども「面子」が非常に重要で、問題の中身は、プロトコルやアプローチ次第で実はどうでもよかったりする。
とりあえず今日のところは草稿をCA(英外務省からクラレンス宮殿に派遣されている官僚)に送った。社内の「面子」の意味でもここは彼を通さねばいけない。
21 Wed
CAから"Excellent"との返事があったのでメモを修正して皇太子に送付。DTにもコピーしたところ"Excellent note and advice. You and your English are getting so good" なんと簡単にして効果的な誉め方だ。さすがPlain Englishを提唱しているだけはある。明日から休暇&半分ビジネスで東京と香港に行く。
22 Thu
朝に荷造りしたあとに出勤。午前はチームミーティング。終了後、いったん帰宅してヒースローから香港経由で東京へ向かった。飛行機で『国家の罠』を完読。
23 Fri
夜の9時半に成田へ到着。絢日が迎えにきてくれたので、ふたりでリムジンバスで帰る。
24 Sat
午前中よく休んだあと、昼は伊勢丹メンズへスーツを新調しに行く。日本の洋服は、比較的安いうえ品質がとてもよい。高くてまずいイギリスではどうしても買う気が起きないので、日本に帰る毎にスーツやシャツ、靴下を大量買いして帰ることにしている。今日は結局スーツ1着とシャツ2枚、ネクタイ2本と靴下3足を購入。昼は伊勢丹で鮨を食べた。ふたりでカウンターで好きなものを注文して、なんと9千円だった。ロンドンで暮らし慣れると日本の物価が冗談みたいに安く感じる。夜は、絢日の両親と中華料理を食べながら結婚話をした。まずは春頃に一方的に別れたことを謝る。全体的にいい感じだったので、終了後に絢日の実家で引き続き談話。皇室の話などをいろいろ聞かれた。
25 Sun
今日は絢日一家と西船橋のIKEAへ。途中築地によって再び鮨を・・・うまい!帰りは道が非常に混んでいた。東京ミッドタウンに着いたのは6時すぎ。結局7時頃に原宿でらーめんを食べて、メロンの配達を受け取るために8時には帰宅した。
26 Mon
昼に高田馬場でひさしぶりの千代作らーめんを食べた後、早稲田大学へ。卒業証明書を発行してもらう。午後は日大芸術学部で宮内先生の講義にでた。その後先生の自宅で鍋。先生の奥さんはやっぱり素敵な人だった。僕の尊敬する大人の男性は、かならずと言っていいほど素敵な奥さんをもっている。アンドリューの妻、フィオナは自宅に近所の子どもたちを招いて一緒に畑仕事をしたり、大学で神学のコースをとったりしているし、宮内先生の奥さんは詩人で、穏やかなのに明るい性格の人だ。そういう意味ではうちの母も偉大だな・・・。夜9時半から須田家で結納の具体的な話をする。
27 Tue
昼は博報堂のトッキーと鴨そば、午後は日本航空のマイコと不二家のショートケーキ、夕食は財務省のヨネと焼き鳥。食べ物が目的なのか、友人との再会が目的なのか・・・よくわからない一日であった。夜霞ヶ関を歩いていたら妙に闘志が湧いてきた。数千人の官僚を相手にオレは一人で勝てるかーと真剣に考えた。「勝てる」と思った。皇居外苑を散歩してちょっと日本が好きになった。
28 Wed
昼は注文していた洋服を受け取りにいった。その後私服も多少購入。夕方に家に戻って三国無双をこっそりやった(30分くらい)。夜は虎ノ門で絢日の友人が最近開いた店に行った。従姉妹夫婦とそこで会った。小泉元首相も来るはずだったが、急に予定が変更となったらしく、彼の親友の北村さんだけが遅れてやってきた。日本の上層部にリーチするには、うってつけの人物だった。たぶん僕のことも気に入ってくれたと言って間違いないだろう。
29 Thu
朝須田家に出発の挨拶。その後新宿から成田エクスプレスで空港へ、香港に飛んだ。絢日にとっては初めての場所だ。到着後コンラッドホテルでチェックインしていたらキャサリンとばったり会った。部屋で荷物を整理した後、屋台で牛の内蔵麺と豚の筋で夜食、その後フットマッサージへ・・・遅くなりすぎて逆に疲れた。
30 Fri
香港で絢日の婚約指輪を探しまわった。ティファニー、カルティエ、香港の怪しい地元ブランド、ハリー・ウィンストンをまわった。結局H&Wリングに決めた(香港だと日本の小売価格の3割引くらいになる)が、僕の暗証番号がハッカーに盗まれ、銀行口座が凍結されたうえ、香港では英国の小切手も受け取ってもらえないということだったので、どうしてもお金が足りなくて買えなかった。というかクレジットカードも使えないし、まったくお金がない緊急事態に。ロンドンや日本に電話をかけまくってけっきょく母の友人にお金を借りて婚約指輪を買うことに・・・ああ、恥ずかしすぎる。
夜は中国會でJKらと食事。中国會はDTが1997年に開いた最高級レストラン&バーで、旧中国銀行のトップフロア3階分という絶好の立地のプライベート・クラブ。女優や俳優から、政治家、諸国の大使、各界のセレブまでが会員で、その場では支払いはできず、請求書が後に郵便で送られてくるというおそろしいシステムだ。壁には百点近くにのぼる中国のモダンアートが掛けられているが、たとえば僕が知っているものでは44億円の絵が、階段の隅にさりげなく飾られていた。せめてもっと目立つところに掛けてほしい・・・。
October
Mon 1
雨。DTと電話。午後、トム伯爵とアンドレと紫禁城の映画撮影についてミーティング。CCTVをいかに巻き込むかが焦点になりそうだ。結局僕とWorld Monument Fundが資金集めを担当することに。共同で資金調達というのは実に愚かなやりかただ。It's either us or them. 昼は「タロウ」でらーめんを食べた。帰宅後ドラマ『人間の証明』を最後まで観た。ホームシック。
Tue 2
朝、顧問弁護士と「僕の将来について」話し合う。結論としては来年からHSMP (高等技能移民プログラムHighly Skilled Migrant Programme)にビザを切り替える、ということに。まあ、悪くないが、収入面をもうすこし考える必要がある。午後帰宅。絢日と少しスカイプで話して、夕方にジムで軽く運動。夜は微妙なテレビを観ながらネットサーフィン。
Wed 3
出勤、メールチェック、散歩。正午の会議に合わせて帰るが、なんと会議は明日だった。上海と電話。Phoenix TVに関する考えを整理し、West Park Picturesで映画の打ち合わせ。その後Sloane Squareにもどってぶらぶら、Partridgesで買い物したあとDuke of York Squareでマッキアート。店員が"Absolutely Superb"と絶賛するスコッチ・ウィスキーも買って来た。どんなものやら・・・
Thu 4
朝、まずPFBEへ。中国の"牌楼"(中華街にあるような伝統的な門の本物版)についての本を取戻しに行ったのだが、肝心の担当者が居らず、結局別の人と世間話をして帰って来た。オフィスへもどって12時から内部会議。SMP、ED、STS、CA、PHというクラレンス宮殿の権力者たちが集まって中国関連のプロジェクトについて報告・話し合いをした。冗談だけど、皇太子の僕に対する評価が非常に高いようで、「フェイフェイ、次の皇太子秘書になって」とEDに言われた。本日の会議の内容は主に中国のメディアについて。昨夜結局がんばってレポートをまとめた(His magicとPHとSTSが言ってくれた)ので、それをもとにどのメディアが皇太子基金会の仕事の宣伝に適切か、皆で話した。僕の嫌いなBWとYL夫婦が密かにSMPと連絡をとっているらしく、しかも株券を基金会に寄付するかなにかの条件付きで、けっきょく彼らにインタビューの機会を与えることになりそうだ。残念だけど、Keep your enemy close(敵は近くに)という意味ではこれでよかったのかもしれない。午後一度自宅に帰り、パソコンを持って再度出勤。ピカデリーでまたもやらーめんを食べて4時からウェストミンスター政府と会議。5人対1人という圧倒的不利な状況だったが、なんとか熱意で以て挽回し、見事彼らを説得ー中国の大型の石鉢を中華街に設置することを決めさせた。会議終了後、速攻でMOU(Memorandum of Understanding)を関係者に送付。夜はパートリッジで買って来たローストチキン(ハーフ)とエンドウ豆を食べたが、キッチンにねずみがいた!映画『魅せられて』を途中まで観てベッドに倒れる。
Fri 5
朝、ジムで軽く運動。ロンドン市長の秘書から電話がかかってきて「部下が失礼な真似をしてすみませんでした」と謝られる。その後出勤してSMPにメール。4時に中華街でミーティング。LCCAの人々と話し合って少し話がまとまる。来週はいよいよRecce(公式行事前の関係者による偵察)。オフィスに戻るとSMPから返信が。"I will ask the Prince. Michael"と一言だけでちょっと冷たい気がする・・・。夜は久し振りにちゃんとごはんを食べて、深夜に庭で空を観察した。
Sat 6
朝、目が覚めて新聞を買い、12時まで二度寝。起きて食事してだらだら。15時から19時まで三度寝。その後映画を何本かみて過ごす。なんともぐーたらな土曜日。
Sun 7
とりあえず自転車のカゴと、後部の両側につけるカバンがなくて不便なので、ヴィクトリアの自転車屋さんへ。その後一度家に帰り、床屋とジャパセンに行こうか迷ったが、調べたところ美容院は日曜日休みのところが多いらしく、結局断念。代わりにジムへ行って、ウエイト、水泳、サウナを一通りやってきた。M&Sで食材を買って帰宅。来週に向けて心の準備をする。
8 Mon
皇太子から手紙がードミニックという人と連絡を取ってほしいとのことで即木曜日にアポを取った。僕のことを"...Fei Fei is worth his weight of gold"と誉めてくれたのはよいが、いかにも古風で笑ってしまった。
9 Tue
朝一番でトムと6 months review。ああ、もう渡英半年か。その後マイケル伯爵、ジェイムズとMTG。午後PFBEで北京のプロジェクトについて連続3時間会議。夜はWhite Cube(ギャラリー)のオープニング・パーティ。
10 Wed
