琴棋書画の道 -
最近、琴をまた弾き始めた。楽譜↓

ご存知でない方のために一応説明しておくと、僕が練習しているのは「琴(きん)」別名「古琴(こきん)或いは「七弦琴(しちげんきん)」といって、中国の約三千年の歴史をもつ楽器である。詳しくはこちらをクリック。
なぜここにきてまた弾き始めたかというと、その背景には先月末に企画した王室でのコンサートがある。皇太子と20人ほどのVIPのために、わざわざ中国から琴のマスターを二人よんで、そのうえEnglish Chamber Orchestraからカルテット(弦楽四重奏)の音楽家を4人借りて、一晩限りのパフォーマンスを実施したのだ。皇太子殿下を含め、誰もが感激した演奏だったのだが、それに触発されて僕も練習を再開したわけである。ちなみにその時に琴のマスターたちが弾いたのは、西晋(A.D. 317-420)の桓伊が作曲した『梅花三弄』、人類の代表音楽として1977年アメリカの地球外生命探査の宇宙船に録音が乗せられた『流水』、李白の同名の詩とも韻を踏む『関山月』(English Chamber Orchestraと琴が合奏)。そして、ECOによるチャイコフスキーの『くるみ割り人形』から抜粋"Chinese Dance"である。
で、今回手応えを感じたのは、弾き方、すなわちスタイルをいかに一貫させるかということ。意外にも上海で三日坊主的に練習した書道が役に立った。
僕が最も好きな「張遷碑」後漢 A.D. 186年↓

顔真卿の「争座位稿」↓

日本のひらがなの元となった草書。↓例:孫過庭 A.D. 650

そして楷書。↓欧陽絢 A.D. 557-641の例

ご覧の通り、当たり前のことだが、書法には隷書、草書、楷書、行書、そしていろいろな人の実に様々な書体がある。同じ字でも、見る側に与えるぜんぜん印象はちがう。実際に模して書いてみないとわからないのことだが、一筆一筆なぞっていくと、リズムのちがい、速度のちがい、考え方のちがい、ひいては書いた人の世界観の違いまでが、ひしひしと伝わってくる。装飾するのがいいことなのか、図太いのがいいことなのか、それとも爽快なのがいいことなのか・・・その人特有の価値観が書体にそのまま反映する。
音楽も同じことだ。ただ書道の空間的なリズムを楽曲を演奏する時間の余白に置き換えればいい。情緒的な曲(『長門恨』など)には草書のしなやかさを、仏教の宗教歌(『普安呪』)には楷書の明快さを、そして文人の現実逃避(『酒狂』)には張遷碑隷書のような強さとズレを。書体をイメージしながら弾くと、首尾一貫してその曲の持ち味がでる。
確実にひとつレベル・アップできたと実感した瞬間だった。
(最後に。なぜ書道って楷書から練習しないといけないとされているんだろうか?隷書や草書のほうが古いのに・・・。音楽も同様、古いレコードを聴くと、故人の音楽に対する「適当さ」、演奏の「ゆれ」や「曖昧さ」こそが素晴らしく感じるのに)
den 14.12.2008 edit
最近、琴をまた弾き始めた。楽譜↓

ご存知でない方のために一応説明しておくと、僕が練習しているのは「琴(きん)」別名「古琴(こきん)或いは「七弦琴(しちげんきん)」といって、中国の約三千年の歴史をもつ楽器である。詳しくはこちらをクリック。
なぜここにきてまた弾き始めたかというと、その背景には先月末に企画した王室でのコンサートがある。皇太子と20人ほどのVIPのために、わざわざ中国から琴のマスターを二人よんで、そのうえEnglish Chamber Orchestraからカルテット(弦楽四重奏)の音楽家を4人借りて、一晩限りのパフォーマンスを実施したのだ。皇太子殿下を含め、誰もが感激した演奏だったのだが、それに触発されて僕も練習を再開したわけである。ちなみにその時に琴のマスターたちが弾いたのは、西晋(A.D. 317-420)の桓伊が作曲した『梅花三弄』、人類の代表音楽として1977年アメリカの地球外生命探査の宇宙船に録音が乗せられた『流水』、李白の同名の詩とも韻を踏む『関山月』(English Chamber Orchestraと琴が合奏)。そして、ECOによるチャイコフスキーの『くるみ割り人形』から抜粋"Chinese Dance"である。
で、今回手応えを感じたのは、弾き方、すなわちスタイルをいかに一貫させるかということ。意外にも上海で三日坊主的に練習した書道が役に立った。
僕が最も好きな「張遷碑」後漢 A.D. 186年↓

顔真卿の「争座位稿」↓

日本のひらがなの元となった草書。↓例:孫過庭 A.D. 650

そして楷書。↓欧陽絢 A.D. 557-641の例

ご覧の通り、当たり前のことだが、書法には隷書、草書、楷書、行書、そしていろいろな人の実に様々な書体がある。同じ字でも、見る側に与えるぜんぜん印象はちがう。実際に模して書いてみないとわからないのことだが、一筆一筆なぞっていくと、リズムのちがい、速度のちがい、考え方のちがい、ひいては書いた人の世界観の違いまでが、ひしひしと伝わってくる。装飾するのがいいことなのか、図太いのがいいことなのか、それとも爽快なのがいいことなのか・・・その人特有の価値観が書体にそのまま反映する。
音楽も同じことだ。ただ書道の空間的なリズムを楽曲を演奏する時間の余白に置き換えればいい。情緒的な曲(『長門恨』など)には草書のしなやかさを、仏教の宗教歌(『普安呪』)には楷書の明快さを、そして文人の現実逃避(『酒狂』)には張遷碑隷書のような強さとズレを。書体をイメージしながら弾くと、首尾一貫してその曲の持ち味がでる。
確実にひとつレベル・アップできたと実感した瞬間だった。
(最後に。なぜ書道って楷書から練習しないといけないとされているんだろうか?隷書や草書のほうが古いのに・・・。音楽も同様、古いレコードを聴くと、故人の音楽に対する「適当さ」、演奏の「ゆれ」や「曖昧さ」こそが素晴らしく感じるのに)