また自分の話ですみませんが、日記なんで・・・ -
ひさしぶりに晩餐会に参加してきた。イギリス人は真に巧みに自分の話を避けながら、会話を進める。社会のことやその場のユーモアで何時間でも延々と会話を楽しんでいられるようだ。一晩終えてみても、その人がいったい何者で何を考えているのか、まったくわからないままだ。後で主催者にこっそり生い立ちやバックグラウンドを聞くと、Earl(伯爵)だったり、ドイツ皇族の末裔だったり、韓国前大統領の息子だったり、みんなそれぞれimpressiveな肩書きなわけなんだけど。
僕はというと、幼稚だからなんなのか、自分のことしか(﹅﹅)話さない。或いは中国とかチャールズ皇太子とか自分に関係のある話にしかついていけない。単に言語の問題(+自分の持てる交換可能な価値の少なさ)なんだろうけど、やるかやらないかの選択ではなく、できるかできないかという意味で、僕はいわゆる社交トークができないでいるのはもどかしい。
そんなことを考えながら帰宅の路に着いていると、ふと自分が小学生に戻ったような気がした。日本での生活の2、3年目、子どもながら僕は常に話をしなくてはならない場面を避けていたし、リスニングは問題はなくなってきたものの、まだまだ自分を表現するのはまだ骨の折れた。言語が貧しいということは人間が貧しいことに等しいものだ。だいたい外国生活の2、3年目はそうだと思うけど、思い返してみれば僕の英国経験もオックスフォードでの留学の一年をいれて、今日現在で30ヶ月未満だ・・・この年齢ではよけいなプライドなんてものが生まれつつあるが、もうすこし黙って頭を下げて辛抱しよう。
den 19.09.2009 edit
ひさしぶりに晩餐会に参加してきた。イギリス人は真に巧みに自分の話を避けながら、会話を進める。社会のことやその場のユーモアで何時間でも延々と会話を楽しんでいられるようだ。一晩終えてみても、その人がいったい何者で何を考えているのか、まったくわからないままだ。後で主催者にこっそり生い立ちやバックグラウンドを聞くと、Earl(伯爵)だったり、ドイツ皇族の末裔だったり、韓国前大統領の息子だったり、みんなそれぞれimpressiveな肩書きなわけなんだけど。
僕はというと、幼稚だからなんなのか、自分のことしか(﹅﹅)話さない。或いは中国とかチャールズ皇太子とか自分に関係のある話にしかついていけない。単に言語の問題(+自分の持てる交換可能な価値の少なさ)なんだろうけど、やるかやらないかの選択ではなく、できるかできないかという意味で、僕はいわゆる社交トークができないでいるのはもどかしい。
そんなことを考えながら帰宅の路に着いていると、ふと自分が小学生に戻ったような気がした。日本での生活の2、3年目、子どもながら僕は常に話をしなくてはならない場面を避けていたし、リスニングは問題はなくなってきたものの、まだまだ自分を表現するのはまだ骨の折れた。言語が貧しいということは人間が貧しいことに等しいものだ。だいたい外国生活の2、3年目はそうだと思うけど、思い返してみれば僕の英国経験もオックスフォードでの留学の一年をいれて、今日現在で30ヶ月未満だ・・・この年齢ではよけいなプライドなんてものが生まれつつあるが、もうすこし黙って頭を下げて辛抱しよう。
アシタカとサン -
よしもとばななの「デッドエンドの思い出」を読んだ。すごく素敵な小説だった。
西山君の雰囲気とか、そのちょっと切なくて小さなワールドに心が和んだ。
よしもとばなながすごいのは、完全に彼女の世界を築き上げて、まったく独自の軸でものごとを観させてくれることだ。そこには堅苦しい権力や欲望や規正のルールは当てはまらなくて、たとえば「時間」とか「人間関係」とか「お金」とかをまるで違う色彩のものに置き換えてくれる。
そのワールドでは僕らは争う必要はなくて、がんばる必要もなくて、あるがまま呼吸しているだけで幸せを感じることができる。小さなもの、重要ではないものに、意味が付加される。
いやまったく、小説家というのはすごいなあ。それが本来小説家ということだよなあ。シンプルで、みんなが共有できる、公園の大きな木のようによしもとばななはそこにいる。いるだけでみんな幸せになれる。あほみたいだけど、なんてすばらしいんだろう。
***
"If you can't command, you must obey."