朝、古琴演奏会@大英博物館についてMTG。午後はいよいよRecce(偵察)をふたつ。ロンドン副市長からメトロポリタン警察、皇太子秘書、Press Officer, Protection Officer, LCCA等総勢30ー40人を動員した大掛かりなものとなった。帰宅後あまりに疲れて動けなくなった。
11 Thu
自転車通勤。中華街訪問のプログラムをupdate。午後オフィスの近くのジムで軽く運動。その後ドミニックと会議。よく働いた。
12 Fri
自転車通勤二日目。すばらしい。地下鉄よりもバスよりも早い。しかも朝バッキンガムの前を自転車で通るのは快適。オフィスで昼過ぎまで働く。次々とポジティブなメールが返ってくる。ドミニックのPFBE復職についてトムに聞きに行ったら、そこにレディ・ロゼメアが・・・・初対面。58歳の彼女は、在日韓国人でイギリスの貴族と結婚し、その旦那が10年前に亡くなったので数千億とも推定される遺産を相続した人だ。卵の大きさの宝石を指にずらりとつけ、いかにも一般人じゃないですという風貌。そのままランチへ連行され、ザルツブルグに大きな城を持っているというオーストリア人のバンカーに紹介され、100個くらいいろいろと約束させられた。来週一緒に韓国に行こう(無理!)とか、天才上海ピアニストに会わせるだとか、アートフェアに一緒に行こうとか・・・そして食後、個人的に携帯番号を交換(いきなり呼び出しくらいそうでちょっと怖い・・・)、セント・ジェムズパーク彼女が購入するつもりだという豪邸に連れて行かれる。やっとオフィスに送り返してもらったのは既に4時。その後ジャパセンに寄ってボンドストリートの美容院に行くが、あいにく満員だったので6時半の予約をして引き上げる。いったんオフィスに戻ってからHigh Stree Kensingtonの乗馬グッツ屋に行って、ブーツと足カバーと手袋を買う(?267)。またオフィスに戻って、美容院で髪を切って、ナゴミという日本食屋で日テレの人と食事して、そこの店長と盛り上がって・・・なんともジャパニーズな一日であった。
13 Sat
10時から久々の乗馬。新しい乗馬ブーツの履き心地は上々。いくら"スクイーズ"してもバロンは早く歩いてくれなかったが、トロットはやはり忘れていなかった。最近自転車で町中を走り回ってるせいか、馬のスピードがやけにゆっくりと感じられた。1時間ハイドパークをまわると、内股の筋肉を使いすぎて脚が閉じられなくなった・・・。自転車で湖の側のカフェに向かい、ラテとクロワッサンを頼んでしばし休憩。「実存主義は何が間違いだったのか」というメモを書いた。それから自転車で帰って2時にDorchesterへ。3時からDTとWOと会議。チャーハンを食べた。再度帰宅(家が都心にあるって便利)、あやひと電話・チャットした。夜はケンイチロウくんとナゴミで夕食。
14 Sun
World's Endまで散歩してバスで戻ってきた。夕食は自分で料理。夜ジムで泳いできた。
15 Mon
8時出勤。12時にPFBEで会議。14時中華街でコンウォール公爵夫人事務所と偵察。15時ウエストミンスター政府と会議。結局オフィスに戻ったのは18時。
16 Tue
朝軽く働いた後携帯電話を忘れたのに気がついていったん帰宅。12時半に日本大使館の参事官とHakkasanで会食。Williamが適当なことを言っていたことが判明。3時半にオフィスにもどり、4時からChina TangでSimon (China NowのCEO)と会議。オフィスに帰って19時まで仕事。20時半からICAで香港映画のオープニング。23時半帰宅。今月は忙しすぎる。なにも考えられそうにない。でも今日思ったのは、何事も決して気を抜かず、自分一人で解決することだ。
17 Wed
PFBEに出勤してミーティングを二つ。クラレンスハウスにもどってから中華街でミーティング。PFBEに帰ってさらにミーティングをふたつ。夜はHuangとビジネスディナー。ここ二日でThe Pearl Awardsのチケットを1500枚程度売った。営業・・・?
18 Thu
オックスフォードへ出張。1つ目のミーティングは以前お世話になった教授が"University of Oxford China Centre"を創設するので、僕にも協力してほしいというお話。しかしむやみにネットワークを広げたいといってもヴィジョンが曖昧では無意味なので、まずはわかりやすいプロポーザル(つまりChina Centreの目的等)をつくったほうがいいと提案した。機会としてはとてもおもしろいと思う。中国学に関して言えばオックスフォード大学が欧州最古・最大・最先端の研究機関であるし、政府の政策決定などにおいて中国本土に与える影響も大きい。実際、来月には20人ほどの副大臣レベルの政治家がオックスフォードとケンブリッジに10日間の研修に来るのだ。彼らの思想を少しでも改革できたら、本当に国が動く。2つ目の会議は、マートン・カレッジの学長とビジネスランチ。マートン・カレッジは以前日本の皇太子殿下が学んでいたこともあって、日本の皇室と非常に深い繋がりがある。名前は思い出せないが現在もとある女性皇族がこちらで学んでいるそうだ。とにかく、そのマートンの学長が中国考古学・美術史の第一人者であり、以前大英博物館の代表でもあったので、まずはお会いしたいと夏前にメールを出しておいたのが、秋になってようやく実現したのだ。案の定、ミーティングは大成功で、方々の組織責任者(北京の故宮博物館からロンドンのV&A博物館まで)を紹介していただいた上、皇太子の伝統美術学校との協力も考慮してくださるとのことだった。すばらしい。
実は今日の朝はひどく落ち込んでいたのだ。というのも、エリザベス(皇太子秘書No.2)とクライヴ(外務省から皇室に派遣されている)から緊急の電話があり、「ADLP(副大臣)の中国代表団のうちどの7人を皇太子と会わせるか」、という非常に外交的で難しい質問をされて、しかも英語の聞き取りが難しい電話での会話で、しかもバスの上でよく聞こえず、僕は全くもってちんぷんかんぷんな返答をしてしまったのだ。あらゆる意味で大失敗な会話だった。
昼すぎにDTから電話。ロイヤルフェスティバルホールでの宴会の参加人数に関して、市警察が急に今になって異議を唱えているという(保安上120人は多すぎるという話)。夕方にオフィスへを戻ったら即対応すると返答し、僕はメーティングにもどって、DTはニューヨークへ飛んだ。
夕方にオフィスにもどり、たまった仕事をこなす。11月1日に中国関連の公式行事が4つもあるため、非常に煩雑な仕事(例えばRoyal Boxの皇太子の座席にクッションを用意することから、3000人の客の身元確認、チケット販売、メディアに公式声明の発表まで)が多いのだ。
夜はロンドン映画祭で"Wu Yong"という中国映画をみた。一人なのに間違って二枚もチケットを買っていて、かつつまらなかったのでとても損した気分だった。
19 Fri
晴れ、自転車通勤。今日は11時にソフィーとアンナ(Press Office)とミーティングがあっただけで、あとはオフィスで細かい仕事をした。中華街に設置する花壇の重さやコスト、Pearl Awardsのドレスコード、宴会人数・・・そういったことだ。昼はナゴミでカツ丼を食べ、午後はマイケル伯爵へのDame Jessica Rowsonについての報告書を書いた。
ふと気がついたのだが、この報告書で登場する人物は、僕を除いて全員爵位を持っている。マイケル伯爵、トム伯爵、ヘイドン伯爵、デーム(女性爵士)・ジェシカ・・・。爵位を持っている人間というのは似た特性がある。みな頭の回転が早く、ユーモアで、弁舌が優れており、堂々としている。コソコソ隠れて何かしている様子はみられない。常に自分の外に自分を置いている。でもそれは彼らがバカだという意味ではない。建前と本音の区別がない、ということでもない。じめじめとした屁理屈を遥かに超えるような明るさがあるというだけだ。要するに生の美徳をよく知っている。
生にも死にも美しさはあるけれど、少なくとも若いあいだは、僕は生の美を謳歌したいなあ。
20 Sat
9時半まで寝坊してDuke of York SQのFarmer's Marketで買い物。アップルパイとクロワッサン、牛乳を朝食用に仕入れる。その後絢日とチャットやスカイプをしてまったりと過ごした。Bobbyというケネディー暗殺にまつわる映画を一本観る。夕方にジムへ行って筋トレ。今日はボート漕ぎの機械で身体を温めたあと、大胸筋と上腕二頭筋、下脚三頭筋というメジャーな部分を鍛えた(ていうか、そういえば医学部で人体の筋肉、骨、関節、筋、血管、神経etcの名称を暗記したはずなのに見事に忘れてるな・・・)。深夜にはロンドン・フィルムフェスティバルの日本映画『ヴェクシル』を観に行った。土曜日のレスター・スクエアの人の多さに驚いた。2時帰宅。
21 Sun
なにもしなかった
22 Mon
7時半出勤。朝はメール処理、12時半にC.T. TangとDT(Westminster)とミーティング、3時にDTとミーティング、4時にPFBEとミーティング、続いてWOと打ち合わせ。夜は中国大使館とビジネスディナー。帰宅後Project Listを作成。
23 Tue
晴れ。冬。8時出勤。昨日問題となったパール・アワードのProgrammeを作成。分刻みで誰が何処で何をするかを示す表をつくった。11時からWilliamが合流。昼食をとる余裕はなく、3時からChina TangでDTと会議。終了後即中華街で打ち合わせ。オフィスに戻り荷物を片付けて再び中華街で打ち合わせ。20時帰宅。"Chinese Projects"のブリーフィングを作成。ここ数日はすべての公式行事の細かな詰めを行っている。同時にパールアワードのチケットをあと1000枚売りさばこうとしてる。あらゆる方面に打診していたところ、イートン校から200枚のチケット予約が。さらに大使館経由で中国語学校が300枚ほど取ってくれそうだ。物事を始めるのは簡単だが完了させるのは難しい。性格上の問題というより普遍的にそうなのだろう。とりあえず11月1日を乗り切る。
24 Wed
