Diary -
こうして静かな日曜日の朝にソファに座っていると、めまぐるしい一週間が、いわばめまぐるしい人生だったかのように回想できる。肩がこる。起きたばかりなのに体調は(色で言えば)67%くらいのダーク・グレイだ。
そもそも月曜日に酒を飲み過ぎた。週の始まりだというのに、朝の1時くらいまで飲んでいた。旧・中川大臣は山場になると酒を飲むらしいが、これはごくもっともな話で、欧米ではウィスキーがオフィスに置かれている。Would you like a drink?というのは紅茶やコーヒーの話ではない。僕もそれなりに今大事な仕掛けを作っている最中で、細心の注意を払わねば、風船は爆発してしまう。だから気持ちはわかる。作業を進めるには、ある程度の気付が要るのはしょうがないではないか。中川さんはきっとG7でアメリカから屈辱的な不平等条約を飲み込ませられたんだし。
火曜日はAbbot Liという道士(道教の僧侶)に会って来た。彼は水中で2時間冬眠状態に入れるという。半信半疑だったものの、これがどうも本当らしい。まあそんなこともあるかもしれない。で、現場で気で電圧をコントロールする様を実演してくれた。コンセントの電気を彼の体を通して自由自在に変圧し、患者の経絡に流して治療に使用するのだという。さすが中国。
中国といえば、その晩は、Xu Bingという中国人現代アーティストと、Yauachaというところで夕食を共にして来た。かなり意気投合して、こんど子供と森林にまつわるプロジェクトを一緒にやろうと盛り上がる。Xuさんが既にケニアで始めているプロジェクトで、貧しい地域の子供たちに絵を描いてもらい、その絵をオークションで売り、売り上げを植林に使うという単純なアイディアなのだけど、紙に描かれた絵の木が、グローバルな経済システムを通って、実物の木になるという「考えるー実現する」の流れがすばらしい。うちもThe Prince's Rainforest Project、The Prince's Foundation for Children and Artsという二つのチャリティで似たようなことをやっているので、即、皇太子に報告した。
水曜日は漢方医学に関するレクチャーに参加すべく、朝からOxfordに向かう。せっかくのなのでAを連れてExeter Collegeの友人と食事して、博物館や図書館を案内する。つくづく思うけど、イギリス人は「ゲームのルール」をつくるのが上手。システムで物事を動かそうとする。そしてそれが実際に機能する。Oxfordも改めてその教育制度を見直してみると、ああどうりでエリートが生まれるわけだ、と納得する。日本の大学教育制度と比較すれば、サッカーと蹴鞠(けまり)くらい違う。外交でも教育でも軍事でも金融でもスポーツでも、「ゲームのルール」を作るのがイギリスの強みで、それは個人的にも吸収させてもらおうと思う。
とはいえども、日本には陰影礼賛の味わいがあるわけで、一概に悪いというわけではない。木曜日に観賞した舞台『春琴抄』は、まさにそうした闇の美を再確認させてくれた。Simon McBurneyの演出で凄まじい緊張感が劇場に生まれた。研ぎすまされた精神というは、職人精神と通ずるものがあって、これこそ日本の国民性(あえてこの言葉を使う)ではないかと思っている。舞台の最後に、「現代の人は、過去にそうした暗い闇があったこと、その闇に奇妙な美があったことを忘れているのかもしれません」というセリフとともに、真っ暗な観客席に強烈光が差し込んでくる場面があったのが特に印象的であったが、会場に拍手の渦がわき起こって役者が何度も挨拶に出て来る最後の最後の最後まで、フカツ・エリ(春琴の役)がほとんど笑顔を見せずに深刻な表情をしていたのが、僕には欧米との決定的違いだったかのように思えた。日本人は、闇に生きていたいのだ。
それで心のどこかに暗い気持ちが引っかかっていたのだけれど、金曜日は快晴で気温が上昇し、ロンドンははじめて春の兆しがでてきた。一日の境で春を宣告するならばそれは金曜日であった。陰は陽に依存するしかないのに対し、陽はそれ自体で存在できるんだなあ。陰は常に陽を嫉妬しているけど、陽はそれにほとんど気づくこともない。云々。と、どうも暗くまとまってしまうあたりが、僕も日本人。