一方で僕は、既成の政治やビジネスの世界で日々を勝ち上がるために過ごしている。
多くの人たちと同じように、目に見える(あるいは見えると信じている)“現実”と戦って、優越感を味わったり、辛苦をなめたりしている。僕にも"alternative"な面がないわけではないが、それは女性と子供のみが味わうことのできる軟弱な夢の世界だと、切り離している。
でもそちらはそちらで、ぜひがんばってほしいと思う。少なくとも妻はalternative路線なので、そちらは任せておける。(AndrewとFionaのように、お互いに尊重して、共存していこう ー なんだか宮崎駿みたいだ)
den 13.09.2009 edit
よしもとばななの「デッドエンドの思い出」を読んだ。すごく素敵な小説だった。
西山君の雰囲気とか、そのちょっと切なくて小さなワールドに心が和んだ。
よしもとばなながすごいのは、完全に彼女の世界を築き上げて、まったく独自の軸でものごとを観させてくれることだ。そこには堅苦しい権力や欲望や規正のルールは当てはまらなくて、たとえば「時間」とか「人間関係」とか「お金」とかをまるで違う色彩のものに置き換えてくれる。
そのワールドでは僕らは争う必要はなくて、がんばる必要もなくて、あるがまま呼吸しているだけで幸せを感じることができる。小さなもの、重要ではないものに、意味が付加される。
いやまったく、小説家というのはすごいなあ。それが本来小説家ということだよなあ。シンプルで、みんなが共有できる、公園の大きな木のようによしもとばななはそこにいる。いるだけでみんな幸せになれる。あほみたいだけど、なんてすばらしいんだろう。
***
"If you can't command, you must obey."
一方で僕は、既成の政治やビジネスの世界で日々を勝ち上がるために過ごしている。
多くの人たちと同じように、目に見える(あるいは見えると信じている)“現実”と戦って、優越感を味わったり、辛苦をなめたりしている。僕にも"alternative"な面がないわけではないが、それは女性と子供のみが味わうことのできる軟弱な夢の世界だと、切り離している。
でもそちらはそちらで、ぜひがんばってほしいと思う。少なくとも妻はalternative路線なので、そちらは任せておける。(AndrewとFionaのように、お互いに尊重して、共存していこう ー なんだか宮崎駿みたいだ)
ギア -
モードの切り替えに「ギア・チェンジ」ということを考えるようになった。仕事モードから家族モード、英語モードから日本語モード、切り替え(シフト)にはちょうど車を運転する時のように、ギアを1から2へ、2から3へ、4へ、それから5へ切り替えていく必要がある。勢いにのっていることが、仕事はスムーズにはかどる。(ずっと5のまま仕事一筋に生きる人がいるのは、きっとそのほうが楽だからなのだろう。)僕の場合は同じモードを突き通すという選択肢はないので、三つの国と種々多様なアジェンダのなかでいかに切り替えを素早く行い、加速力自体を伸ばしていくかが勝負になるのだろう。最後まで走りきるには豊富なエネルギー(体力と資金)も必要なのはまちがいない。
den 12.09.2009 edit
モードの切り替えに「ギア・チェンジ」ということを考えるようになった。仕事モードから家族モード、英語モードから日本語モード、切り替え(シフト)にはちょうど車を運転する時のように、ギアを1から2へ、2から3へ、4へ、それから5へ切り替えていく必要がある。勢いにのっていることが、仕事はスムーズにはかどる。(ずっと5のまま仕事一筋に生きる人がいるのは、きっとそのほうが楽だからなのだろう。)僕の場合は同じモードを突き通すという選択肢はないので、三つの国と種々多様なアジェンダのなかでいかに切り替えを素早く行い、加速力自体を伸ばしていくかが勝負になるのだろう。最後まで走りきるには豊富なエネルギー(体力と資金)も必要なのはまちがいない。
透明人間 -
社会の変化が速すぎると、世代間の隔たりが大きくなり、一つの体制のもとで国民の共鳴を集めたり、参与している感覚を共有するのが難しくなる。だから、たとえば僕の友人には、偏屈にひねくれている人間が多い。日本の政治や外交や、大きな話と自分は無縁で、村上春樹的な逃避の第三世界のみが生きる道だといわんばかりだ。それは日本が過去の一世紀に渡って激変してきた歴史をみれば無理もないと思う。