PFBEに出勤。昨夜取りかかったChinese Project Listを完成させる。クラレンスハウスに戻り、細かい内容のメールに30通ほど対応した後、今度は中華街の最終プログラムをつくる。分刻みで、誰が、何処で、何をするかを進行表を埋めていく。DTによると昨年聖ジェイムズ宮殿で行ったイベントのときは、120人の客・1時間の内容で87ページのプログラムを組んだそうだ。セキュリティからトイレットペーパーまで・・・皇室厳しい。でも大勢の人間の行動ラインを想定するのは得意だし、楽しい。二十歩先まで考えるチェスのようなものだ。3時に中華街で最終MTG。4時半にもどり、プログラムを完成させたのは8時。ちょっと脳の回路がパニクったらしく、気づいたら壊れた信号の前で5分か10分くらい(あるいは1時間かも?)突っ立っていた。パートリッジでローストチキンと野菜ジュースを買って帰る。今夜はイートン校の公式招待状をつく・・・
25 Thu
夜イートン校の中国人ディレクターと食事。ひきつづいて上海市浦東区副区長と食事。
26 Fri
HRHのブリーフィング作成
27 Sat
South Kensingtonでチケット受け渡し。空港へ両親と伯父を迎えに。夜はDorchesterと中華街へ。アフリカ通の伯父(胡主席から南アの大統領、ボツワナ大統領・大統領候補まで全員を知っているらしい)がボツワナに新設する発電所計画について語る。純利益で数億ドル入る事業だと言う。あまり巻き込まれたくないが、事業はどこかでチャレンジが必要だというのもわかる。
28 Sun
セントポール大聖堂、テートモダン美術館、ヴィクトリア・アルバート美術館をまわってきた。
29 Mon
30 Tue
31 Wed
未分類 | 2007/10/04(木) 02:31 | Trackback:(0) | Comments:(0)
September
Sat 1
早朝にベルリンを出発してカッセル、ミュンスター、フランクフルトと列車で移動してまわった。目的はカッセル・ドキュメンタとミュンスター・プロジェクトを観ることだったが、正直どちらもいまいちの内容だった。現代美術は裸の王様だ。
Sun 2
フランクフルトからロンドンへ。午後姉と落ち合い、スロースンスクエアをちょっと散歩した。一週間動きすぎてさすがに疲れた。
Mon 3
7時半出勤。呉博士らとホテルで待ち合わせる。PFBEで一日会議。夕方に一度CHのオフィスにもどり、その後スローンスクエアに帰って両親と会い、19時からジェイムズとデヴィッドとMTG、7時半から引き続きPFBEと呉博士と父らとチャイナクラブで食事。
Tue 4
Uptonへ。地下鉄のストライキでタクシーも見つからず、バスも30分遅れ。なんとかユーストンにたどり着き、Hooperらと電車に飛び乗る。4時半にロンドンへ戻り、いったんオフィスへ。その後帰宅し、両親をヒースロー空港へ送り、帰って夜はあやひとチャットした。
Wed 5
Dorchesterへ出張。イギリス最南端近くまで行く。コーンウォール公領でプレゼンを聞いたのち、街を視察して、食事。その後海へ。往復電車5時間。帰宅後疲労のため2時間くらい動けず。頭の中を整理したら明日やることが23件でてきた。
Thu 6
出張前の調整をする。関係者に個人メールアドレスや中国での携帯番号を伝える。再来週帰ってきた後の予定を立てておく。
Fri 7
朝オフィスで最終調整したのち、空港でトムとアンドレと待ち合わせ。ブリティッシュ・エアウェイズ(ビジネス!)11時間飛ぶ。飛行機でトムといろいろなことを話した。
Sat 8
上海到着。金茂ビルの最上階で上海を一望し、珈琲休憩。その後衡山賓館にチェックイン。午後4時待ち合わせる約束をして、自分はいったん実家へ帰る。親戚何人かが待っていてくれた。DVD等の買い物をして、トムらを迎えに。ところが衡山賓館が工事中でほこりが大変なため、すかさずチェックアウト、浦東のシャングリアホテルに移る。豫園を巡り、小龍包を食べ、夜はバンドへ。外灘3号のオーナーらと黄浦会で食事。1時帰宅。
Sun 9th
自分は喉が痛すぎて朝起きられず、父らがトムとアンドレを迎えに行く。その後家によって、小西門、朱家角、金沢、周荘をまわる。英国人大感激。夜は雍福会で孫区長、載先生らと食事。
Mon 10th
10時のフライトで北京へ。中国会へチェックイン後、紫禁城へ。乾隆帝の庭を世界建築基金会(WMF)が修復しているのを中央電視台と共にドキュメンタリー作品として撮影するプロジェクト。最後の皇帝が出て行ったまま、まったく手が付けられていないボロボロの部屋、数々の絵画や装飾品をみてまわる。夜は、中国会でWMFの人々と食事。
Tue 11
午前11時より再び会議。PFBEの3人が到着。午後は呉博士と都市計画博物館、紫禁城をまわる。その後トムとアンドレとCCTV, WMFの会議に参加。琴ドキュメンタリー・コンサートのの構想で多いに盛り上がる。PFBEの三人は帰って休んでもらった。
Wed 12
清華大学のプロジェクトを3つ見学。途中でジョンソンが参加。午後は英国大使館でDavidと会談。夜はビジネスディナー(北京ダック)。うまく話をまとめた。
Thu 13
頤和園と万里長城。63歳のフーパーが長城を踏破した。夜は藩氏と中国会で食事。
Fri 14
朝のフライトでロンドンへ。帰りは早い。到着後そのままオフィスへ向かう。7時帰宅。
Sat 15-Sun 16
なにもせず、どこへもいかず、ぼーと過ごした。日曜日の夜にMOU(Memorandum of Understanding)を書いた。ジムに入会。
Mon 17
MOUをDTやSMPに送信。素晴らしいフィードバックが返ってくる。WestminsterからChinatown Associationのメールを転送してもらう。中華街に樹は植えられないとのことだ。
Tue 18
DTからWestminsterへの怒りのFaxが転送されてくる。午後Katherineと日本食ランチ。16時にPFBEでHooper、Jasonと打ち合わせ。今後PFBEで週に一日程度働くことになる。夜はDICの社長とSone Yutakaさんの展覧会オープニングパーティへ。その後China Tangで夕食をともにした。
Wed 19
昼間仕事。トム曰くオペレーション・フリーダム(個人機密)は着実に進行しているらしい。午後シンガポールのTycoonとランチ。Boole'sという"Gentlemen's Club"にAndrewに招待される。夜はロンドンファッションウィークのあるパーティに顔を出すが、40−50代のおじさんばかりで場違いだった。
Thu 20
WestminsterのPaulといよいよ会議。Plan Bはうまく話を進めた。中国大使館来週のTCMとPhoenix TVのミーティングをふたつセッティング。FIHのキムとメールで口論に。Andreへ琴に関するメールを返信。仕事が波に乗りすぎてプロジェクトが大量発生状態。警戒せねば。
Fri 21
昨日のMOUを書き、関係者に送信。琴の10万ドルを請求。DTと電話。ここのところ毎日仕事のメールを30通以上は書いている。イギリスに来てから今まで書いたメールの数は総計1000通は軽く越えてるだろう。これだけ書けば英語が上達するのも当たり前である。やっぱり量だ、量。量が増えると質が変わる。夜ロニーソコッツへジャズを聴きに。
Sat 22
Tate Modernに行くつもりだったが、サウスケンをぶらぶらしてV&Aのカフェでランチ。中国大使館の秘書官に100% Design (London Design Festival)のオープニングに誘われていたが、けっきょく無しになった。午後ジムでトレーナーと運動。夜はドラマ『華麗な一族』を観た・・・エンディングがいまいち。DTに1万ポンド請求(9000 for the treatment, 1000 for clothing allowance)、みごと獲得。
Sun 23
起床後、聖ポール寺院へ。「FTと百貨店」に関する説教が行われていた。ミレニアムブリッジを渡り、テートモダンのメンバーズルームへ。レイモンドと遭遇。軽く展覧会を観たあと、ロンドンブリッジへ散歩。自転車屋さんに入り、うろうろ。ウォータールーへ移動し、そこの店で最安価の自転車(それでも計277ポンド)を購入。サウスバンクの橋を渡り、ストランドへ。サヴォイでアフタヌーンティ。ピアニストがスターウォーズや誕生歌ばかり演奏していたうえ、環境も最悪だった。"Non-senseだ!"と訴え、なんとかバッハを演奏してもらうが、弾き方がロマンチックすぎて胸やけがした。その後コヴェントガーデンを歩き、ウォータールーへもどって自転車を受け取る。家まで走るが途中でおおいに迷ってつかれた。帰宅後M&Sへ調子にのって自転車で買い物へ。途中で買い物袋がやぶれ、結局押して帰った・・・。
Mon 24
Tue 25
Wed 26
脳内の仕事のことを書き出してみた。
1、中華街の訪問 a)コミュニティーセンター b)菓子屋(organic food) c)レストラン d)皇太子のスピーチ e)地元政府の対応 f)メディアの対応 g)警察の対応 h)10月10日の下見
2、北京胡同プロジェクトの進行 a)清華大学の報告書 b)進行管理 c)皇太子基金会の報告書 d)パターンブックの制作 e)中国美術学院の色彩研究団の派遣 f)資金の調整 g)DTとマイケル伯爵の打ち合わせ h)10月31日のケンジントン宮殿晩餐会
3、中華街の改造 a)地元政府建築部門との会議 b)中国大使館の応援要請 c)ロンドン市長との面会 d)オリンピック委員会との連絡 e)清華大学からデザイン情報の調達 f)ウェストミンスターのプラン学習 g)土地のデータ収集 h)コストと予算の計算 i)進行表の制作
4、琴 a)上海への送金 b)資金の使用用途 c)コンサートの可能性 d)大英博物館との連絡 e)更なる資金獲得 f)海外とのリンク g)中央電視台とのドキュメンタリー制作
5、紫禁城の修復作業撮影? a)世界建築基金会との調整 b)予算試算と資金調達 c)ストーリーの構築 d)下見+調査 e)実際の撮影 f)編集 g)利益の分担 h)CCTVとの契約 i)弁護士との打ち合わせ