den 22.02.2009 edit
こうして静かな日曜日の朝にソファに座っていると、めまぐるしい一週間が、いわばめまぐるしい人生だったかのように回想できる。肩がこる。起きたばかりなのに体調は(色で言えば)67%くらいのダーク・グレイだ。
そもそも月曜日に酒を飲み過ぎた。週の始まりだというのに、朝の1時くらいまで飲んでいた。旧・中川大臣は山場になると酒を飲むらしいが、これはごくもっともな話で、欧米ではウィスキーがオフィスに置かれている。Would you like a drink?というのは紅茶やコーヒーの話ではない。僕もそれなりに今大事な仕掛けを作っている最中で、細心の注意を払わねば、風船は爆発してしまう。だから気持ちはわかる。作業を進めるには、ある程度の気付が要るのはしょうがないではないか。中川さんはきっとG7でアメリカから屈辱的な不平等条約を飲み込ませられたんだし。
火曜日はAbbot Liという道士(道教の僧侶)に会って来た。彼は水中で2時間冬眠状態に入れるという。半信半疑だったものの、これがどうも本当らしい。まあそんなこともあるかもしれない。で、現場で気で電圧をコントロールする様を実演してくれた。コンセントの電気を彼の体を通して自由自在に変圧し、患者の経絡に流して治療に使用するのだという。さすが中国。
中国といえば、その晩は、Xu Bingという中国人現代アーティストと、Yauachaというところで夕食を共にして来た。かなり意気投合して、こんど子供と森林にまつわるプロジェクトを一緒にやろうと盛り上がる。Xuさんが既にケニアで始めているプロジェクトで、貧しい地域の子供たちに絵を描いてもらい、その絵をオークションで売り、売り上げを植林に使うという単純なアイディアなのだけど、紙に描かれた絵の木が、グローバルな経済システムを通って、実物の木になるという「考えるー実現する」の流れがすばらしい。うちもThe Prince's Rainforest Project、The Prince's Foundation for Children and Artsという二つのチャリティで似たようなことをやっているので、即、皇太子に報告した。
水曜日は漢方医学に関するレクチャーに参加すべく、朝からOxfordに向かう。せっかくのなのでAを連れてExeter Collegeの友人と食事して、博物館や図書館を案内する。つくづく思うけど、イギリス人は「ゲームのルール」をつくるのが上手。システムで物事を動かそうとする。そしてそれが実際に機能する。Oxfordも改めてその教育制度を見直してみると、ああどうりでエリートが生まれるわけだ、と納得する。日本の大学教育制度と比較すれば、サッカーと蹴鞠(けまり)くらい違う。外交でも教育でも軍事でも金融でもスポーツでも、「ゲームのルール」を作るのがイギリスの強みで、それは個人的にも吸収させてもらおうと思う。
とはいえども、日本には陰影礼賛の味わいがあるわけで、一概に悪いというわけではない。木曜日に観賞した舞台『春琴抄』は、まさにそうした闇の美を再確認させてくれた。Simon McBurneyの演出で凄まじい緊張感が劇場に生まれた。研ぎすまされた精神というは、職人精神と通ずるものがあって、これこそ日本の国民性(あえてこの言葉を使う)ではないかと思っている。舞台の最後に、「現代の人は、過去にそうした暗い闇があったこと、その闇に奇妙な美があったことを忘れているのかもしれません」というセリフとともに、真っ暗な観客席に強烈光が差し込んでくる場面があったのが特に印象的であったが、会場に拍手の渦がわき起こって役者が何度も挨拶に出て来る最後の最後の最後まで、フカツ・エリ(春琴の役)がほとんど笑顔を見せずに深刻な表情をしていたのが、僕には欧米との決定的違いだったかのように思えた。日本人は、闇に生きていたいのだ。
それで心のどこかに暗い気持ちが引っかかっていたのだけれど、金曜日は快晴で気温が上昇し、ロンドンははじめて春の兆しがでてきた。一日の境で春を宣告するならばそれは金曜日であった。陰は陽に依存するしかないのに対し、陽はそれ自体で存在できるんだなあ。陰は常に陽を嫉妬しているけど、陽はそれにほとんど気づくこともない。云々。と、どうも暗くまとまってしまうあたりが、僕も日本人。