陰鬱であることが芸術か -
先週読んだWikipediaの谷崎潤一郎評がずっと気になっている。
「長い間、日本の近代文学の主流は私小説であり、作家の私生活を描き、人生をいかに生きるべきかを追求する有様を読者に提供することが主な目的とされてきた。その雰囲気は陰鬱であり、陰鬱であることこそが芸術であるという考えかたが一般的であった。そのため、谷崎の作品はしばしば『思想がない』として低い評価がなされてきた。しかし私小説中心の文学観から離れたとき、谷崎の小説世界の豊潤さに高い評価が与えられてもいる」
すごく的を得ている。正直に言って「陰鬱であることこそが芸術」と僕もどこかしらずっと思って来た節がある。今でも僕の周りには、反骨精神豊かな友人や社会に懐疑的な目を持つ友人が多い。僕らは、いわば「暗い世界観」を肴にして酒を飲んで喜んでいる。表世界のものはすべて偽りで、闇にこそ真理が隠されていると言わんばかりに。
しかし本当にそうだろうか?真理は闇にはあるにちがいないが、明るみにない理由もないんじゃないか。そもそも、真理がどこにあろうと、それが僕らにどう関係するというのか?僕らは、ただ明るい話では盛り上がりきれず、常に避けては洞窟に籠ろうとある醜いアヒルの子ではないか?イギリスに来て、井の中の蛙大海を知らず、というか、人生の明るい面を肯定する重要性に気がついた。太陽の光は、醜いアヒルの子だけではなく、美しいアヒルの子にも平等に降り注ぐ。「平等」というのは、そういう意味で、非常に複雑な言葉だ。
den 12.02.2009 edit
先週読んだWikipediaの谷崎潤一郎評がずっと気になっている。
「長い間、日本の近代文学の主流は私小説であり、作家の私生活を描き、人生をいかに生きるべきかを追求する有様を読者に提供することが主な目的とされてきた。その雰囲気は陰鬱であり、陰鬱であることこそが芸術であるという考えかたが一般的であった。そのため、谷崎の作品はしばしば『思想がない』として低い評価がなされてきた。しかし私小説中心の文学観から離れたとき、谷崎の小説世界の豊潤さに高い評価が与えられてもいる」
すごく的を得ている。正直に言って「陰鬱であることこそが芸術」と僕もどこかしらずっと思って来た節がある。今でも僕の周りには、反骨精神豊かな友人や社会に懐疑的な目を持つ友人が多い。僕らは、いわば「暗い世界観」を肴にして酒を飲んで喜んでいる。表世界のものはすべて偽りで、闇にこそ真理が隠されていると言わんばかりに。
しかし本当にそうだろうか?真理は闇にはあるにちがいないが、明るみにない理由もないんじゃないか。そもそも、真理がどこにあろうと、それが僕らにどう関係するというのか?僕らは、ただ明るい話では盛り上がりきれず、常に避けては洞窟に籠ろうとある醜いアヒルの子ではないか?イギリスに来て、井の中の蛙大海を知らず、というか、人生の明るい面を肯定する重要性に気がついた。太陽の光は、醜いアヒルの子だけではなく、美しいアヒルの子にも平等に降り注ぐ。「平等」というのは、そういう意味で、非常に複雑な言葉だ。