6、漢方 a)中国大使館のとの協力打ち合わせ b)国家中医薬局とのイベントの可能性 c)皇太子総合健康基金会のCEOの説得 d)Plan Bとして皇太子基金会イベントカンパニーの巻き込み e)会場の選択と確保 f)予算の計算と資金調達 g)China Nowとの調整? h)メディア対策
7、The Pearl Awards reception a) ロイヤルフェスティバルホールとの調整 b)音楽家との調整 c)チケット3000枚の販売 d)会場の安全確保 e)VIP レセプションの用意 f)ゲスト・リスト
8、鳳凰電視台 a) Duchy Originals の取材 b)David LamとPFBE, Prince's Trustの取材 c)コミュニケーションオフィスの認可 d)11月1日の生放送に関する協議 e)皇太子のインタビュー(原稿用意)
9、11月19日中国政府高級幹部のためのプレゼン a)PFBEのハンクと原稿用意 b)Business&Environmentのレクチャー準備 c)中国語の予行練習
10、中国代表団2006のReunion a)ゲストリストの制作 b)特別イベントの企画 c)報告書・企画書の準備
27 Thu
チームミーティングで中国関連のプロジェクトの数々を報告。引き続いて鳳凰テレビの取材に関しての内部打ち合わせ、そして大使館を交えて三者会談。なかなか悪くない案だが、悪くない程度では現実化できない。すごくいいものでなくては手をつけてはいけない。夕方にフリーメーソン博物館へ!フリーメーソンが意外とオープンなのを知ってショックだった。お土産屋に定規のマグカップやフリーメーソンのガウンを羽織ったテディベアが売られていた。その後オフィスへ帰り軽く仕事して日本大使館のパーティへ。最強につまらなかった。外交官たる者たちがあれでいいのか、と外国人の僕ながら心配になる。そもそも英語が話せていないではないか!あまりの苦痛にプレゼン(日本庭園について)の間、俯いたり、トイレへ逃げたりしてしまった。その後のドリンクパーティも何らホストがホストたる仕事をしていない、ただ部屋にたくさんの人間がいるだけの状態で、あとはセキュリティが周囲でうろうろ。ああ、日本・・・。僕は日本のためにも仕事したいと思っているのだが、話しかけた大使館の文化部?の人もすごく傲慢で、ホントやる気がなくなる。とにかく会場にいた元気な人たちと胡散晴らしに中華街で飲んで帰った。
28 Fri
別件で中国大使館とFIHのキムとミーティング。漢方医薬を英国で如何にプロモートするかについて話し合った。予想以上にいい会議。夜は家でダイハード4を観た。最低だった。
29 Sat
ハイドパークを散歩し、ポートベロー通りへ骨董市めぐりへ。その後家に帰ってあやひとチャット。夕方は原くんとチャイナタンで食事。
30 Sun
起床後部屋を片付け、買い物と洗濯を済ませる。ドラマ『人間の証明』を少し観て、ランチはフレンチ料理屋に。夜ジムで泳いできた。
未分類 | 2007/09/02(日) 17:41 | Trackback:(0) | Comments:(1)
August
Wed 1
午前仕事 ナショナルギャラリーであやひと待ち合わせ、中華街で「世界一サービスの悪い」中華料理屋(でも味はまあまあいける)で昼食。グローブ座でシェイクスピアの『恋の骨折り損』を少し観る。テムズ川をクルーズでウェストミンスターまで移動し、タクシーでチェルシーフィジックガーデンへ。その後M&Sで食材を仕入れて夜はふたりで料理をつくった。
Thu 2
オックスフォードへ遠足 到着後The Trout Inn(大学から車で10分ほどの郊外にある川沿いのレストラン)にむかい、ランチをした。歩いて大学エリアまで戻ろうとしたが、先月の歴史的大雨のせいで道が通れず、泥まみれになってあえなく断念。エクスターカレッジ、クライストチャーチを見学。パンティング(ボートの川下り)をしようとしたが、これまた大雨で川が流れが速すぎてできなかった。残念。
Fri 3
あやひと乗馬 ハイドパークが気持ちよく晴れ渡っていた。午後はお土産を買いにハロッズやキングスロードのアンティークモールに行き(あやひがおじいちゃんに紳士用の杖を購入)、午後はリサのKnightsbridge Schoolを見学した。夜はロイヤルアルバートホールでラフマニノフの交響曲第二番を途中まで聴いて、ピカデリーのバーへ。なぜか全く客が入っておらず気分が乗らなかったのでなにも飲まずに帰宅した。
Sat 4
あやひが帰国。ヒースロー空港まで送ってふたりで一通り涙を流したあと、家に帰って考え事にふけり、とりあえず寝てみた。親と電話。夜はバービカンホールでモーツァルトのレクイエムを聴いた。
Sun 5
なにもしなかった。
Mon 6
久しぶりにしっかり働いた。8時半から17時半まであっという間で、2時間くらいにしか感じなかった。脳みそがまったく疲れずに働いてくれた。基本的に今とりかかっている仕事は、1)北京胡同再開発プロジェクト、2)11月のチャイナ・デイ(イベント五つ:ケンジントン宮殿での晩餐会、皇太子殿下の中華街訪問、中国代表団2006の接待、中国政府との会議、ロイヤルフェィスティバルホールで行われるThe Pearl Awards Reception)、3)PFBE(Prince's Foundation for Built Environement)の中国訪問と清華大学のロンドン訪問、4)World Monument Fundの故宮ドキュメンタリー映画、5)Traditional Arts Co. の新大学設立計画、6)Duchy Originalsの中国展開、7)Green GDPというAccount for Sustainability のプロジェクト、8)琴社の寄付金申請(5万ポンド)、9)中国大使との漢方方面での協力、10)フェニックスTVとの皇太子基金会のフィルム制作である。まだある気がするが、思い出したら書き足す。三ヶ月弱でこの量の仕事だから、1年も2年もいたら半端なく忙しくなるにちがいない。そして、この仕事が普通の会社とちがう醍醐味は、スケールがでかいのに、絶対に失敗が許されないことである。生きるか死ぬかの戦場で「失敗」が死を意味するのと同じように、ひとつもNOがあってはならない。NOとはすなわちなんじを殺す銃弾なのである。したがって常に高度の緊張を保たねばならぬのだが、完璧主義の僕にはすごく向いている気がする。
Tue 7
八月のイギリスは死んでいる。皆休暇を取るからだ。社会全体が鈍っていて仕事にならない。でもそれがまた事情があって夏休みを取れない人をもリラックスした気分にさせるのだろう。今日ものんきなものだった。9時に出勤して3時帰宅。メールを20通くらい書いたが、その他は会議を1つこなしただけ。メールで友達と週末のBBQの企画を立てていた。明日は朝にミーティングがあるが、その分すぐ終わるのでひょっとしたら昼には帰れるかもしれない。そして17日から27日は僕の夏休みだ。この10連休を休んでもあと有給がまた18日も残っている。クリスマスとイースターも自動的に休みだからむしろどうやって有給を使い切るか悩むほどだ。いわゆる日本の働き方は果たして効率的なんだろうか?確かに日本は経済大国だけれど、人口も欧米諸国の二倍ほどであるわけだし、必死に働いているわりには国際的な地位は高くない。今回イギリスにいて、「日本」と「日本的なもの」の価値が下落しているのを身にしみて感じる。みな中国関連の話にはくらいついてきても、日本には無関心だ。そしてそんな取り残された日本では日々不可解な事件が起きている―政治家の無能とか無意味な自殺とか不気味な他殺とか。外国人の僕が言うのもなんだが、日本が心配だ。外交も政治も経済も文化も?すべてにおいて二流に成り下がっている。文明の堕落―今日、日本にいて希望を感じる人間は何人いるだろうか。不思議と絢日は好きなのだけれど、そうでなかったら日本から脚を洗いたいくらいだ。
Wed 8
朝ベリンダ・グディング(Duchy OriginalsのCEO)とChing He-Huang(英国系中国人でちょっと有名なオーガニックフード仕掛人)と会議。中国展開の可能性を探ってみたが、すでにエイジェントが中国総代理店権の交渉しているとのこと。本当は僕らがDuchy Originalsの代理権をとりたかったのでビジネス的には残念だけど、個人的には今後長期にわたって英王室とコミットすることがなくなりそうなのでよかった。すくなくとも自動的に数十年ここに縛り付けられることはない。父は電話でがっかりしていたが、むしろ僕にとってはよろこばしい。昼に絢日からメールがあり、心配なので家に帰ってチャットした。少し元気になったようでよかった。その後オフィスへ戻り昼食にサラダを食べて来週の中華街の会議のアジェンダを作成。午後はトッテンガムコートロード(ロンドンの秋葉原)にいってレコード機の換えの芯を買ってきた。家に帰るとアメックスのカードが届いていた!ちょっと興奮。その後上海と電話してアンドリュー(Chairman of The Prince's Regeneration Trust)らの中国訪問の件を話し、夏休みにイタリアへ行く計画などを相談した。夕方には現像に出していたザルツブルグの写真を受け取りにいき、週末のBBQの機材などを下見にいった。友達から夕食を食べようと誘われたので、家で自分が料理することに。ああ 八月はのんびり。
Thu 9
家でGREEN GDPの調査をすると言って会社をさぼった。結局そのレポートにはまったく手を付けず、絢日とチャット、ビザ申請の手続き、読書(『斜陽』を読み切った。貴族の絶滅に関する話だった)、買い物、料理などをしていた。午後に家事手伝いさんがきて掃除してくれて、夕方にスタイリストが来て髪を切ってくれた。どんなに苦しくても、たとえ損をしても、人を雇うことは大事だ。誰かを雇うことはモチベーションを高める。それは損得以上の価値がある。スタイリストの子にゆで卵の話をして、夕飯を一緒に食べた。久しぶりにワインを多めに飲んでほろ酔い。また絢日の自慢をしてしまった。
Fri 10