中国だってそうだ。今の爆発的に富を増やしている世代と、もうやるべきことはやりつくされ手も足もでない次世代では、置かれている状況も得られるものもあまりに違いすぎる。人の生き方に正しい道というものがあるとは思えないが、ダイナミックな歴史に身をおきたいなら人は明日にでも中国へ急いだ方がいい。逆に人生の楽しみを「目的」と見なす人は、もうちょっと待ってから中国に進出したほうがいいだろう。(どちらにしても中国に進出するべき)
イギリスはどうかというと、「伝統を重んじる」というイメージが示すように、社会発展の速度を人為的に押さえ込むことで、過度に世代間のギャップが発生しないような構造になっている。結果的にそうなっているだけかもしれないけど、若者は「ダサ」く、年寄りは「活発」だ。
いや、そういうことではないのだろう。(ごめん)ここまで書いてみて気づいたけど、重要なのは社会発展の速度なんかじゃなくて、みんなでとことん"discussion"して、社会全体が"up to speed"なのだ。イギリスだって帝国時代や産業革命や階級の消滅等、過激な脱皮をとげてきた。それでも人々が自分の国を誇り、社会の一部であると自認しているのは、いつだってイギリス人が会話を大事にして、言わなくてもわかるだろうというようなことでもとことん言葉に出して話し合って、裏も表も曝け出してみんなと共有してきたというスタイルが、理由なのにちがいない。
ああ・・・これが、transparencyね。今まで馬鹿にしてたけど、僕ももっと透明になっていこう。(もっとブログを書こう)
den 10.09.2009 edit
社会の変化が速すぎると、世代間の隔たりが大きくなり、一つの体制のもとで国民の共鳴を集めたり、参与している感覚を共有するのが難しくなる。だから、たとえば僕の友人には、偏屈にひねくれている人間が多い。日本の政治や外交や、大きな話と自分は無縁で、村上春樹的な逃避の第三世界のみが生きる道だといわんばかりだ。それは日本が過去の一世紀に渡って激変してきた歴史をみれば無理もないと思う。
中国だってそうだ。今の爆発的に富を増やしている世代と、もうやるべきことはやりつくされ手も足もでない次世代では、置かれている状況も得られるものもあまりに違いすぎる。人の生き方に正しい道というものがあるとは思えないが、ダイナミックな歴史に身をおきたいなら人は明日にでも中国へ急いだ方がいい。逆に人生の楽しみを「目的」と見なす人は、もうちょっと待ってから中国に進出したほうがいいだろう。(どちらにしても中国に進出するべき)
イギリスはどうかというと、「伝統を重んじる」というイメージが示すように、社会発展の速度を人為的に押さえ込むことで、過度に世代間のギャップが発生しないような構造になっている。結果的にそうなっているだけかもしれないけど、若者は「ダサ」く、年寄りは「活発」だ。
いや、そういうことではないのだろう。(ごめん)ここまで書いてみて気づいたけど、重要なのは社会発展の速度なんかじゃなくて、みんなでとことん"discussion"して、社会全体が"up to speed"なのだ。イギリスだって帝国時代や産業革命や階級の消滅等、過激な脱皮をとげてきた。それでも人々が自分の国を誇り、社会の一部であると自認しているのは、いつだってイギリス人が会話を大事にして、言わなくてもわかるだろうというようなことでもとことん言葉に出して話し合って、裏も表も曝け出してみんなと共有してきたというスタイルが、理由なのにちがいない。
ああ・・・これが、transparencyね。今まで馬鹿にしてたけど、僕ももっと透明になっていこう。(もっとブログを書こう)
意思の貫徹 -
以下のエントリーを再び読んでみて、まったく論理的に意味が通じてないことに気づく。しかしながらそれでいながら妙に説得力はある。それは外交の世界にどっぷり浸かった僕の政治力の増加ということだろうか。
世の中に正しい観点、或いは間違った観点、というものは存在しない。ようはメッセージをいかに"deliver"するかだけである。環境問題だって経済問題だって、極言すれば戦争だって、ものはいいようである。絶対悪が叫ばれるときはその背景を怪しんだほうがいい。