仕事 11時半で切り上げて帰宅。夕方まで寝る。なんていう堕落。とくにもなにもせずごろごろした。あたまが日本語でいっぱいだ。絢日が来る前より仕事の能力とやる気は確実に下がったが、日々の満足度は増した。まあ8月はいいのだ・・・・デビッドもイタリアで休暇とってるくらいだし、皇太子もスコットランド行ってるし・・・、トム伯爵だって今日から8月27日まで休みだ。フェニックスTVのボスも・・・・みんな休んでいる。すばらしい。休もう。すばらしい。
Sat 11
友人らとうちでBBQパーティをした。レイとロバート、キャサリン、ジェイミー(女)、チン、ジェーミー(男)と自分の計七人。最初はひさしぶりの英語に戸惑ったが、終わってみるとかなりまた話せるようになっていた。やっぱり定期的に話す機会を設けねばならないなと思った。パーティ自体も最初は気が重かったが終わってみると楽しかった感じがした。まるで英語の柔軟体操をしたような気分だ。毎日続けていればそうとう身体が柔らかくなるだろう。逆に凝り固まってしまうとますます喋るのがおっくうになってしまうものだ。天気もよかったし、プライベートガーデンも気持ちよかった。イギリスでの友達付き合いが、初めてほんとうに出来た気がする。
『ブラッド・ダイヤモンド』を改めて観た。今の自分は、糞ほどの価値もないと思われた。いい映画だ。
Sun 12
基本的になにもしなかった。なにも買わなかった。
Mon 13
Quartet Meeting 午後帰宅してあやひとチャット
Tue 14
朝メール等を片付けてランチはChina Tangで。帰宅後あやひとチャット
Wed 15
LLCAとビジネスランチ 今までの努力が報われた!ついに中華街改造計画決定。夕方には研修生のマイを受け入れ、Green GDPのレポートを書いてもらう。人を使うって楽でいい。HRHが近況報告を聞きたいとのことー金曜日に報告書を提出すると返答。夜は中国大使秘書のLYとビジネスディナー@China Tang。漢方方面の協力で一致。すっかりオレも外交官になったな。
Fri 17
HRHにメモを送った
Sat 18
十連休初日
Mon 20
彫刻家の友人のスタジオに遊びに行く。木彫りをやるにあたってアドバイスなどを受ける。午後はナショナルギャラリーの本屋でぶらぶら。
Thu 23
連休中だが今日はミーティングがあるので、ちょっとオフィスへ行った。皇太子とマイケル卿から返信があり、僕の仕事を絶賛してくれた。オフィスでも話題になっているらしく、会う人会う人が「おめでとう!」と言ってくる。マイケル卿の秘書のスージーは、「私が言う立場じゃないんだけど、殿下がレポートに返信することはめずらしいし、あんなに誰かを賞賛することなんて本当に稀なのよ。すごいわね」と言ってくれた。オフィスでメールチェックしていると電話が。でもメールも100通くらいたまっているし、1時間しかオフィスにいないので無視していたら、しつこく3回くらい鳴ったあと、秘書課の人が飛んできた。「フェイフェイ!なにしているの、HRHがあなたに電話していたのよ!」・・・。皇太子の電話を無視してしまった。こちらからかけ直すと、「11月の中国政府訪英団に私の基金会のプレゼンをしてくれないか、そのほうがずっと効率がよいだろう」というお話だった。"Could you...Could you...?"と連発していた。"Absolutely, Sir"と答えておいたが、また仕事が増えた!午後2時からはQuarted Committeeとデヴィッドと会議。中華街訪問の話がかたまってきた。その後South BankでThe Pearl Awardsの打ち合わせ。帰宅後、両親のイタリア旅行とドイツ旅行の手配をした。4人分のホテルを5泊分と、航空券10枚、新幹線のチケット15枚を予約した・・・。疲れた。
Fri 24
朝GP(General Practitioner, ホームドクターのこと)に会いに行った。ここのところ左のあごの調子がおかしい。そして午後にはオステオパシー(英国式筋肉の整体)に。左の骨盤が高くなっていて、そのせいで左の肩も高くなっていたので、マッサージのあとゴキゴキっと骨の位置を直してもらった。終わって地面に立ってみると、本当に左半身が低くなったのが感じられる。ついでに正しい歩き方、正しい座り方(つまり背骨をどうやって骨盤にのせるか)を教えてもらった。今では自分の骨がまるでX線のように透視で見える気がする。歯科も来月に予約した。人気のところで来月までいっぱいだという。健康第一。いつまでも生きたいとは思わないが、若い状態を2、3年でも長くのばせたらやれることはいっぱいある。そのための努力といったら実は一日10分もいらないのだ。「私は太っている人間や痩せすぎている人間を信用できない」という人がいたが、彼は正しい。自分を管理できない人は何をやってもうまくいかないのだ。
27 Mon
カーニヴァル。中華街でCT Tangとランチ。姉到着。ヒースローへ向かいに。夜はまたCT Tangらとビジネスディナー。その後チャイナタンで真面目に親と話した。
28 Tue
中国大使館から未だ電話が来なくて参った。キムに電話して木曜日のMTGを取り消しに。
29 Wed
一日中オフィスで働いた。
30 Thu
中国大使館へトムのヴィザを申請に。あとはオフィスで仕事した。
31 Fri
ロンドンからベルリンへ飛んだ。両親はヴェネチアからベルリンへ飛んだので、空港で待ち合わせた(姉はヴェネチアからロンドンへ)。タクシーでホテルに向かい、その後軽くベルリン観光。正直全然好かない街だ。安っぽい。
July
Sun 1
Concert for Diana。6万人の大観衆。ウィリアムとハリーが後ろのほうに座っていた。一般人と何の変わりもない。あまりに長いコンサートなので後半は家に帰ってTVで観た。
Mon 2
BITC Awards @ Royal Albert Hall びっくりすることに1700人のフォーマルディナーが用意されていた。M&Sがスポンサーとのこと。HRHとゴア副大統領のスピーチのコントラストが印象的だった。でもゴアは前のAshton Awardsのときと同じ話をしてた。
Wed 4- Thu 5
ロンドンから3時間電車に乗ってイングランド南西部のPlymouthへ。Shefordという、丘?野原?にPFBEが街を作ろうとしてる。現地の関係者とWorkshop。夜は古い荘園に泊まる。翌日の朝野原のなかを雨と泥にまみれになりながら3時間歩いた。ブーツとレインコートを着ていたが、それでもスーツからシャツまで濡れた。Very English experience
Fri 6
誕生日!なかなか有意義な一日だった。午前はAHに招かれHenly Royal Regattaへ。ヘムズ川にたたずむ静かな街に、着飾った紳士と貴婦人が数千人集まっていた。川沿いにはボートハウスが並び、レース観戦のテントやレストラン、カフェ、プライベートクラブなどが並ぶ。Aの息子Mとその友達たちも学校の応援(イートン校)に来た。皆でランチをした後、僕はオフィスに戻る。
午後中国大使、MP、DT、TSと会談。歴史的なミーティングだと言っても過言ではない。30分の予定が結局2時間も話し込んだ。その後PFBEの新しいInternational Directorと会談。そして思った事:"Protocol, protocol, protocol!"ー外交儀礼が問題だ。"I will make an offer he can't refuse""One NO, you are dead!"まさに戦争である。銃弾に一発でも当たれば命はない。失敗は死を意味する。プロトコル……また一歩深みに入ってしまった。
Sat 7
シェイクスピア座でオセロを観る。昨日Henleyで会ったAHの妻Fionaのことを考えた。愛が前提になければ悲劇は成り立たない。夜は庭でBBQした。
Sun 8
快晴。家事をやってゴッドファーザー?を観た。
Mon 9
黒猫を拾う。SCの実家のディナーに招かれる。ハロー校の先生やクリケットの専門家などおもしろい人たちが集まっていた。
Tue 10
玉座の間(写真奥の部屋)で会議。秘密の通路。HRHからmemorandum
Wed 11
DorchesterでKSとビジネスランチ。AS、TS、KSらと故宮博物館のドキュメンタリー映画について会議。 "keep certain distance" 週末用にVirgin RecordsでDVDを5本購入。
Thu 12
香港から?4261届く。中国大使館から連絡。夜は家でちょっと映画を観た。
Fri 13
13日の金曜日!別に不吉なことは起きなかった。Jと話して19日の計画を立てる。EのメールからChina Dayにはもうひとつ政府系のイベントが企画されていることが判明。BWがアルゴアのドキュメンタリー放映に手を出していることもわかった。裏でみんななにかやっている。そうしえば「国王手許金諮問機関」?から着信履歴があった。何の用だ・・・
Sat 14
ちょっと風邪ぎみ。夜Barbicanへ。メンデルゾーンのバイオリンコンチェルトとモーツァルトのリンツ。正直まったく冴えないコンサートだった。ホールも客も演奏者も二流(ホールはお化け屋敷のような冷たい環境だし、客は演奏の途中で誤って拍手するし、演奏者は美女というだけで音にメリハリがない)にもかかわらず食事やチケットの値段だけは妙に高い。非常に納得のいかない夜だった。イギリス人は『音楽』(ビートルズとか、そういう「チューン」は別として)に向かない。この国は外交が得意だがそれ以外の全部は物まねだけだ。
Sun 15
朝ベッドでごろごろして小説(村上)を読んだ。昼DTにDr.Wについてのメールを書き、マーブルアーチへ。昼食後ノッティングヒルでレコード(バッハ/ブランデンブルグとモーツァルト/ドン・ジョヴァーニ)を購入。3時から大雨のなか乗馬。確実に風邪を引いた。あほすぎるが、先週も雨で乗ってないし、来週末もどうなることかわからないので仕方がない!でも確実にトロットできるようになっていて上機嫌だ。やっぱり乗馬用のズボンを買ってよかった。そして靴も今日のはフィットしていた。うまくなる前に装備を揃えるのは嫌だったが、やはり全然ちがうもんだ。来週は自分用のロングブーツを買おうかと考えている。ふふふ。家に帰ってIn her shoesを観る。なかなかの映画だった。特に結婚式の行われたぼろい屋台がロマンチック。DTとまた数通メールのやりとりをする。ちょっとした暗闘が発生するが、強気で乗り越えた。よし。
*初期につけた日記がみつかったので4月分をちょっと追加した。それから別のノートにこんな走り書きをしてあるのを見つけた↓
「英王室ではなくタイ王室と思うように」
・・・よっぽど緊張していたのがわかりますね。
Mon 16
午前オフィスでJとメールを数通交換。Oxfordへ。4時間(往復のバス3時間を入れると7時間!)待たされたのち、14人のグループを引き連れて大学を見学。ひさしぶりにユェンニンに会った。
Tue 17
久しぶりに一日中オフィスで仕事した。Eらとメールし、MとX DAYの前日に晩餐会を開催することで決定。(confidentialな情報なのでまったく意味が分からなくてごめんなさい)Dと電話。Cの時間を二分割するアイディアでいくことになりそう。とにかく木曜日のミーティングが重要だ。Fらの中国訪問のプログラムを練る。
Wed 18
Three Months ReviewでTから"Is it too good?"と反問されるほどの最高評価をもらった。自分で言うのもなんだがこの三ヶ月はなかなか重要な任務をやり遂げたと思う。次の三ヶ月はそううまくいかないだろう。提案やアイディアに優れていて、持続性に欠けるのは僕の特性だから。
Thu 19
正午に中華街でDT, Chairman of LCBA, Liaison Officer from Westminster Council, Chiarman of LCCC, DT, JE, CHらと会議。3時にSouth Bankへ移り、引き続きHead of Musicと打ち合わせ。
Fri 20
朝通勤途中でばったりKSに会う。一日事務仕事。大使からの手紙を転送し、大使館へ返答し、Duchy OriginalsやFoundation for Integrated Healthと接触。Tに3時に報告。最近は「課外活動」をまったく行っていない。帰って寝る。帰って寝る。の繰り返し。一つには社交にあきたのもあるが、もうひとつの理由としてちょっと貯金をしようと思っている。この仕事が終わった後、しばらく旅に出られるように。
Sat 21
午後乗馬。トロット最長距離を更新する。ハイストリートケンジントンからハイドパークコーナーあたりまでたぶん2キロくらいある距離を一気に駆けた。即座に内股が筋肉痛になった。夜はヴィクトリアへベトナム料理を食べにいった。帰ってからThe Good Girlをみた。ひさしぶりになかなか面白い映画だった。
Sun 22
基本的に家で報告書を書いていた。急に無闇にフライドチキンが食べたくなってKFCへ。太りすぎてマクドナルドを訴えたおばさんがいると聞くが、問題はマックやKFCの存在ではない。左でもなく、右でもなく、善し悪しを超えて存在するのが、最も上級な生き方だ。(「ケンタッキー」から「最も上級な生き方」を導きだすの詭弁)
Mon 23
昼にチャイナタウンでランチをした以外、一日オフィスで過ごす。週末にかけて書いたレポートを送信・転送する。よい返事が返って来る。やはり気合いを入れて取り組んだものはその気迫が伝わるんだろうと思う。かといって常にすべての仕事に100%の努力を注ぎ込むのもまちがいだ。タイミングを見計らって、重要な節々で全力を尽くすこと。「効果」というものは、ハイライトの連続であっては生まれない。
Tue 24
朝W博士らのメールを処理。午後Foundation for Integrated HealthのKLとミーティング。その後Overseas Team Meeting。SMPからメモランダムが返って来る。"Thank you for all your wonderfully excellent work." なぜこんなに評価が高くなったのか考えてみたら、それはそうだ、と気づいた。つまり、HRHが「目に留めた」記事(SMPのたった一行の文章)に対応して、2ヶ月で、現実に都市計画のプロジェクトを2つ起こしたのだ―大使や北京政府や皇太子基金会を巻き込んで。それは誰だって感嘆するだろう。(とはいえども自分の実力ではなく、単に最初から仕組まれていたというだけの話なんだけど)すでに3つ目のアイディアの布石を打っている。ああ、英語さえ完璧ならもっとできるのに。とりあえず、2年間ここでじっとしてみよう・・・
Wed 25 Thu 26
ホリデー前なので鬼のように忙しかった。いろんな仕事を来週にまわした。
Fri 27 - Sun 29
二泊でSalzbergへ行ってきた。Melchiorと再会。旧市街を散歩したり、Inner Childの話をしたりした。29日にロンドンへもどり、あやひと落ち合う。Sloane SquareのOrielで食事した。ロイヤルオペラハウスのバレエ『眠れる美女』を楽しんでもらえたみたいでよかった。
Mon 30
あやひとバッキンガム宮殿ツアー。その後テートモダンへ。メンバーズルームから街が一望できて素敵だった。ミレニアムブリッジを渡ってセントポールでバスに乗っていったん家へ帰る。夜はチャイナタンでディナー。バーで偶然リサに会った。
Tue 31
朝オフィスで仕事 あやひはリッツで60ポンド(!)の朝食。駅であやひと待ち合わせ、ロイヤルフェスティバルホールでデヴィッドタンらと会議をしたのち、サウスバンクを散歩。途中で怪しげなインド人(自称ヨガの達人)に呼び止められ、占ってもらって20ポンドとられる。「身体は寝ていても頭は寝ていない」と言われた。午後はロンドン最高級(?)の日本料理屋Nobuで梅冷巧らとランチへ向かう。元寧を連れてハイドパークに乗馬へ。夕方はふたりで国会議事堂ツアー。夜はロンドンで「最もロマンチック」とされるフレンチへいった。
未分類 | 2007/07/05(木) 07:31 | Trackback:(0) | Comments:(0)
June
Fri 1
マンチェスターへ出張。The Magazineの編集部を訪れる。WOと会談し、戦略Cについて意見を伺ってみる。不可能と言いながらも5分後には先方も説得され気味なのを確認し、満足。帰路の電車でさらに考えを発展させてみる。歴史的な報告書がこの週末にうまれようとしている。来週がTurning Pointになるか。中国人若手建築家、Oxford中国学教授、チャイナタウン雑誌主宰者の生の声が集まった。政府の数値データを添付し、斬新なアイディアと混ぜ合わせれば一丁出来上がり!夜MとDuke of York Squareでイタリアンワイン&チーズ。
Sat 2
10am乗馬。Jamesは厳しいインストラクターだが、Baronはいい馬だった。軽く走れるようになってたのしい。歩く際の姿勢もよくなりそうだ。レッスンがあまり健康的だった反動から、昼はなんとフライドチキンとチョコレートブラウニーを食す。人間って複雑。その後フラットに戻りシエスタを遂行――3.30pmにTとThe Dorchesterで待ちあわせてアフタヌーンティー。天気が素晴らしかったのでそのまま散歩し、Park LaneからGreen Park, St James's Park, Westminsterまで一気に歩く。夕方にSSQに戻り、休憩、8.30pmにピアニストEとフレンチ。美味。いい加減仕事せねば。
Sun 3
一歩も家を出なかった。
Mon 4
家で仕事。戦略草稿を練る。
Tue 5
11:30Tとミーティング。「天才!」「ファンタスティック・アイデア」と彼が狂喜しているのをみてほっとする。木曜日までに報告書をまとめることで一致。PFBEのHankにも電話、ほかスタッフ皆ポジティブ。Aに相談したところ「うまくいきそう」と言ってもらえた。あと大きな関門は5つ。MとHRH、DT、投資家、Westminster Council、そして現地中国人。まだまだ道のりは長い。
Wed 6
徹夜でStrategy Paper
Thu 7
オフィスでStrategy Paperの整理。先日書いた報告書が1ミリオンポンドを生み出したようだ。午後父と電話会談、夜になって戦略書をDTに送信。二週間がかりで濃厚な7ページにまとめたつもりなのにたった5分で感想が返ってきた。しかも鋭すぎる。本当に鋭い。文面はなぜか好意に満ちていた。フルに脳みそをつかえる場所に来られて幸運だ。ここでなら自分のポテンシャルを出せる。
Fri 8
昨晩からのDTとのメールのやり取りがつづく。今後の計画をめぐり暗闘。2:30にM、Oと会議。Good Newsから1)2億5千万円が初期費用として集まりそうなこと;2)北京市の協力を得られるであろうこと;3)有力な実践者(Possible Representative)が見つかったこと。C計画も絶大な肯定を得た。次は具体的な戦略報告書作りに入る。その後HRHと会談。すべては中英両国同時進行で。
Sat 9
10時半に起床、昼頃Tateの例の「サロン」へ。が、実際Rがその友人といたが、なかなかRの名前が思い出せずにあきらめてメンバーズルームを去る。Dali&Film展を観て(特に映像作品によって)ダリの印象が少々変わる。うろうろして結局珈琲を三杯も飲んでしまった。その後改装後再オープンしたSouth BankのRoyal Festival Hallを見て回る。まるでお祭り騒ぎだ。11月には自分もここでイベントを企画しているかもしれない。そのまま橋を渡り北へ散歩。途中で"Enough"というパレスチナ支援者のデモに遭遇し、イスラエルを罵倒する声を聞く。民衆ってすごいパワーを持っているもんだと感動してしばらく立ちすくんでしまった。Leicester SqでOcean's 13の夜のチケットを取り、リバティ(デパート)を見学し、ジャパンセンターでざる蕎麦を食べて帰る。夜は映画を観て友人宅で料理し、3時まで日本のドラマ『結婚できない男』最終話を観た。
Sun 10
乗馬、帰宅。夜E、Kとガーデンパーティ。
Mon 11