強引に押し切って人の気持ちを動かすこと、もしくはわざと道を踏み外して人々が自分を軽視するようにしむけること、いずれにしてもこの類いの演出にこの国は長けている。ただその先になにがあるのか、裏の裏でなにを自分は望んでいるのか、そこに迷いがあってはならない。
den 10.09.2009 edit
以下のエントリーを再び読んでみて、まったく論理的に意味が通じてないことに気づく。しかしながらそれでいながら妙に説得力はある。それは外交の世界にどっぷり浸かった僕の政治力の増加ということだろうか。
世の中に正しい観点、或いは間違った観点、というものは存在しない。ようはメッセージをいかに"deliver"するかだけである。環境問題だって経済問題だって、極言すれば戦争だって、ものはいいようである。絶対悪が叫ばれるときはその背景を怪しんだほうがいい。
強引に押し切って人の気持ちを動かすこと、もしくはわざと道を踏み外して人々が自分を軽視するようにしむけること、いずれにしてもこの類いの演出にこの国は長けている。ただその先になにがあるのか、裏の裏でなにを自分は望んでいるのか、そこに迷いがあってはならない。
あまり疎外されていない状態 -
民主党が勝利して日本の世論や未来が、だいぶ僕らの世代の考えていることに近づいてきてきたように感じる。違和感を感じていた旧体制は去り、社会の流れとして、僕らの「世代」がやってきた。それがいいことか悪いことかという問題ではない。ただ、誰にとっても自分の世代が活躍し、社会を担う時代があるということは、まぎれもなく事実で、個人的な文脈に当てはめるとそれは"less 疎外"という立ち位置になる。(ひさしぶりに日本語で書くので意味が通じない場合はすまない)
「疎外」をネガティブな意義でとらえる場合は、もちろんそれは喜ばしいことだ。より体制側に、パワーの中心に近づくのが容易になり、物事が自分の望むように動くようになる。ただ、「疎外」をポジティブにとらえる場合(芸術家とか文学者とか)は、エネルギーの源となっていた社会への不満が消え去ってしまうわけだから、これは気をつけねばならない。
なにが言いたいかというと、「人とちがうこと」を考え続けるためには、僕も変わり続けなければいけないということだ。生まれたてほやほやの坊やが大学に進んで初めて世の中へ異議を唱えるのとは、ちょっとわけがちがう。ずっと自己肯定しかしてこなかった体質を変えねば、当初は革新的だった僕も自民党のようにいつのまにか保守にまわって老いて朽ちるだろう。
それが若者についていかねばならない必然性であり、criticismを受け入れねばならぬ理由であり、僕の老いゆく自覚の始まりである。
den 08.09.2009 edit
民主党が勝利して日本の世論や未来が、だいぶ僕らの世代の考えていることに近づいてきてきたように感じる。違和感を感じていた旧体制は去り、社会の流れとして、僕らの「世代」がやってきた。それがいいことか悪いことかという問題ではない。ただ、誰にとっても自分の世代が活躍し、社会を担う時代があるということは、まぎれもなく事実で、個人的な文脈に当てはめるとそれは"less 疎外"という立ち位置になる。(ひさしぶりに日本語で書くので意味が通じない場合はすまない)
「疎外」をネガティブな意義でとらえる場合は、もちろんそれは喜ばしいことだ。より体制側に、パワーの中心に近づくのが容易になり、物事が自分の望むように動くようになる。ただ、「疎外」をポジティブにとらえる場合(芸術家とか文学者とか)は、エネルギーの源となっていた社会への不満が消え去ってしまうわけだから、これは気をつけねばならない。
なにが言いたいかというと、「人とちがうこと」を考え続けるためには、僕も変わり続けなければいけないということだ。生まれたてほやほやの坊やが大学に進んで初めて世の中へ異議を唱えるのとは、ちょっとわけがちがう。ずっと自己肯定しかしてこなかった体質を変えねば、当初は革新的だった僕も自民党のようにいつのまにか保守にまわって老いて朽ちるだろう。
それが若者についていかねばならない必然性であり、criticismを受け入れねばならぬ理由であり、僕の老いゆく自覚の始まりである。