JKとらーめんとちらし寿司のランチ。17pm DT, MP, OBと会議。成功。常にグッドニュースをもたらす人だ、と相手に刷り込むこと。重要な判断はすべて自分でしておいてから他人と話すこと。DTが優しいのが未だに理解できないが、とりあえず仕事が一段落したのは良い。スーツ代と給料の値上げを請求。夜ポールマーティンの番組を観てティラミスをつくる。
Tue 12
昨日の会議の報告書をまとめ、MPに提出。途中でいったん家に帰って仕事。夜はラムにしようかと思ったが、結局サーモンとクリームのパスタをつくる。7時から翌日朝7時まで寝た。
Wed 13
出勤後、諸々の事務を片付けて中華街へ。ランチを食べてKnightsbridgeのHSBCで親に仕送り。Gieves&Hawksで新しいスーツを購入(皇室関係者なので25%OFF)。Waitroseで食品を購入にし、帰りに青い菊を一本買う。「ギフトですか?」と日本人らしきスタッフに尋ねられたが、"Ah...it's actually for myself"?―寂しい奴。かと思いきや、帰り道で"Is it for me?"と満面の笑みの女の子に話しかけられる。"Next time"と言っておいた。変な国だ。
Thu 14
一日休みを取ってリラックス。リージェンツパークのThe Queen Mary's Gardensへ。バラを見頃を過ぎていたが、そこのカフェは非常によかった。ひとりでコース料理―海老カクテルと若鶏と香草のメイン?―を食べた。その後セルフリッジでネクタイを買い、ナイツブリッジをぶらぶらして帰る。M&Sでいろいろ食材を購入して夜はEとステーキ。(カタカナ多すぎ)
Fri 15
PFBEのCEOとランチ。夜はWO、SH、中国大使らとマンダリンオリエンタルでCHINA NOWのパーティ。すべての人・物・事のレベルの低さに戸惑った。高次元の世界にすっかり慣れてしまった為か、ああでも現実世界ってこの程度だよなと思わされたイベントだった。常にDTやMPと自分を比べて自信喪失していたので、少し元気を取戻した。
Sat 16
乗馬は雨のため中止。"Amadeus"と"The Making of Amadeus"を観た。もはやマニアの域に達してきた。勢い余ってWigmore Hallの室内楽とRoyal Opera Houseのドン・ジョバーニのチケットを購入。しかも一枚ずつ・・・(でもクラシックは一人で聴きにいくのが一番だと思う。インターバルはさみしいが、一人のほうがより音楽に浸れる)。昼はベーコンとクリームのパスタを作って食べた。午後本屋で"Don Quixote"と"The Picture of Dorian Gray"、CD屋でMadeleine Peyrouxの"Half the Perfect World"(ジャズ)を手に入れる。すっかり心が一人モードに入ってきた。帰り道でクリーニング屋に出したスーツを受け取り、パン屋でスコーンと牛乳と朝食のパンを買う。帰ってシーツを洗い、ワインとビールを飲み、夕食も自分でつくり・・・と、かなり典型的な土曜日だった。
Sun 17
China Oxford Scholarship Fundのガーデンパーティに招かれオックスフォードへ。17世紀の荘園(入口から館の玄関まで500mほど距離砂利道がつづき、中に湖、ボート、数千平米の庭、温室、野菜畑やプールがある)の庭に設置された白いテントで食事した。参加者はオックスフォード大学の各カレッジの学長や研究者、学生、外交官、その他中英関係者100人ほど。この荘園の主人でCOSFの創立者でもあるTB自身はBankerだったという。12時から17時まで色々な人としゃべりまくったので疲れた。オックスフォードの市内に戻ってからSと一年ぶりの再会。21時半帰宅。
Mon 18
HRHによばれて急にミーティング。夜Wigmore Hallでコンサート。
Tue 19
今週はわりと自由だ。一日中オフィスにいることがない。PとDYSでお茶をして、Green Park、St James's Parkを散歩。夕飯はTaroで刺身と鳥照り焼き丼を食べて帰宅。昨日の睡眠を補う。
Wed 20
Royal Ascotに行く。Royal EnclosureのなかでもWhitesという最も“上品ぶった”クラブに行く。燕尾服を着ていなかったのがトラブルに。(燕尾服と帽子を身につけていないとRoyal Enclosureには本来入れない)DTと妻、JCなどとランチ、レース、デザート、レース、アフタヌーンティ、レースという具合ですごす。最初のレースで20ポンド賭けたらなんと見事的中し、135ポンドになって返ってきた。DTが「来年はWhitesのメンバーバッジをつけるように(つまりメンバーになる)」と言っていた。来年も?夜はRoyal Opera Houseでドン・ジョバーニ(女たらしのスペイン貴族が、ドイツ、イタリア、フランス、ギリシア、フランスで1000以上の女性をたぶらかした後、石像によって地獄に引きずり込まれる話)を観る。Anna Netrebkoはちょっと年をとった気がするが声も姿も美しかった。3時間半まったく退屈せず楽しめた。というか本気でおもしろかった。休憩時間にはばったりTとJに遭遇。オペラ終了後近くのギリシアレストランで夕食を。帰宅したのは12時半になってしまった。
Thu 21
朝のMonthly Team Meetingは来週に延期。広州現代美術トリエンナーレのレセプションパーティがTate Modernで行われるので10時半にオフィスをでる。JやGと会う。都市化の展覧会も面白かった。昼過ぎにいったんSSQへ帰り、Orielでひとりでランチ。初めて入ったがフランス風のなかなかいいカフェだ。再度オフィスに戻る途中でハロッズに寄り、Ascotで買ったお金でネクタイに使う。2:25バスに乗っているとCから電話があり、ボスが呼んでいるとのこと。「ボスって誰?」と思ったが、TでもMでもなくHRHだった。急いで宮殿に駆けつけるとAshdon AwardsのファイナリストたちがHRHと午後の紅茶をしている。参加者の中にアジア顔があるので納得。終了後”Feifei is marvelous"とHRHから皆に紹介された。けっこう気に入られてる。その後T伯爵とミーティング。近況報告+雑談。英語が突然上達したと言われる。家に遊びにくるようにも誘われた。"I will do whatever you want me to do"と、かなり信頼されてきたっぽい。夜はRoyal Geographic Societyで行われたAwards Ceremonyに参加。600人の環境保護関係者とゴア副大統領に会う。"In Africa there is a saying: if you want to go quickly, go alone; if you want go far, go together. We want to go far quickly"という台詞が頭に残った。2ヶ月で確実に評価は上がっているが、自分がどうしたいのかはまだわからない。打ち負かせられない相手に会ったら二年間そのもとで修行するのが一番だという考えは正しいと思う。僕は何事も一年以上つづけたことがないので、今度ばかりは少し長くここにいようかとも思う。
Fri 22
わりと暇な一日。出勤後メールを何通か片付けて、Sの評論文を書き直す。中国大使館と連絡し、MとFの面談の日程調整を進める。Jの訪日の手配。11月のC Dayに関してDTとメール連絡。TがD Concertのチケットをとってくれた。再来週の月曜日はBITCの授賞式に出ることに。来月3日にはスコットランドでクリケット試合。午後Dorchesterで久しぶりにまともな中華を食べる。夜はPと飲みにいく。
Sat 23
馬術のレベルがあがった。なんとサドルから手を離してトロットできるようになった!かなり内股の筋肉が鍛えられる。馬の速度を自分のUp, Down, Up, Downのリズムとのずれでコントロールするんだと判明。つまりモードの違いで主人の意志を伝えるのだー最近何事も意味深に感じる。それにしても土曜日のハイドパークを馬で駆けると人々の注目の的になる。自然と姿勢が正されるし、早く上達したいと思うようになるのは良いことだ。調子に乗って来週は水曜日の朝と土曜日の午後を2日分予約した。夜はテートモダンでロンドンの2012年に向けた都市計画ワークショップに参加するつもりだったが、昼寝して起きたらもう間に合わなかったのでやめた。代わりにテレビの下らない映画をみながら、イギリスの大学院について下調べをした。
Sun 24
なんとか一日中家にいてみようと試みたが、やはり午後出かけてしまった。映画を2、3本見てチャットしてご飯をつくったり片付けたり。それにしてもロンドンはイベントが多すぎる。毎週何かやっている。チェルシー・フラワーショー、ロンドンマラソン、ロイヤルアスコット、ウィンブルドン、ファッションウィーク、プレミアリーグ、フードウィーク、ヘンリー・ロガッタ、テートロングウィークエンド・・・その他ロイヤルフェスティバルホール、クイーンエリザベスホール、ウィグモアホール、バービカンホール、カドガンホールでは毎晩クラシックをやっているし、ロイヤルオペラハウス、ロイヤルアルバートホールではバレエや劇、大英博物館、テートブレテイン、ナショナルギャラリー、ヴィクトリア&アルバート、ポートレートギャラリー、ナチュラルヒストリー、その他無数の個人ギャラリーでは美術展が、サザビー、クリスティンのオークション、公園はハイドパーク、ケンジントンガーデン、リージェンツパーク、グリーンパーク、セント・ジェイムズパーク、グリニッジ、買い物はハロッズ、リバティ、ハーヴェイニコルス、フォータムメイソン、セルフリッジ・・・ああ。
Mon 25
早朝からPoundburyへ。8時半の電車に乗り2時間半、The Duchy of Cornwallのオフィスについたのは11時半だった。Aらとミーティングを三つ。午後16時にロンドンへ帰る。家に到着したのは19時半で無駄に疲れた。一路ドリアングレーを読もうとしたがぜんぜん頭に入らず。来年以降またOxで勉強する道も検討している。サブジェクトはEnglish?
Tue 26
4日ぶりにオフィスに行くと案の定重要なメールがたくさん。まずDTから水曜日に使う資料が欲しいのとメールが。急いで中国語と英語の報告書をまとめる。HRHが来週また会いたがっているとのこと。中国大使館へもMとのミーティングに関して連絡。JKとのランチを断る。GとBITCのイベントを再確認。Concert for Dianaのチケットを手配。夜China Tangでファックスの依頼兼食事をした。明日はいよいよ27日水曜日。北京時間の夕方にはすべての成り行きがわかるだろう。
Wed 27
7:30に乗馬。Mが厳しかった。9:30にBPでCと待ち合わせConcert for Dianaのチケットを譲ってもらう。直後にチームミーティング。終了後HSBCで諸事務を処理。オフィスに戻り昼食後オックスフォード大学主催のBritish Inter-universities Chinese CentreのLaunch Conferenceに参加。午後のセミナーでDr. FPと会う。その後再度オフィスに戻りメールを送受信後、SSQに戻る。夜はOrielで食事ーベートーベンのピアノコンチェルト@Cadogan Hall。
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未分類 | 2007/06/05(火) 07:30 | Trackback:(0) | Comments:(0)
May
Thu 17
15:30にJKと彼の店で会う。いろんなアンティーク本を見せられるが、KSと知り合えたのはよかった。古書修復部の人間もなかなかおもしろかった。夜はRとその仲間たちとほぼ徹夜に。非常に疲れたし、案の定部屋のものを壊された。低能としか言いようがない。4時就寝6時起床!
Fri 18
TS、CCとCardiffへ。往復5時間、ミーティングは3時間。ウェールズにあるPCの分科会のような感じ。MW (DPS)がかなりやり手っぽい。が自分はとりあえず眠すぎて集中できず。往復の電車で有意義な会話をした。「上流階級は同じサークルで同じ会話でBoring! Boring!"とTSが言ったので、"But isn't is the essence of tradition?"と反問。いつもながらするどいと誉められた。言葉ができないからアイディアで勝負するしかないんだってば・・・。Paddingtonに6時に到着、帰宅後、Yと待ち合わせる。家で週末打ち上げを行い、二日分の睡眠を取戻す。
Sat 19
11時起床 Tate ModernでMと待ち合わせ。昼食をとりながら今回は『周易』について語る。隣に座った香港系の作曲家と知り合う。He has taught music to himself and was commisioned an opera by Royal Opera House... Mは8歳で処女作を出版しているのでこれまた天才。詩人と音楽家と視覚芸術家が出会ったのでなにか共同のプロジェクトを組もうと企画。土曜日の朝はテートのMember's Roomでサロンを行う事で決定。その後BFIでRHと会う。結局SSQまで歩き、ロンドンを横断する一日となった。夕食の仕入れ前にDuke of York SQのカフェで日本人のUrban Designerと知り合う。知り合い増え過ぎ。夜はRHとサラダとサーモンパイ、チキン等を大量に作り過ぎる。何事も過ぎるとよくない。DTに乗馬申請メールを送信。
Sun 20
9時半起床 Sloane SQの教会に出向くがサービスは11時からとのこと。Royal Hospital周辺をBatterseaの川沿いまで散歩 今週末はチェルシー花博なので何となく盛り上がっている。教会は途中で脱落し、家に帰る。午後乗馬の申し込みをして(?750!)Clifton Nurseryの花市でTと落ち合う。車で移動し、有機野菜を購入後、Old Streetへ。結局オレがチャーハンとサーモンマリネを作らされる。
Mon 21
Old Streetから出勤。朝一でMPにメール(夕方まで待つが返事は来ず)一連の感謝状を送り、上海総領事館と連絡。昼前に密かに一度帰宅し(荷物も多かったので)、昼食はStaff Dining RoomでSらと。15時よりPFBE:ミーティングを2つ。急いでPiccadillyに戻りQuaritchのKSと日本食。宇宙観が一致し、久しぶりにヒット。HKより?5000届く
Tue 22
PFBEに出向 Keithの幾何学のワークショップに参加する。Cambridgeでスーフィ教団に加わっている人物や若手デザイナー、アイリッシュ建築家等に遭遇。朝と夕方にオフィスでメールチェック 両陛下の訪英に関してMPから返信が。"Many thanks for the very kind offer, which I will feed to the system." とのこと。Dorchesterで夕食 Tang氏が実は10日前にロンドンにいたことが判明。彼はいったい何を考えているのだ・・・Anyway 今はカンヌフェスティバルに行っているとのこと。夜は久しぶりにひとりで過ごす。
Wed 23
WalthamstowへPFBEの都市計画会議に参加 三十人の専門家が街の改造計画(建物単位で)議論しているのを目の当たりにし、中国の事情は少々違うのだと悟る。いい意味ではないが、中国は規模が違う―ほぼシムシティだから。オフィスに戻る途中でCCと遭遇。後に彼女のファイルをみたが、こいつはできる。まだ入社一週間なのにすでに大量のドキュメントを産出している。夜はTとThe Lives of Othersを観る予定だったが、あまりの我侭さに唖然として撤退。家で夕飯を済ませ、ぼーっと寝たり起きたり本を読んだりテレビを見たりして過ごした。KSにメールしたが冷淡。
Thu 24
Team Meeting-Egham-Office-Dorchester-SSQ
Fri 25
Hampton Court Palaceの再開発会議に参加 PRTのAHがすばらしく貴族的で感銘を受けた。RHPの人間はうざい―自分を女王もしくは王子だと思い込んでる。一方でDeveloperも野暮すぎる。この両者は永遠にわかりあえないだろう。思うに別のDeveloperを探してきてHRHと約束させるのが一番手っ取り早い。一般化する必要のないプロジェクトなんだから。午後オフィスに戻るとMP経由でPOWから手紙が。Strategy Paperを書けとのこと。DTもやたら親切なメールを送ってきた。うーむここからは自分の頭で考えねば。
Sat 26
Hyde Parkで乗馬。DellでHRHの手稿を解読し、戦略書を考案。KSとSouth Kensingtonでランチをするが非常に気まずかった。英国人女性という生き物について改めて考えさせられる。女性に限らず英国人は厄介だ。表と裏が見事に乖離している。DT、MP、TS、誰も信用してはならぬ - and never hide. あのまなざしを覚えておこう。知性、体力、財力。夜は急にThe Godfatherが観たくなってPiccadillyへ。It's a legend.
Sun 27
時計を修理に出す。北京中医大時代のTとチャット。夜はXDとCharing Crossで待ち合わせ、雨のなかMayfairを歩き回る。パブで夕食をとりながら、彼の建築家の目からみた中国の都市開発について見解を聞けたのは有意義だった。が、けっきょく戦略書には手を付けず。
Mon 28 (Bank Holiday)
11時半テートモダンでJと待ち合わせ、展示を軽く見た後、メンバーズルームでランチ。ダブルマッキアートを二杯。むしろ眠くなることが判明。まだ戦略書には手を付けず。
Tue 29
諸々の用事を済ませ、戦略の草稿を書き進める。オックスフォードのFP教授と連絡。明日の午前Chinese Instituteで会うことに。JK経由でボドリアンのNo.2にも紹介してもらう。来週のMPと会うことが決定。午後Chinatownを視察 夜は自炊 Cと飲む
Wed 30
朝からOxfordへ。Chinese Institute到着後図書館で勉強。FP教授と会談、彼も衰えたなと思う。その後ロンドンへ戻りV&Aに直行。Rのツアーに参加。Royal College of Deffence Studiesに派遣されている各国の将軍らと共にまわる。人民解放軍の将軍や英国陸軍(?詳しくは不明)のGeneral、その他謎の10名程度のグループだったが、みんな至ってフレンドリー。しかし安易に自分の名刺を渡してしまったことを後悔。こういう場面ではなるべく記録を残さない方がいい。終了後オフィスへ戻り、事務処理。夜はNYから来たスタイリストのNと会い、連夜の酒を飲んだ。
Thu 31
10時Old StreetにあるPDSに視察へ。スタジオを周り、美大生やモデルの人や先生と話をする。午後はオフィスにもどり、久しぶりにDTと連絡。Royal Ascotに来いとのこと。その他感謝状などを送り、6.30Quaritchの古写真展オープニングパーティへ。一千万円の写真を販売しており、思わず鼻で笑ってしまう。KSは相変わらず冷淡。非常に二枚舌のイギリス人外交官の娘らしい、陰湿な印象を受ける。ボドリアン図書館の支配人とはけっきょく会えず、早めに帰宅。夕食は辛ラーメン。